東日本大震災に寄せて
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東日本大震災からの復興について思うこと

田中 弘 [プロフィール] :11月号

1. はじめに - 国民総忍耐の始まり
 私は東日本大地震を東京羽田空港のターミナルビル内で迎えた。
3月11日午前中は、PMAJが企業から受託した半日研修を立川で行っており、研修を終わり多摩川沿いに電車を乗り継いで羽田空港に到着し、翌日の大阪での会議に出席するため伊丹行フライトを待っていた際の大地震であった。激しい横揺れが収まりかけたら滑走路を挟んで左手前方の豊洲方向で炎が上がり、これで東京も火の海かと一瞬震え上がったが、しばらくして、この火の手は工事現場からの出火で、市街地の火災はない、都内では大きな被害がでてない、との隣の人のワンセグTVが伝えた。
 フライトはすべてキャンセル、陸路も鉄道・バス便は遮断で、空港で翌朝まで籠城を覚悟したあたりから、私が居たラウンジの目の前方向の房総半島にあるコスモ石油製油所タンクヤードの炎上が始まった。被災地の方々の恐怖の程度とは比べようがないが、余震と前方の闇一面に広がる炎は大変不気味なものがあった。
 空港の国内線のラウンジというのは不思議なところで、テレビがない。固定電話も携帯電話も不通であるのでパソコンのインターネットが情報収集源であるが、リアルタイムの状況把握とはいかない。その頃被災地では津波地獄に巻き込まれていた。
 午後4時過ぎから、私のメールアドレスにフランスの大学の同僚達を初めに続々海外の友人達から安否確認の問い合わせが入ったが、福島原発の事故は、パリの大学のニュージーランド人講師からのメールで知った。ヨーロッパの人達がチェルノビル原発事故以来、原発事故に極めて敏感であり、原発大国フランスでは殊更であることを再認識した。
 そして日本では、数十年に及ぶであろう、長く忍耐を強いられる復旧と復興の日々が始まった。
 私は翌朝、その数1万6千人と報道された空港難民の間を縫って満員の電車を乗り継ぎ昼前に帰宅できたが、JR南武線の車窓から、スーパーに入っていく、乳児をベビーキャリーに乗せた若き母親をみて、日本人はなんて平静な国民であるのかと驚嘆した。
 緊張が少し治まった1週間後くらいから、それまでに溜まっていた疲労に、この大変な事態に今後日本はどうなるのか、とうい私なりの苦悩が重なり、それから数ヶ月かなりの体調不良に悩まされることになった。

 被災地が復興し、新たな構造での成長を取り戻すには10年の歳月と最低でも20兆円近く(一部の識者の試算では30~40兆円)の復興費用を要するという。日本が背負った大変重い十字架は、国民全員が背負わなければならないが、約半世紀続いた繁栄に慣れきっており、世界の相対でいえば極めて豊かな国で、これも相対的に極めて平和に暮らしてきた日本人は、大震災の本質である国土・社会の脆弱性の顕在化という大試練にあって、総体として、復興そして新たな、サステイナブルな社会・経済の構築に要するであろう、現在の豊かさをかなりの程度封印するようなライフスタイルを受け入れることができるであろうか。

 私自身が大震災からの復旧・復興と向き合ってきたのは、主として、協力教員を務めている慶應義塾大学大学院ビジネススクールの”Grand Design by Japan”プログラムを通じてであった。
 本プログラムでは、震災直後の3月から8ヶ月連続で日曜日に開催の震災復興フォーラムを横浜の日吉キャンパスで開催しており、8月には3日間に亘り、仙台地区での現地被災状況の実地調査と2回の公開シンポジウムを開催した。このプログラムは、登録は必要であるが公開方式による大学院生・学部生・社会人・慶應義塾内外の大学教授からなる混合研究と教育を主旨としており、講義は実に多くの分野からの講師を招いて行っている。
 これまで、都市防災工学・津波工学の権威者、原子力学者・原子力をテーマとするエネルギーアナリスト、リスクマネジメント・コンサルタント、政府省庁の地域局幹部、漁業関係者、水産学者、農業関係者、医療関係者、地域振興ボランティア、報道関係者をお招きして、大災害の科学・工学的な分析から始まり、防災対策、被災地復旧の状況、サバイバルのための連携活動、復興の方向などについてレクチャーを行っていただき、参加者全員での議論を行っている。
 別途、私として6月と10月に東北大学大学院で半日づつ講義を行い、仙台市の状況などを目視することができた。

