PMP試験部会
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「日本人はプロブレム・ソルビングが苦手なのでは?」

イデオ・アクト株式会社 代表取締役 葉山 博昭:12月号

1. IT業界での問題解決
 PMBOKに接するようになり、近年特にプロジェクト・マネジメントでは問題に対峙しプロブレム・ソルビング(問題解決)することが顧客とのWIN-WINの関係を築く上で重要という教えは極めて有効であり、筆者もプロジェクトを現場で指導する場合は常に心がけ、良い結果を得ている。
 しかし実際にプロジェクトを支援していて、問題に対峙し解決することが一般的ではないように感じる局面によく遭遇する。問題の発生に気付くこと自体が遅れることはそれぞれの技術者の経験によるところがあるので致し方ない場合もあるが、気付いた以降のアクションでは、人的差はないように思っていたがそうでもないらしい。顧客側に原因のある問題を発見したような場合でも、顧客の機嫌を損ねることを恐れるあまり顧客に指摘することを躊躇うことは非常に多い。官公庁などで顧客側が作成した発注仕様書の技術的キーポイントが誤っている場合もよくある、民間企業でも想定したH/W、ミドルソフトで実現すると膨大なソフトウェアを製作しなければならないこともよく発生する。ソフトウェアでは機能を実現出来ないことを証明するのは極めて難しく、つい顧客との対応の煩わしさを考えると、たとえ顧客側の誤りであっても顧客に誤りを指摘せずにそのままシステムを開発してしまうことがよくある。このような「事を荒げたくない」という基本的姿勢は顧客に向けても、内部の自社の他部門、プロジェクトチーム内部、協力会社に向けても発生する。以前PMOとして自社内のプロジェクトの指導を行っていたとき、プロジェクトの問題を指摘すると「問題は分かっているのですが、どうやって解決すればよいのか分からないのです」という発言を問題プロジェクトに遭遇する度に聞いた。このような発言を聞くたびに、問題を発見することと、解決策を模索することを分離することがなんとも不思議であった。問題の認識と問題策の解決方法の模索は、何度も問題の認識と解決策の模索を行き来し、又顧客と話し合い、共通した認識を行って初めて効果のある問題解決策を見出すことが出来ると筆者は考えていたが、どうも問題解決を優先するという考え方はけっして一般的なものではないようだ。プロジェクトの指導を専業とするようになり、プロジェクトがトラブル状態になってから支援を要請され、トラブルプロジェクトの多くの関係者と話す機会を得た、その結果トラブルプロジェクトの関係者の思考方法に共通した傾向があることが分かった、「事を荒げず」、「円満にもの事を進める」という志向が極めて高く、問題を解決することを優先するとは限らないことだ。その結果問題解決すべき時を逸しいてしまい、自分たちだけでは解決困難となり外部に解決の支援を依頼しないと解決が難しくなり、外部の人間に問題解決の支援を依頼することが発生する。
ソフトウェア開発で問題解決が出来なくなることを整理すると下記のようになる。
問題の発生から顧客に相談するまでの時間が長い
顧客のご機嫌取りを優先し真実を報告しない。
開発者側より顧客の一般的教養度が高い場合、顧客と対等な交渉能力を持てない。
  開発側 高残業体質が嫌われ優れた人材が集められなくレベルが年々下がる。
  発注者側 一流企業が多く、開発側は資金的の優越的立場を利用し、開発側に無理難題を強いる。同じIT技術者を目指す技術者でも開発側にいたことのない技術者は物づくりの難しさを理解できず、作らせる側の論理だけでプロジェクトを進めようとする。
問題解決を放置し発注者側のためにも、開発者側のためにもならない開発を行う
  顧客側の要望だけが通り、予算を遥かに超えるコストの発生、長時間労働になることが日常茶飯事発生する
  顧客のニーズに合わないシステムが出来上がる。
  使用するのに難しい、使用できないシステムが出来上がる。
 上記の問題は筆者がIT業界に身を置いて40年になるが、一向に改善しない。

