PMプロの知恵コーナー
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「エンタテイメント論」(43)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :10月号

エンタテイメント論


第2部 エンタテイメント論の本質

2 左脳的思考と右脳的思考
●エンタテイメントとは何か?
 エンタテイメントに関する下記の幾つかの「問い」について「第1部 エンタテイメント論の概要」の中で様々な現実の場面を取り上げつつ、答えてきた。第2部では、下記の「問い」だけでなく、より広い範囲からエンタテイメントに関する「問い」を明らかにし、学者先生の講義の様にならず、出来るだけ実例を基に議論を深めたい。

エンタテイメントとは何か?
エンタテイメントの効果は何か?
エンタテイメントの役割は何か?
エンタテイメントの重要性は何か?
エンタテイメントの必要性は何か?
エンタテイメントの究極の狙いは何か?


 さて①の「エンタテイメントとは何か」という「問い」については、上記の通り、第1部で何度か答えている。改めて言うと、それは、「遊びを核とする双方向のコミュニケーション」である。しかしこの説明では不十分であると思う。しかも「エンタテイメントの本質とは何か」を本当に理解して貰うこと、感じて貰うことは極めて難しいと痛感している。

 「禅」の教えは、その悟りへの道に「理入」と「行入」があると説く。前者は、言葉(理)によって、後者は行動(行)によって悟りに迫ることを意味する。しかしそれだけでは十分でない。厳しい修業(座禅、禅行、荒業など)を経て初めてが悟りを得ることが出来ると説く。

 筆者は、昔、某禅寺でわずかな期間、修業の真似事をしたことがある。残念ながら「禅」は、チンプンカンプンであった。しかし筆者を指導した禅僧が「禅を教えることは極めて難しい」と述懐していたことを今も鮮明に思い出す。比較すること自体が不謹慎であるが、禅の悟りを得ることとエンタテイメントの本質を体得することがダブって見えて仕方がない。
禅の教えを悟らせる難しさ   エンタテイメントの本質
を体得させる難しさ
出典:費隠通容(ひいんつうよう)禅師 黄檗山萬福寺のHP 出典:That's Entertainment AmazonのHP DVD販売リスト
出典:費隠通容(ひいんつうよう)禅師
黄檗山萬福寺のHP
  出典:That's Entertainment
AmazonのHP DVD販売リスト

●左脳と右脳
 「エンタテイメント」を本当に理解し、感じ入るには、「夢工学」の観点からは、その構成要素である「ロゴス論」と「パトス論」の助けが必要であると考えている。また人間の「心」を宿す「脳」の観点からは、大脳を二分する「左脳」と「右脳」の助けが必要であると考えている。

 「夢工学」の観点からの議論は、本稿の以前の連載が「夢工学」であり、それを参照すれば可能である。また本稿でその一部を既に論じており、今後、論じる予定である。そのため、ここでは、「脳」の観点からの議論に限定した。ついては「左脳」と「右脳」とは何か? どの様な働きをするのか? これらを明らかにして、その両者とエンタテイメントの本質との関わりを論じたい。

 人間を含め脊椎動物は、大脳の左半分の所謂「左脳」が体の右側を、右半分の所謂「右脳」が体の左側をそれぞれ交差してコントロールしている。何故そうなのか、今だに「謎」である。一方昆虫などの無脊髄動物は、「左脳」は体の左半分、「右脳」は体の右半分をコントロールしている。

 カリフォルニア工科大学の元教授であった故R.W.スペーリー博士(Roger Wolcott Sperry、1913-1994)は、1981年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。彼の大脳に関する研究によって初めて左右の脳の働き、その関係、その相違などが明らかになった。その研究を契機に、この分野の研究が飛躍的に進んだ。

 「左脳」は、言語機能、計算機能、論理思考機能、分析思考機能などを持ち、謂わば「直列思考」に優れた脳(左脳思考)である。言い換えれば、新聞や本の記事を一字づつ直列的に読み、その原因と結果の関係を考える様な「時間認識」をする脳である。 スペイリー博士は、左脳を「ロゴス脳」と表現した。

 「右脳」は、立体認識機能、統合認識機能、物体識別機能、直感機能などを持ち、謂わば「並列思考」に優れた脳(右脳思考)である。言い換えれば、広告の文字や絵を並列的、全体的、総括的に考える様な「空間認識」をする脳である。またその脳は、モノゴトの連想、新しいモノの創造、新しい音楽や絵画など芸術的創造などが得意な脳でもある。同博士は、それを「パトス脳」と表現した。