 地域行政も含めて被災地の方々の懸命の努力、自衛隊等国家基盤防護機構の方々の献身的かつ優れた有事対応、国民の被災地支援活動、諸外国からの実に親身な救援が相まって、復旧作業は緩急の差はあるが、進んでいる。
福島第一原子力発電所の事故処理は初動こそ(官と電力会社上層部で)大混乱を起こしたが、日本の関連エンジニアリングの底力が徐々に発揮され、米、仏など原子力技術先進国関係者の協力を得て、低温運転停止が間近になってきた。しかし、これから原子力電力利用の将来を含めてエネルギーミッックスが真剣に議論され、除染について長い闘いが続く。
私は2009年7月にウクライナのチェルノビル原発公社の研修所で総裁以下幹部達にイノベーション・プログラムマネジメントのセミナーを実施する機会を得たが、1986年の同原発4号機の爆発事故以来、当該4号機の廃炉、残りの3基の廃炉、石棺とよばれる、炉のドーム型遮蔽構築などを欧米諸国の技術を元に延々と行ってきたが、ドームには亀裂が入っておりこれから作り直し、段階的な除染を経て完全なさら地化にはあと50年かかると総裁は述べていた。
被災したJRの幹線路線は復旧し、国道も三陸沿岸部を除いては復旧した。東北新幹線も大地震後40日で復旧し、すでに全線で本来の運行速度で営業している。つまり交通インフラ大国日本の強い面が発揮されている。その一方で、被災地沿岸部の一部の町の完全崩壊(消失)、消失までに至らなくても多くの建物がいまだに倒壊したまま、あるいは構造は残っても一階部分は空洞という状態が続き、港という港は壊滅的な被害を受けたために、大方の機能回復にはまだまだ道遠しといった状態が続いている。
被災地の状況は7か月たって一層ひどくなっているという声も強い(10月19日に仙台市にて)。
8月時点でのある県の復興への概算事業費(県の沿岸12市町で2.1兆円)を見ると、市町負担分が41%であることを以てしても被災地の復旧への道のりの遠さを実感したが、9月10日の新聞報道で、2011年度第3次補正予算で、「復興関連予算7~8兆円のうち、被災自治体(市町村)へ使途を厳密に決めない一括交付金として3兆円」、という報道があった。その後10月21日に纏まった3次補正予算案では、集落の集団移転や道路整備など40の復興事業への震災復興交付金が1.56兆円、それ以外の種々の復旧に充当する一括交付金が1.66兆円となり、道がついた。
そして、産業日本は、しぶとい回復力を発揮し、9月の時点で、月次生産額では大災害の前のレベルを回復している。その間に企業間や地域間の連携・助け合いがあった。大震災が起こったときに世界のマスコミは、日本産業は今回も、持ち前のResilient Capability(復元力)を発揮して早期の回復を果たすであろうと予言したが、その期待を裏切らなかった。
しかしながら、日本産業が回復しても世界経済の同時不況は根強く、ヨーロッパの金融危機があり、震災で大きなハンディキャップを負った日本の円が異常な高値を維持するという現象が続き、自然変動と経済変調の嵐が世界に吹きまくっていると思わざるをえない。

