ダブリンの風(99) 「変わるものと変わらないもの」
高根 宏士:11月号
筆者の先輩に80歳を超えて矍鑠として、活躍している人たちが数人いる。その中の一人(以下Aさんとする)から最近聞いた話である。
Aさんがあるところでプロジェクトマネジメント(以下PMとする)について講演をした。そこでは最近の手法やツールに関する紹介とか使い方の説明ではなく、
「プロジェクトマネジメントとは何か」
「PMの目的は?」
「PMで本質的に考慮しなければならないことは何か」
というような基本的な考え方についてであった。
一段落したところで、40歳前後の人から
「先生の話には何ら新しいことは含まれていませんね。ITの世界は6年で中身は一新してしまうのです。先生のような昔から言われているようなことは、現代の世界ではもはや時代遅れで役に立たないものです。現代でも通用することを話してくれませんか。」
と言われた。
Aさんはその方に
「私の考えが現代では通用しないといわれるあなたは、PMについて現代で通用することは何かがわかっているはずですね。その現代では通用することとは何ですか。」と質問された。質問者からの答えはなかった。そこでAさんは次に
「あなたは、物事は6年で一新されるといわれるが、6年経って役に立たなくなるものを毎日勉強しているのですか。」と質問した。しかし答えはなかった。そこでAさんは以下のような趣旨の話をされた。
仮に6年で物事が一新するように変化の激しい世界だとしたら、人間が一所懸命勉強したり、研鑽したり、経験したことは6年間しか役に立たない。したがって人間は十分な研鑽や経験をするだけの体力(生命力)がなくなったら、その後6年しか生きる価値はなくなるであろう。そして現在生きている人間は将来役に立たなくなることを不安にかられながら習得するために日々時間を費やさなければならない。これでは当然どこかで燃え尽き症候群になるか、自信のないおどおどした人間になってしまうであろう。我々はそんな生き方で満足できるであろうか。我々は常に向上するために自己啓発に努力している。そこでは努力した時間に応じて自分が向上できる実感を持たなければならない。そこで我々が認識しなければならないものは、世の中には変わるものと変わらないものがあるということである。変わるものはHowである。変わらないものはWhatとWhyである。そしてそれはHowを評価する元になるものである。我々が常に意識しなければならないことはWhatとWhyの認識である。それができていればHowについては必要な時だけ、情報収集すればよい。このようなことを認識せず、断片的Howを必死に勉強しても、それは6年経ったら全て役に立たなくなり、そして、また疲れた体で、6年経ったら役に立たなくなるHowを習得しようと焦っているうち人生は終わってしまうのではなかろうか。考えてもらいたい一つの例として1974年にドラッカーが書いた「マネジメント」が37年経過した現在なぜブームになっているのか。それは表層のファッション的なものは変わっても本質的なものは変わらないということの例証ではなかろうか。そして我々が勉強しなければならないものはこの本質的なものについてである。表層のファッション的なものは単なる情報収集として認識すれば十分である。
これを読まれた読者の皆さんはAさんの考えに対してどう思いますか。
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