蘆原 哲哉
2002年‐PMP取得
2002年‐PMS取得
2005年‐PMR取得
プロジェクトマネジメント学会会員
国際プロジェクトプログラム学会会員
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自然の猛威から学ぶこと
蘆原 哲哉
[プロフィール]
:12月号
今年は世界的に大災害が重なった年であった。雲仙普賢岳の火砕流に始まって、ニュージーランド、東日本、トルコと連鎖的に発生した大地震、更には日本に留まらずタイのチャオプラヤ川流域で広域水害が深刻化している。まだ後一ヶ月を残している時点で過去形を使うのは尚早かも知れないが、もうこれ以上の災害は起きないで欲しいという願いを込めて敢えてピリオドを打たせてもらうこととする。
タイのチャオプラヤ川というと、若かりし頃に、川岸のホテルのテラスで心地よい風を頬に浴びながら、ポンポン船の喧騒の中で朝食にコンギー(お粥)を啜ったことがつい最近のことのように思い出される。是非とも被害が最小限で済んで欲しいと願ってやまない。
これら自然の猛威に対して、我々は余りに無力である。我々はそのことを受け容れる必要があるが、ともすると科学が自然を征服したかのように勘違いをして、我々は謙虚さを失いつつあった(若者言葉で言うところの「ちょずいている」面があった)のではなかろうか。
プロジェクトでも成功体験に基づく過信が失敗の原因となることがありそうな気がする。経験が無くても何とかなると高をくくって先人の意見を聞こうとしないPM(自信過剰PM)、逆に専門家に頼って自分で考えないPM(人任せPM)、いずれにも危うさを覚える。
前者の自信過剰PMに対しては、「これまで何も考えて行動していなかったにもかかわらず、たまたま幸運に恵まれて成功を収めてきた、或いはそれらのプロジェクトもライフサイクルの途中にあって、今後どのような転結が待っているか分からないが、取り敢えずこれまでのところ安泰であったのかも知れない。」と謙虚に振り返ってみることを推奨したい。
後者の人任せPMについては、自分自身ではなく外部専門家を過信するタイプである。自らは何の知見も持たず、外部専門家のネームバリューを使って説明責任を果そうとしてきたPMと定義することもできる。P2Mで扱う複雑系のプロジェクトマネジメントにおいて、そのような行動に出るPMが特に多いように感じられる。筆者が特に奇異に感じるのは、「ファイナンスマネジメント」や「リスクマネジメント」を社外のコンサルタントに任せて、自分では理解しようとしないPMである。事業に投資するのは自社である筈なのに、その資金調達・リスクマネジメントを外部専門家に委ねたままで説明責任が果せると考えるそのセンスを疑いたくなる。外部専門家でも人間であり間違いはある。その間違いを見つけ出せるのは事業当事者自身でしかない。自らの事業に関して当事者意識があれば、「この数字はおかしい。」、「このリスク対応策では機能しえない。」というようなことが本能的に分かる筈である。そういう経営者としての勘を強く働かせてもらいたいものである。これは、PMに留まらず、プロジェクトを管轄するプログラムマネージャーや経営トップについても同様に言えることである。
そして、上記のようなPMほど失敗した時に責任を回避したがる傾向にある。言い訳は、「こんな環境変化は誰も想定しえなかった。」、「使ったコンサルタントの能力が低かった。」等々である。それで成功してきたとしても、「企業として何ら経験を積まずに、後世に憂いだけを残しつつあるのかもしれない。」と、この機会に謙虚に振り返ってみるのもよいのではないだろうか。