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2. “災害レジリアント” な社会に向けて
 大震災からの復旧にある現在、盛んに唱えられているのが、「災害に強く安心して暮らせるまちづくり」というコンセプトである。PMシンポジウム2011で基調講演をいただいた東京大学大学院 目黒公郎教授は、「災害レジリアンス(Resilience)の高い社会実現」と謳われている。
 大震災発生以来、私は、室崎益輝 関西学院大学大学院教授(前神戸大学都市安全研究センター教授)、東京大学生産研究所 目黒公郎教授という都市防災工学の大権威の講演を聞き、また、世界一の津波学者・津波工学者である東北大学首藤伸夫名誉教授の「津波と共に50年」という感動的な講義に接し、いずれの先生ともお話をさせていただく機会があった。
 先生方の話で印象に残るキーワードをいくつか紹介すると、
災害にあって人間の生死は運命のみが決めるのではない。普段からの防災の意識と学びの個人レベルでの徹底で生存への道が開ける可能性が高まる。
防災にはハードとソフト(災害時の避難ルートの確保、住民の行動規範など)の両面が必要である。
いのち、暮らす、創る、支える、がキーワード(室崎先生)。
自助→共助→公助・・・つまり自分の安全はまず自分で、次に自分たちで守れ、お上の助けは最後にくると考える。
大津波被害があった1931年の昭和三陸地震の3か月後には、財政支出を含めて抜本的な復興具体策が時の政府や地方自治体から公布されている。それほど、かつて政府の動きは早かった。
百年に一回の大地震が来たので、あるいは千年に一回の大津波が来たので、あと百年、あと千年は大丈夫という推論は危険である。ワンサイクル上の大災害のインターバルに遭遇することもありうる。

 災害は「自然環境特性(地形、地質、気候、等)が招来する自然の驚異(ハザード)と社会環境特性(インフラの特性、政治、経済、宗教、文化、歴史、教育、等)が包含する社会の脆弱性が、各々もたらす禍で、両者が複合するとレバレッジ(梃)現象が起こり大災害となる、また災害は拡大連鎖反応を伴う(進化する)、とされている(目黒教授の定義などを参考に)。
 災害に強い国土作り・地域作り、という目的関数は、①人間の作った科学を以て自然の驚異に対抗するという項、それよりもっと厄介な、②社会の脆弱性の解決という項や③日本人の国民性の改革という項、そして④世界有数の財政赤字を抱える日本においての財政発動という項、の連立方程式を解くことであるから、日本にとって十年の計どころか百年の計にもなる遠大な試みである。
 被災地の市民が復興に向けて意欲を示し、しっかりと動きだし、また、漁港の関係者が熱く復興を語るなかに、あらためて、自然と共生しようとする日本人(特に東北人)の運命観を垣間見た思いがある。
 この人格的レジリアンスは日本が誇るべき原点価値であり、今後とも日本存続と競争力の源ではあるが、その一方で、各レイヤーの復興政策で言及されている、新たな東北を作る(災害レジリアンスの高い東北を創る)という理念と、この人格的なレジリアンスの間の根本的な相克を感じる。
 現実の生存問題(ありのままの姿)と災害レジリアンスの高い東北を創るという有るべき姿のギャップを埋めるには、宮城県の復興政策(次項)にある10年の期間は現実的であるかどうか、走りながらの計画検証・再計画(Rolling Wave Planning)が肝要ではなかろうか。

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3. 復興計画 - 宮城県を例にとって
 国の東日本大震災復興構想会議(議長: 五百旗頭 真 防衛大学校長)が6月にまとめた「復興への提言~悲惨のなかの希望~」はかなり総論的かつ情緒的ですらあり、国として国民としてどのように動けばよいのかよく分からない。立場の異なる委員の種々の考え方や思いが重なり合い、妥協案を作るとこのような玉虫色の提言ができるという典型であろうか。
 大震災当事者である各県はもう少し具体的に復興案を示さないと県民に生きる道を示せない。
 復興計画でミッション、ビジョン、主要な方策がよく分かるのが宮城県震災復興計画(案)である。他県に先駆けて8月中旬には復興計画(案)がホームページ上に掲載されている。P2Mを学んだ方は是非一度ご覧願いたい。  リンクはこちら
 宮城県の復興会議は議長が小宮山 宏先生、副議長が寺島実郎先生と井上明久先生である。
三菱総合研究所の理事長である小宮山先生は元東大の総長で、ご出身は化学工学の先生である。総合エンジニアリング企業などプロジェクトマネジメントを生業とする産業に卒業生を多数送り込んでおられ、PMについて造詣の深い先生である。多摩大学学長の寺島実郎先生は、三井物産戦略研究所所長時代、NHKの番組で誕生間もないP2Mを紹介いただいており、PMAJの2003年PMシンポジウムと2008年国際大会で基調講演をお願いした。P2Mは日本のグランドデザイン構築と達成を支える体系である、と常々ご支援いただいている。そして井上明久先生は東北大学総長であり、地元を代表しての副議長である。東北大学では博士課程修了者・博士課程生を対象として高度技術経営塾を運営して6年目となっており、P2Mベースの「熱き思いを持った、わかる、できる、うごける」研究者育成のプロジェクトマネジメント講座を熱くご支援いただいている。
 宮城県復興会議のトップご三方の、いわばイノベーションに資するプロジェクトマネジメントの洞察力があって、復興計画がP2Mの説く筋道にそって展開されたと信じたい。
 宮城県の復興計画は下図のように普及期・再生期・発展期の10年計画となっている。
ここで復興は、被害を受けたインフラや産業機能を再生する期間と、震災前の状態を超えて新たな宮城県を作る発展期とに分けていることに注目を要する。
宮城県の復興計画