2. 日本における問題解決とは?
 日本ではプロブレム・ソルビング(問題解決)を簡単に考えていたのではないだろうか、筆者はIT業界に長く身を置いてきたので、その範囲であればかなり問題解決能力は高いと自負し実績も上げてきたつもりだが、システム開発業界全体ではトラブルの頻度は下がらず、3K職業、昔3K「危険(きけん)」「汚い(きたない)」「きつい」、今新「きつい」「帰れない」「給料が安い」と呼ばれ、優れた人材を採用出来ない業界となってしまい、さらに3Kを加速するという悪循環になってしまっている。

 日本では大きな問題の殆どは解決出来てこなかったのではないだろうか?
前述のシステム開発業界の問題は発生からほぼ40年を経て解決できていない。
少子化、年金記録システム不備、所得格差、非正社員の増加等社会構造の変化が年金問題発生から20年。
赤字財政の慢性化による返済不能な国債残高の増加。
電話電線の空中敷設による都市美観の破壊。
都市道路整備の無策による慢性渋滞、道路面積増加無しの歩行者、自転車、自動車の共存不能。例えば首都高速下り高井戸入口の未完など開通以来解消しない。首都高速の合流車線増加が増えない、2車線+2車線を2車線にしてしまうなど、当初設計ではないものが世銀借入時車線を半分にしたままとなったがそのまま放置して50年近くが立つ。
環状8号の一部地下化、山手通りの一部地下化など出来るのに50年を要した。一方走る車の無い地方の高速道路は整備されていく。
人口減少にも関わらず公務員は減らない、民間給与が下がっているのに公務員給与は下がらない。
医療の都市偏在、医療過疎の対応が取れない。
保育園の待機児童が減らない。
特別養老の希望者を吸収出来ない。
分譲マンションのスラム化の懸念が現実化する、住人無しの受託の増加、スラム化
公共施設の保守が出来ない(高速道路の鉄部の錆による劣化の対応が出来ない)。
・・
 等々社会問題に関する問題の解決は極めて遅い、戦後上記のそれぞれを個々の役所と利益誘導型政治家による新たな規則、法令の作成、H/Wを作成してきた。しかし問題が発生してからのアクションは極めて遅いというか、問題解決すべき人間、組織が見当たらず問題が放置されてしまう。プロジェクト・マネジメントの問題を見ても、社会の問題を見ると、日本人には問題解決という意識が希薄なのではと思えてならない。特に大きな国家戦略、企業の企業戦略とか、組織全体に関わる問題を解決することは極めて不得意のようである、

   日本人個人の意志に基づき行動する場合は国家の指導力無しでも、高いレベルで秩序だって行動することが出来できるが、戦略的に何かを行うといことは、個人の意識を超えておこなわなければならず、例えば今回東日本地震で襲われた津波地帯を高台に移転し、交通網を整備し直すなどという大事業は発想する者も、決断する者もいない。特に最近の民間企業での決断力は、筆者が現役で会社員を行っていたときには考えられないほど遅く、決断の中身もレベルが低い、中国の決断力と比べると比較にならず、商機をどんどん失っているのが現実のようだ。このような社会状況にあって、行政だけが決断力が早いとは思えない、TPPの問題など、もうすでに何年も検討すべき時間があったにも関わらず検討せず、最後の一日決定を延期して考えるという問題ではない、決断をどう導くかという思考がない。決断する内容自体も問題だが、一日遅れるという決断力の無さ自体が国としての力が無いことを暴露してしまい、決断力が無いというマイナスイメージを国際的に示してしまい、弱い外交力をさらに弱めることとなってしまうだろう。
前述した問題の殆どはだれもその問題の解決を考えてはいないと思って間違いはないだろう。
 PMBOKのプロブレム・ソルビングを実現し、体現する人材を増やす努力をまずは行わないと、プロジェクトの問題もそれ以上に難しい国の問題を解決すべき人材が育たない、
いまさら人材育成していたのでは、間に合わないことは多いが、なにも解決しないで今後何十年経ってしまうより、人材を育成して問題を解決しても手遅れではないと思う。
 問題解決、プロブレム・ソルビングで、重要なのは問題を問題と感じる能力、気付くべき時を逸しないこと、解決する時を逸しないこと、解決すべき事項なのか敏感に感じる能力があること、さらに最も重要だが、最近の日本で最も欠けているように思うのは、解決する問題が発生した場合、解決するまで解決する行動をとり続ける強い意志ではないだろうか?
以上
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