 なお左脳は「時間認識」の脳、右脳は「空間認識」の脳と述べたが、それを更に言い換えると、前者は「理性的思考」の脳、後者は「感性的思考」の脳とも言える。

 しかし左右の脳は、別々に機能するのではなく、両脳を結ぶ神経の束「脳梁(のうりょう)」によって相互に機能し合って正常な神経活動、言い換えれば、人間の「心」の働きが発揮されるのである。
出典:脳に関する情報 ウイキペディア
出典:脳に関する情報 ウイキペディア

 なお筆者が説く「夢工学」は、ロゴス論とパトス論で構築されている。人間の左右の脳の働きは、夢の実現と成功に大きく貢献している。しかし両者は全く別の理論である。

●エンタテイメントと左脳と右脳
 エンタテイメントとは、遊びを核とする双方方向のコミュニケーションであるという表現は、まさしく左脳的表現である。言葉、文章で表現すること自体が左脳的だからである。それらの表現を通じて左脳的、理性的にエンタテイメントの本質と実態を掴める。

 しかしエンタテイメントを言葉、文章だけでは、右脳的でなくなる。そのため言葉や文章に代わる、「絵」、「写真」、「動画」などのイメージによってエンタテイメントを「疑似体感」すればよい。更に現実のエンタテイメントの現場で「皮膚感覚」を通じて体感すれば、エンタテイメントの本質と実態を掴める。これが右脳的、感性的な認識をすることを意味する。

 しかし誰しも、意識的にエンタテイメントを理解したり、感じたりしている訳ではないだろう。そうでなく、自然に、無意識に、両方の脳と両者を結合した神経の束を通じて(精神活動)、言い換えれば、「心」の働きによってそれを理解し、感じていると言えよう。

●昔と今の東京・繁華街
 エンタテイメント論の10号(2008年12月19日)で標記のテーマを議論したことがある。昔の繁華街の下町があった日本橋、人形町、築地、深川、神楽坂などには、個性的、交流的、人間的で「明るい表情」があった。そして未知の人達との交流まであった。

 しかし最近の東京の繁華街は激変した。新宿のコマ劇場は閉鎖され、周辺の映画館も次々と消えた。また歌舞伎座も取り潰され、ビルの中に押し込まれる様だ。演芸場、講談小屋なども次々と姿を消した。筆者が箱出演している「東京倶楽部」は、何と最近2店舗を拡張開店させた。しかしこれは例外として他の「ジャズのライブハウス」は次々と閉店に追い込まれている。

 一方コンクリートとガラスの商業ビルは、東京駅、秋葉原駅などに次々と生まれている。しかしいずれも画一的、無機質、非個性的、非交流的、非人間的な「冷たい表情」のビルの町になってきた。この現象は、地方都市も同じである。

 しかも都市開発の謳い文句は別として、その底流にはビルの施主も、建設会社も、「金儲け第一」として都市開発を進めている。そのため完成したビルには収益確保第一順位の商業ユニットが優先的に占拠している。ライブ・エンタテイメント空間は、最初から排除されている。その結果、「心からの笑い」や「歌声」は殆ど聞こえず、食欲と飲欲に満たしながらのバカ笑い、猥褻な会話、上司や会社の悪口ばかりがビルの中の飲食店から聞こえてくる。

 筆者がセガ勤務時代に最初に完成させた「横浜ジョイポリス」、次にオープンさせた「新宿ジョイポリス」は、とっくの昔に姿を消し、同時期にオープンさせた「東京ジョイポリス」は、今や都内で唯一残っているセガの施設である。この施設の他に、若者達を満足させる「遊び空間」は、ディズニー・ランドとディズニー・シー、パチンコ、そしてラブ・ホテルぐらいしか残されていない。中高年が遊べる空間は、更に狭まって、パチンコや飲み屋を除き、殆どない。その結果、若者と中高年は、友達や知人たちと飲食をしながら会話を楽しむことに専念する様になった。

 しかし東日本大震災、放射能、風評被害などで人々は町に出ず、家に引き籠る様になった。その結果、町に出て友人達と飲食と会話をすることが減る一方、「ライブ・エンタテイメント空間」は激減を続け、未知の人との交流は殆ど皆無になった。友人も、知人も持たない孤独な人は、「マズローの欲求理論」の最低レベルの欲求を追い続け、家に益々引き籠るか、殺伐した町を徘徊するしかない生活に追い込まれている。

 以上の様な実態からエンタテイメントが持つ重要性と必要性は、ますます高まっているのである。しかし多くの人々はその事に気付いていない。
つづく
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