 復興計画の基本理念つまりミッションは、下記の5項目からなる。
復興計画の基本理念

 ここで基本理念2で掲げているのは、次のような絆の概念で説明されており、P2Mというところのプログラム・コミュニティーである。
絆の概念
(いずれも宮城県HPより抜粋)

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4. 産業復興
 生活環境の復旧、インフラの復旧と共に復興の重要な柱である産業復興であるが、これまでの推移は、
大企業の被災地の工業生産拠点はアセンブリー型の工場においてはかなり機能回復が進んできて、生産アウトプットの回復も進んでいる。
トヨタは、震災後も東北を第3の生産拠点として強化し、その一環で関東自動車、トヨタ自動車東北、セントラル自動車を2012年に統合する。
プロセス型生産拠点は広い工場いっぱいにフロー型の生産プロセスが配置されている典型的なプロセス・システム産業であるので、一か所でも機能回復が遅れる所があると生産工程全体が機能せず、設備の抜本的な更新やプロセス短縮による規模縮小を選択するなどが必要である。(大日本製紙石巻工場など)
これは復興計画でいうとこの、復旧にとどまらない抜本的な再構築の、産業版であろう。つまり、この際過去のしがらみを断ち切って思い切って競争力のある生産拠点にしよう、というモデルである。
被災県のうち、岩手、宮城、福島は、農林水産県である。農水産関連の被害は壊滅的で、たとえば、宮城県では、工業被害が5,900億円であるのに対して、水産業被害が6,850億円で全県被害の半分強、農業が5,143億円(宮城県資料)である。宮城県の海面漁業養殖生産額は年間791億円、水産加工生産額が2,754億(2009年統計)であるので、復旧の道は大変困難である。しかし、単純に震災前の状態に戻せば問題解決、ではない。大震災前から日本の漁業は危機に見舞われており(WEDGE2011年10月号特集)、①全国的に漁業従事者はピーク時の5分の1で、減少の歯止めがかからず、②60歳以上の漁業者が約半数で、後継者がいるのは2割程度、③漁獲量はピークの3分の1、④生産技術はノルウェイなどの先進国に大きく後れをとっており、また、⑤漁業権という日本固有(他に歴史的な経緯から韓国と台湾に漁業権が存在する)の制度が漁業の近代化の妨げとなっている。
宮城県は、大震災の復興に向けて、いまこそ宮城の水産近代化の時期として、漁業特区の創設により、事実上漁協独占の漁業を、漁業者が参加する民間企業にも開放する復興政策を掲げて、これに反対する全国の漁協を巻き込んだ宮城漁協との間に全面バトルが起きている。
農業では、宮城県では「経営の多角化や事業連携によって、関連産業の付加価値を取り組んだ農業経営を発展させるアグリビジネス」(宮城県資料)を展開して実績が挙がってきたところに大震災で、大きな痛手であったが、不退転の決意でアグリビジネスを展開するとしている。まずは、津波被害で農地に散乱しているガレキや雑多な金属分のクリーンアップと放射能汚染の可能性からの安全性の確認をこれから行う状態である。
本稿を作成している現在、日本のTPP参加を巡って賛否両論が渦巻いているが、国益と日本の農業のサバイバルからすれば、TPP参加は避けて通れない道であろう。
観光では、東北・秋田新幹線が定常運転に戻り、仙台空港に国内線路線に加えて国際線のうちアシアナ航空のソウル便とコンチネンタル航空(スターアライアンス)のグアム線が再開し、太平洋沿岸部以外の都市では機能がほぼ正常に戻ったが、運輸・宿泊施設は在来のビジネス客と復興関連の関係者の需要がほとんどを占めており、観光客の本格的な出足回復はこれからである。
私には宿泊は仙台市、福島市、くらいしか経験がないが、穏やかで緑あふれる景観、食の質と値段の安さ、それと人情などに大き魅力を感じている。
なんでもよいので目的をつくり東北にでかけよう。

