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「エンタテイメント論」(42)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :9月号

エンタテイメント論


第2部 エンタテイメント論の本質

 本号から「特定のテーマ」を取り上げ、下記の「発想法的展開」によってエンタテイメントの本質に迫ることにした。また本号では「明るい話題」をテーマとして取り上げると予告した通り、東日本大震災と原発事故で沈み込んだ日本人を元気付けた「なでしこジャパン」の2011年サッカー女子ワールドカップ優勝を取り上げた。

 さて第2部の「エンタテイメントの本質」で筆者は、何を訴えたいか? その答えを最初から明らかにして議論を進めるのが「演繹的展開」の方法である。その反対にエンタテイメントの本質に関わるさまざまな事象を取り上げ、最後にその答えを明らかにするのが「帰納法的展開」の方法である。前者は、大学の講義の様で分かり易いが味気ない。後者は、面白いが散漫で分かり難い。そのため本質は必ずしも1つではなく、幾つが重層構造を成していることから両者の方法を繰り返す「発想法的展開」にした。

2 明るい話題
●日本女子サッカーチーム「なでしこジャパン」の功績
 本紙面を借りて再度、「なでしこジャパン」のサッカー女子ワールドカップ優勝に「おめでとう」と、そして国民栄誉賞受賞に「おめでとう」と言わせて頂きたい。
出典:2011年サッカー女子ワールドカップ・なでしこジャパン優勝&国民栄誉賞受賞 共同&読売新聞
出典:2011年サッカー女子ワールドカップ・なでしこジャパン優勝
&国民栄誉賞受賞 共同&読売新聞

 東日本大震災と原発事故の暗い日本に「明るい夢」を与えた「なでしこジャパン」の功績は、高く評価される。彼女達は、優勝杯に加えて、国民栄誉賞も獲得した。

 しかし表彰側の政府、政治家、官僚などは、何故、国民に「明るい夢」を与えられないのか。この問題は、日本の国家理念、国家戦略、国家体制、国家運営に深く関わる。と同時に国民の生活理念、生活戦略、生活体制、生活運営とも密接な関係がある。更に本論の「エンタテイメント論」とも深い繋がりがある。この問題については、本論の別の号で改めて取り上げることとしたい。

 さて「なでしこジャパン」の輝かしい功績の陰に隠れてしまったが、エンタテイメントの観点からも大きい功績がある。

 多くの日本人は、声を張り上げ、手を取り合って競技場で、TV画面の前で、「なでしこジャパン」の選手を応援した。そして優勝の瞬間、日本選手だけでなく、競技場の日本人の観衆、TVの視聴者は、飛び上がり、抱き合い、「感激」、「感涙」、「感動」を分かち合った。これぞまさに「エンタテイメントの極致」を味わった瞬間でもあった。人々に「感動」を与えるということは立派な「功績」である。

●感動と理解
 「なでしこジャパン」が生み出した「感動」は、正真正銘、本物である。最も高度で質が高いエンタテイメントは、この様な感性に強く訴える、所謂「感動」を生み出す。と同時に、理性面にも強く訴える「あるモノ」がある。それは、日本選手が何かを計画し、何かを実行し、何かが成功に導く鍵であると考え、最後まで諦めず、挑戦して「夢(優勝)の戦略」を実践したから優勝したという「理解」である。

 筆者は、「理解」という言葉を使ったが、それ以外に納得、得心、会得、感心などの言葉もある。しかし「感動」に対峙して、理性に強く訴える「あるモノ」の表現としては、どの表現もインパクトが弱い。理論、戦略、法則、計画、理屈などを、極めて強く、深く認識した時の適切で簡潔な言葉が思い付かない。しかし本論を前に進めるため、取り合えず、「理解」という表現にした。もっと適切な言葉を教えて欲しい。

●民放のお笑い番組やエンタ番組
 日本の最近の民放TVの「お笑い番組」、「エンタ番組」は、ますます低俗化し、刹那的、瞬間的になり、詰らなくなっている。その結果、若者のTV離れだけでなく、中高年のTV離れも進んでいる。最近、島田紳助の引退が話題になり、関係者は慌てている。その理由がどうあれ、彼個人の人気に頼り切り、優れたエンタテイナーの発掘や育成を怠ってきた民放の戦略の無さと弱体化は目を覆うばかりである。また国民から視聴料を取っているNHKも大きい問題を抱えている。更にスポンサー企業にとって最重要な民放番組の合間に流される「コマーシャル」の内容と質は、以前に増して低俗化し、刹那的で、瞬間的で、訴求力を失っている。

 これらの根本原因は、番組に関わる内外の人間に在ることは言うまでもない。「低予算で、短期間で作らねばならないから良い番組が作れない」といつもの言い訳が民間TV関係者から聞こえてくる。ならば予算も、制作期間も恵まれているNHKは、優れた番組を作っているか。観れば分かるだろう。いずれにしても、ゴミの様な番組ばかり作っている「民間TVビジネス」は、地デジ化しても、ますます傾斜産業の仲間入りをする様になるだろう。

●番組の生産者と消費者
 上記の「内外の人間」とは、TV局の番組プロデューサー、ディレクター、広告代理店、番組エージェント、番組制作下請け会社、番組スポンサー会社の関係者などの番組生産者(正しくはメディア発信者)と当該番組をスタジオで見る観客やTVで観る視聴者(日本及び外国)などの番組消費者(正しくはメディア受信者)のことである。

