大阪フォーラムコーナー
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PMフォーラム2011大阪 PMを終えて

PM 林 健太郎 (PMAJ関西KP) [プロフィール] :11月号

9月号の光藤理事長、10月号の山崎PDの後を受け、PMの視点から大会を振り返り、次回PMへのバトンタッチとします。

1. 過去2回の財産
2007年はPMAJ関西の代表である山崎理事がPD兼PMとして「初の開催」に付随する問題解決のために、強力なリーダーシップを発揮されました。2009年は場所を京都に変え、ダブルPM(中江さん・下野さん)という実行チーム体制もうまく機能して、新型インフルエンザの流行にも負けずに開催できました。そして、いよいよ三都物語締めくくりの大阪開催ということで、2回の経験を持ったメンバーが2年後の開催に向けて決起したのが京都大会終了当日の慰労会でした。(2009年5月23日)

2. 会場の選定
東京で毎年開催されているPMシンポジウムと大きく違う点が、「会場選定」から始めなければいけないことです。一からの会場確保と日程の決定を行うためには、隔年開催が実現可能な最短のタイミングです。今回も、午前:基調講演、午後:トラック別講演というプログラムに適した会場探しから始めました。収容可能人数、費用、交通の便、開催予定日の空き状況、何日前から申込可能か、など評価項目を設定して検討した結果、今回使用した大阪国際会議場グランキューブに絞り込みました。しかし、この選択は少し「身の丈」を超えたものでした。それは、収容人数が500人と過去の2回の実績の倍ほども大きく、費用も高いということでした。しかも、過去2回に実施している5月下旬は会場が空いている週末がなく、7月31日の日曜日を選択するか、他の候補会場にするかで悩みました。この時は、プログラムの内容もこれから決めていくという段階でしたので、実行チームの士気を高め、プロジェクトを前に進めるために、「身の丈」を超える決断をPMとして行い、理事長をはじめとする協会幹部に「企画書」の説明を始めました。(2009年11月)

3. 何人集客するのか
企画書には、①開催日時と場所、②開催テーマ、③集客目標、④収支、⑤実行チーム体制、⑥プログラム概要を記載します。①が設定でき、②も大阪ならではの設定をして、いよいよ③と④の設定です。前2回よりも「安く」、将来を考えた「意欲ある学生が参加しやすい」こと、単独プロジェクトとしての収支はトントンにすることから、結局③は400人とし、安い参加費での④も立案しました。今から思えば400という数字は高すぎたハードルでしたが、集客作戦として、ポスターを初めて作成し、勧誘に役立てることができました。パンフレット、ホームページも含め、これらの広報ツールの製作には、実行チームメンバーの絶大な協力をいただきました。広報する内容は、企画チームが選定した講演者、講演テーマ、略歴、などですが、多数の目で確認していても、不思議と間違いはゼロにはなりません。後日のホームページの修正なども含めて、辛抱強く対応していただいたことに改めて感謝いたします。

4. 実行チーム
2010年3月に結成された実行チームは、新しいメンバーの不足に苦しんでいました。東京では、毎年メンバーの入れ替わりが行えると聞いていますが、関西では例会開催を中心に行っている幹事・KP(キーパーソン)もメンバーの固定が悩みの一つです。しかし、実行チーム内で兼務が多くても、それによって情報共有がしやすいぐらいに考えました。次回の大会では、新たなメンバーを多数迎え入れるとともに、経験者も今までに担当していない役割に限定することができればと思います。
私も、PMを拝命してから会社業務との両立に苦心しました。関西という広域に散らばっているメンバーを集めての実行チーム会議を四半期に一度開催したり、会場の下見に行ったり、講演者や後援・協賛のお願いやお礼に行ったりと、通常の勤務時間を割く必要も出てきます。田中理事長(当時)には、来阪の際になにかと時間を割いて私の勤めるオフィスにお越しいただき、上司や役員にもご挨拶いただきました。そのおかげで、この活動への上司の理解を得ることができました。この場をお借りしてお礼を申し上げます。

5. プログラム
さて、いよいよ大会の骨格をなすプログラムについてお話します。詳細は、近日発行されるジャーナルをご覧いただければと思いますので、ここでは基調講演の選定について紹介させていただきます。大会テーマは意外とすんなりと決まりましたが、基調講演者を大阪での開催ということから、私の所属会社が携わっている大型の建設プロジェクト関係で適切な方を探していたところ、元阪大総長の宮原先生を推薦していただき、あっという間に理事長にも大阪でご挨拶いただいて決めることができました。その後、宮原先生と総務省との関係からPMAJとのつながりも作ることができ、縁の不思議な力を感じました。もう一人の基調講演者である青木社長様は、開催テーマの中小企業の代表として、私が参加を勧誘した30代の人たちには、非常に強いメッセージを伝えていただけたようで安心しました。
午後のトラックは2009年の京都と同じく、5本立てでの準備を進めましたが、そのうちのP2Mトラックには、私のPMとしての思いをこめた構成にすることができました。それは、「P2Mであなたは何をしたいのか?」というメッセージです。関西P2M実践事例研究会の5年間の成果を振り返るとともに、参加者に「P2Mで自分は何をしたいのか?」についての気づきを持って帰っていただければ成功だと思います。

6. 大会当日
いよいよ当日を迎えました。3月11日の東日本大震災を経ての開催であり、関西でも電力不足が懸念される中、幸い天候にも恵まれて開催することができました。いよいよ受付が始まり、基調講演会場もある程度埋まるぐらいの参加者に来ていただくことができ、まずは一安心でした。午後に入り、5部屋に分かれての各トラックが始まり、あっという間に予定の終了時間がやってきました。場所を10階会議室フロアから5階にかえて行われた懇親会には、日曜日の夕方にもかかわらず大勢の方が参加されました。手作りの、手弁当の、スタッフの思いの詰まった大会が無事に終わりました。

7. 次回に向けてのポイント
いくつか私が気付いた点をあげておきます。
  目標参加人数は200人とすべし(身の丈を考える)
  プログラム構成は、基調講演1名+厳選された講演者数名(3トラックぐらいか)がいいのではないか
  準備期間は、会場探しはあるとしても、実行チームの実働期間は東京と同じ10か月程度ですべし(時間があればあるほど心配事が増えるだけ)
  開催は5月下旬がよい(7月は台風シーズンですし、東京シンポとも時期が近すぎる)
  PMを学生のうちから学んでほしい、という思いで学生にも多数参加してもらおうとしましたが、当日の参加はごくわずかであった。

8. 反省会
プロジェクトは終わり方が肝心です。今回のPMとしての最後の仕事を「反省会開催」と設定し、収支やアンケート結果も出揃った10月初旬に、信州御嶽山麓で1泊2日の合宿形式で開催することができました。次回フォーラムにむけた建設的な意見や新しいアイディアが出されるとともに、新そばと温泉を堪能して実行チームの慰労ができたと思います。当日所用で参加できなかったメンバーの方々は残念でしたが、次回フォーラムの際には是非ご参加いただければと思います。
最後に、今回の開催に当たり、多大なご協力をいただいた皆様に、厚く御礼申し上げます。
以上

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