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5. 頑張ろう東北・・・絆(連携)プロジェクト
 復興関連フォーラムに参加するなかで、強い印象に残ったのは復興に向けての連携プロジェクトの実例4件ほどで、NPO法人やNPOの責任者が講演された(注:NPO法人とNPO組織は法人化などの点で異なる)。
 福島県の野菜を関東や東北地方の日本海側の県に知恵をこらして販路開拓をするNPO法人のボランティア達、窮地に陥っている宮城県農業者の生きがいの維持に尽力する青果店主、きりこ細工で三陸の町おこしを再度試みるプロデユーサーでNPO法人理事長(そのきりこ細工は政府の文化輸出日本のアイテムに採用された)、風害被害を打破するための秋田県観光産業の取り組み、などであるが、際立っているのは、
ぎりぎりの状況に追い込まれた大震災の被災者と、何とか力になりたいと、建前ではなく本音で、これまで培った経験・知恵・実践DNAと手法を基に、生きる道を共に築こうとするNPO法人・NPOの迫力と実力
NPO法人・NPOの、「場」の作り方の卓越した力量と支援者の動員力
徹底したコスト意識
である。
 P2Mが非常に大切にしている“ミッション起点”という概念であるが、P2Mにはあまり詳しく書いてないが、ミッションの価値を伝える手法にストーリーテリング(Story Telling)がある。ストーリーテリングは米国のNASAが重用しており、リーダーがミッションの由来と展開の仕方をストーリー性を持たせて語ることで場の構成員を奮い立たせ、求心力を高めるのが効用であるが、私が講演を聞く機会を得た方々(ほとんど女性)はストーリーテリングの名手でもあった。
 仙台のフォーラムで同席した20代の女性3名は首都圏の著名大学の大学院生であり、農業関係NPO活動の最前線で活躍しているという。終了後の懇親会でまた同席となったので、聞き出したところによると、NPOの活動は、大学院の博士論文・修士論文のテーマにそっており(つまり自分の当面の人生目的との整合)、また、ネットで検索していてそのNPO法人の代表理事(女性)のメッセージにストーリー性があり、活動のミッションが明確で、ボランティアに期待される役割もよく理解できたので応募したとのことであった。一週間で、横浜→静岡→喜多方(会津)→仙台→新潟と、福島の農産物を売り歩くという。

