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「ダイバーシティ時代のプロジェクトマネジメント」
~違いを認識する力~

井上 多恵子 [プロフィール] :11月号

 子育てのシーンを思い出して欲しい。親から叱られた時に、あるいは自分が親として子供を叱る際に、どんな言葉を投げかけられたか、あるいは使っているか?日曜日の18時からNHKで放映されている「白熱教室」に4回シリーズで登場した明治大学国際日本学部の小笠原教授によると、親が子供を叱る際に日本では「出ていけ」と言うのが一般的なのに対し、米国では、「外出禁止」になるとのこと。この真逆な台詞は、日本とアングロサクソン文化の違いをよく表しているという。「出ていけ」と言う言葉が懲罰として効果があるのは、日本人が、「他人との関係性から排除される」ことを好まないからで、「外出禁止」が米国で懲罰として効果があるのは、米国人が「自己決定権をはく奪される」ことを好まないからだそうだ。「外出禁止」を徹底できるよう、部屋のカギも外からロックすることができるそうだ。
 私は思春期を米国で過ごしたが、親の教育は「出ていけ」スタイルだったように思う。また、大学を卒業して以来、ひとつの会社で働いているので、組織に対する帰属意識も高い。自分が今いる組織から「排除される」ことがあったら、精神的なダメージも大きいだろう。高校2年生以降米国と英国で学び、勤務し、子育てをしてきた姉とは、考え方も、個人としての強さも違う。姉はたくましく、どういう環境であっても生きていけるタフさを持っている。それはずっと「個」が問われ、「自分で物事を決めていく」社会の中で生きてきたからだろう。翻って私は、多くの日本人同様、「依存型」の傾向が強い。しかし、今日のように環境変化が激しく、どの組織であっても継続性が保証されない中では、精神的にもっと自立しないといけない、と危機感を覚えている。
 さまざまな国籍の人とプロジェクトを推進する場合は、「自己決定権」を大事に思う人がいることを理解し、「各人に目を向け」、各人の責任と権限の範囲を明確にし、権限の範囲内では、「自ら決定することができる」環境をつくらなければならない。特に、マイクロマネジメント(細部にわたり関与する)をする傾向にあるリーダーは、要注意だ。「この件については任せたから」と言っておきながら、「そのやり方じゃ駄目だ!」と言ったり、相手が決めたことを、きちんとした説明も無しに覆したりするのは、相手のやる気を損ねるだけではない。我々日本人でさえ、「こんなんじゃやっていられない!こんな会社、辞めてやる!」と愚痴を言いたくなるのだ。組織への「帰属」意識が弱い優秀なプロジェクトメンバーを失ってしまうリスクは、十分考えられる。
 小笠原教授は、この他にも、プロジェクトを推進する際に参考になることを紹介していた。例えば、「日本人は言葉に対する感受性が低く、言葉の基本定義をせずに話をする傾向にある」という指摘。これは肝に銘じたほうが良い。プロジェクトの目標や成果物を決める際、関係者のイメージが合っていないと、後後トラブルのもとになる。私も、ゴールが曖昧で誤解が生じたケースをいくつか経験してきた。特に、社外の人が加わるプロジェクトでは、同じ言葉を違う意味で捉えている可能性も高いので、ゴールにしろ、何かの仕様にしろ、「するべきことリスト」にしろ、ステークホルダー間で、キーとなる言葉に対する理解を同一にすることが望ましい。
 欧米人と仕事を上手く進めていくためには、自分の意見を持ち、感情のしこりを残さない形で議論ができる必要があることも、教授は強調していた。このことは、私も実感している。米国の高校の授業では、ディベートをしたり、政府の高官になったと仮定して自分の考えを伝えたりする場面などを経験してきた。米国では、What’s your opinion? (あなたの意見は何ですか?)とよく聞かれる。突拍子もない意見であっても、「何も意見を持っていない」というのよりは数段いい。読者の皆さんも、今後、より多様な人々とのプロジェクトに参加する機会が増えてくると思う。その際には、ぜひ、「こんな意見を言うと恥ずかしい」「英語がうまく話せないから」などの理由から黙ったままでいるのではなく、まずは、「意見を出してみる」ことを意識的にやることをお勧めしたい。そうすることで、周りの目も違ってくる。どんどん意見を出しフィードバックをもらうことで、意見の質を高めていけばいい。
 今回のタイトルは、「違いを認識する力」とした。上記で取り上げた「自己決定権を大事にする」「自律できる強さを持つ」「自分の意見を持って発言する」を、継続して実行することは難しい。私も頭では十分理解しているものの、なかなか実行できていない。だからといって、「違いがあること」に無頓着では話にならない。まずは「違いを認識し、違いの中身を理解し、それらに上手く対応できるよう工夫を重ねること」でしか進歩はないのだろう。
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