 現下の世界潮流や経済の動向を見ていると、日本のどちらかというと骨太のビジネスモデルも、中国、韓国、ASEAN諸国の急激なキャッチアップに逢って・・・時代が変わったのでキャッチアップという言葉を使うこと自体がもはや不遜であろうか・・・かなり先行きが不透明となってきている。成熟市場をくぐり抜ける手段のひとつはBOP (Bottom of the Pyramid) ビジネス、つまりアフリカ等の最貧国の巨大な市場に向けて、角度を変えた市場の創出を行うビジネス、での競争力の確保であるが、ここでも日本勢は初動において欧州勢に大幅に遅れをとっている。
 少し飛躍した推論であるが、私は、ここで記したような、質の高い日本産品や中間財を知恵とネットワーク(場)を生かして付加価値をつけるビジネスモデルを、グローバルスケールに転写したところに、今後の日本経済への貢献余地があるのではないかと思う。
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6.東北はエコ・スマートコミュニティーのクラスターになるか?
 震災後、国や各県政が「復旧にとどまらない抜本的な再構築」という復興コンセプトを掲げた影響か、国内外産業の閉塞感(手詰まり感)からか、あるいは、政府の新経済成長戦略に大きく謳われるインフラや環境ビジネスの戦略輸出という神輿を担ごうという意図もあってか(多分この三位一体であろう)、各県政と多くの大企業が、東北でエコ・スマートコミュニティー構築を推進あるいは支援するという声明を出している。
 もちろん、新生東北が復興とパッケージで今世紀の大きなパラダイムである低炭素社会モデルを実現することを強く願っているが、実現についてはバラ色な絵のみではなく、かなり厳しいシナリオ選択が必要ではないか。
 広く解釈すれば、エコ・スマートコミュニティー概念に含まれるシナリオは次のように分けられる。
系統電力をメガソーラー(大規模太陽光・太陽熱発電)やウィンドファーム(大規模風力)発電、地熱発電など再生再開可能エネルギーで補完し、順次置換する、いわゆるスマートパワー(新エネルギー生産コストの低減が可能な大規模生産プラント技術と伝統的パワーグリッドに関する規制緩和がキー)
小地域(最大500戸程度)で、再生可能エネルギーの組み合わせを主体に、系統電力をバックアップにしたエネルギー地産地消型のミニ・スマートコミュニティー(低価格を実現した蓄電池、HEMS-家庭エネルギーマネジメントシステムなどが中心技術)
人口数万人の小規模市など地域を挙げてのスマートエネルギーと低炭素化交通インフラ、例えばEV、HEVネットワーク、バイクビズ、を組み合わせたエコ・スマートシティー
駅ちか包括行政サービス+アメニティー、LRT(ヨーロッパ諸国や富山市に例をみる省エネ型、高速、低床路面電車)、パーク・アンド・ライド、カーシェアリングなど低炭素社会のパラダイムを実現するコンパクトシティー
人口10万人から数十万人規模までの都市を新規で構築する、あるいは数万人単位の小都市を順次串刺し状にリノベートして造る、大規模資源循環とエコ交通ネットワークを装備したコンパクト社会であり、かつエコ・スマートシティーで、スマートホーム(ホーム蓄電池、スマートメーター がキー)、省資源工場・商業施設(BEMS -ビルディング・エネルギーマネジメントシステムがキー)、地域節電所(CEMS: クラスター・エネルギーマネジメントシステム)等から成る本格的なエコ・スマートコミュニティー

 これらの中からの選択となるが、技術の即実用性からすれば、特に宮城県や福島県は年間日照時間の長さが全国有数ということであり、コスト的な目処と大規模な土地の利用可能性がクリアされれば復興東北で一番早く実現できそうなのが①のスマートパワーであろう。PVパワー(太陽光発電)のほかに、太陽熱発電のルートもある。日本企業が事業参加しているスペインの太陽熱発電事業では、5.2万世帯の一般家庭用電力を賄う100メガワットの出力規模で事業費は550億円程度と報道されている。
 シナリオ②から④については、現下の状況では、家庭戸数千程度の国の実証モデル事業でも実証に目処がつくのがあと3年半、コストでは、③をターゲットしたエコ・スマートコミュニティーのモデル装備で135億円(けいはんなエコシティー「次世代エネルギー・社会システム実証」プロジェクトより)であり、一方、日本の4つの企業コンソーシアムが、日印共同国家プロジェクトである、インドのデリー・ムンバイ産業大動脈構想のフラッグシップ(旗艦)プログラムとしてFSの途上にある⑤の広域エコ・スマートシティーの事業費超概算がエコスマート要素実装部分で1,000億円超と報道されている。
 これらから推定すると、東北の被災地でほぼ新設の地域造りにエコスマートコンセプトを一斉に導入するのは実現性が低いのではないか。
 実現の可能性があるとすれば、2010年度から走っており、国(経済産業省)の「次世代エネルギー・社会システム実証地域」に選定された横浜市、豊田市、京都府(けいはんな学研都市)、北九州市の事業に参加する企業が、実証の目的のひとつである本システムの戦略輸出モデルの構築という観点を援用し、実証の時間短縮を狙うという観点から、採算を度外視して自治体に協力する結果、エコ・スマートコミュニティーが点在して構築されるということ、であろう。
 ちなみに、エコ・スマートコミュニティーの戦略輸出も、スマート側では、ひとたび要素技術が確立すると、コモディティー化が一気に進み、市場競争は、コミュニティー開発のファイナンスを組成できる企業体、大規模な運用経験を有数する企業体、ホスト国の案件実施背景の差異性に配慮したテーラーメーキングのできるプログラムマネジメント力を有する企業体、のみに勝機があるという厳しい戦いになるのではないかと予想するが、いかがだろう。
 また、戦略輸出ではAll Japanチームというコンセプトが先行したが、これのみでは国際競争に勝てないという声も高まり、最近はAll Japan & Worldというコンセプトも出てきている。逆に東北の復興に資するとのアピールのもと、米国のエコスマート・ベンチャーが東北進出の意思表明を行うなどの事例も出ている。
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7. 復興とP2M
 さて、そのような大震災復興においてP2Mがどのように役に立つかであるが、検証を行ってない、あくまで私的な感触としてではあるが、以下に述べてみる。
 一言で言うと
当座の救助活動(レスキュー)・復旧活動にはあまりP2Mの出番はなかった
今後復興フェーズに入るとP2Mを磨きあげれば大いに出番はある
と感じている。
 まず、震災・津波災害からの救助と復旧についてであるが、今回規模の国難への対応では、きっちりとした検証済みのプロセスを持ってないP2M、というよりプロジェクトマネジメント体系では、とても間に合わないというのが正直な感想である。
 大災害でのレスキュー展開で一番活躍したのは自衛隊である。全陣容11万人のうち、6万の隊員が今回の大震災に投入され、多くの人命を救い、また、二重災害の危険があるなかで困難を極める復旧作業を最大限効率良く、効果的に展開してきた。
 自衛隊では、リスクマネジメントの基本方針と実施方法を階級別に徹底的にプロセス化しており、国においてのあらゆる有事を想定して、シナリオ分析に基づく展開シミュレーションを常日頃行っていることが種々の参考文献からうかがえる(PMシンポジウムで講演戴いた福山 隆元陸将の講演「想定外の事態におけるリーダーのあり方」他)。有事への対応マネジメントは自衛隊、警察にまかせておいて、P2Mはその次の復興ステップに焦点をあてた方がよい。
 また、米国の80年代までのプロジェクトマネジメント界で、プロジェクトマネジャーには時にHorse Senseと呼ばれる火事場の判断力的なマネジメントセンスが必要と言われていたが、有事にあって最後は個人のぎりぎりの判断力が生死を分けたり、被災するかどうか、を決めるとも言えるであろう。
 ただし、大災害発生後2週間後くらいからの、一連のサバイバル戦線においては、
災害緊急対応の次の波状的な後処理作業の工程プロセス化とリーダーシップのあり方(スマトラ沖地震以来PMIが熱心に見える化を行っている)
活動の優先順位設定のマネジメント
ボランティアを組織化するチームビィルディング方法論と実践モデル
を構築しておくと、P2Mの価値も上がるであろう。
 なお、P2Mは知恵を引き出してイノベーションを起こす仕組みを創ると常々説いているが、これも哲学だけでは説得力がない。困難な時期にあって、絆プロジェクト、つまり困った人たちが知恵を出し合ってビジネスモデルを創っているということは上記で述べたとおりである。P2M資格を持っている人たちはまず動いて知恵をモデル化しよう。
 次に復興段階についてであるが、今回のような大震災後の復興では、官においても企業においても、在来のマネジメントが通用しない局面が多々出てきている。実際、地方自治体の復興計画は、上記の宮城県の例に見るように復興計画は在来のプロジェクトマネジメントの間尺にはとても合わないプログラムである。いまこそP2Mの出番である。 ♥♥♥
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