 番組の生産者と消費者の双方がこの問題の原因を作っているが、根本原因は、番組の消費者に在る。本当のエンタテイメントを求める人はTVをあまり観ない。観てもニュースか、評判となった又は大ヒットした劇場映画のTV放送などしか観ない。観ないから視聴者訴求力が低下し、スポンサー料はますます落ちる。落ちると予算が削られ、言い訳され、番組の内容と質がますます落ちる。それでもTVを観ている人は、番組の内容や質などにあまり関心がなく、ただ面白ければよいとか、特定の贔屓の俳優や歌手を観れば満足とか、単純に暇潰しで観るとかで観ている。最近、画面の質を向上のため「地デジ化」された。しかし番組内容と質が特段改善されたと思われない。

 番組消費者であるTVを観る視聴者が真のエンタテイメント性をTVに求めない以上、番組生産者は適当に放送時間を埋める安直番組で逃げることになる。この様な悪循環を断ち切るには、根本原因者のTV視聴者を目覚めさせる様なエンタテイメント性のあるTV番組を生産者が制作するしか問題を解決する以外にない様だ。

 筆者は、TV業界というソフト・ビジネスに於いてわざわざ「生産者」と「消費者」いうモノ的表現を使ったのは、この問題がTV業界の他に映画、音楽、演劇、出版、観光などは勿論、ハードウエアーとしての商品、製品の生産者と消費者の間に於いても「エンタテメント性」が、その成功の鍵を握ることを暗黙裡に伝えたかったからである。

 さて生産者は、何故「詰らない番組」を作るのか? 何故「詰る番組」を作れないのか? その答えは 本号の「なでしこジャパン」のところで述べた。また本論の第1部でも何度か指摘した。この生産者は、低予算や短時間に苦闘し、時には安直な番組も作る、しかしその道を選んだ彼らは、やはり番組プロである。彼らは、心底では「面白さ」や「感動」という感性に強く訴え、感性的欲求を満たす番組をどの様に創ればよいか、日夜真剣に考えている様だ。

 本論、言い換えれば、「夢工学式エンタテイメント論」に準拠すると、ある事が明らかになる。それは、彼らがあまりにも感性的欲求の追及に重点を置き過ぎて、結果として「詰らない番組」を作ることになっていることだ。そうではなく、理性に強く訴え、理性的欲求を満たす番組、理解される番組を同時に、同質に創ることである。しかしこの両者をバランスさせるという表現は誤解を生む。筆者は、繰り返しであるが、バランスではなく、両者を同時に、同質に創ることを強く薦める。

 脳生理学や脳科学は、人間の感性や理性の本質や仕組みの解明に取り組んでいる。しかし残念ながら解明の途上にある。はっきりしていることは、人間の感性と理性が共に満たされる時、深い感動と共に深い理解が得られることである。

 低予算で、短期間で苦闘する番組生産者、同じ条件で苦闘する新商品生産者(開発者)に伝えたいことがある。それは、たとえ「感動」まで与えられなくても、「感性」に訴える「面白さ」を、たとえ「理解」まで与えられなくても、理性に訴える「納得」を同時・同質に追求すれば、必ず成功の甘い香りを嗅ぐことが出来ることである。言い換えて繰り返し述べるが、それは、「番組生産者は、理解または納得を、新商品生産者は、感動または面白さを忘れることなく、同時、同質に追求する」ことである。

●北京オリンピックの日本女子ソフトボール・チーム
 2008年9月24日、エンタテイメント論(7)で取り上げたテーマは、北京オリンピック・女子ソフトボールで優勝した「日本女子ソフトボール・チーム」のことである。その時、中国は世界最高の51個の金を獲得した。米国は36個、ロシアは23個、日本は9個、日本より国土も、人口も、経済力も小さい韓国がなんと13個も獲得した。

出典:北京オリンピック・日本女子ソフトボール・チーム優勝チームメンバー&上野投手 DVDビクター&AFLO

 彼女達が優勝した瞬間、選手は勿論のこと、日本の観衆とTV視聴者は、飛び上がって喜んだ。この時の「感動」を思い起して欲しい。また彼女達が如何に計画し、如何に技術を構築し、如何に試合を運営したかも思い出して欲しい。彼女達が優勝するだけの必然性を「理解」したことを思い出して欲しい。

 日本女子ソフトボール・チームも、「なでしこジャパン」の日本女子サッカーチームも、その歴史が浅く、彼女達に与えられた予算も少なく、観衆も少ない。しかも自腹を切って練習に励んできた。その様な厳しい状況に耐え、世界の頂点に達したのである。日本では「最近の若者はダメ」と、いろいろ批判されている。しかしそれは男性に向けるべき批判ではないかと思う。はっきり言って、最近の日本男子よ、日本女性をもっと見習うべきである。

 超・少子高齢の日本社会は、間違いなく到来する。この問題を解決するには、①女性に対して働く場を劇的に増やす一方、働く場での事実上の差別を完全に撤廃すること、②定年退職後の優秀な人材を年齢による差別なく、実力に応じて職場復帰させ、元気な高齢知的ワーカーを劇的に増やすことである。これ以外に方法はない。更に、いつまでも若者ばかり相手にする「エンタテイメント業界」の経営者達に強く言いたい。高齢者を相手とする「真のエンタテイメント事業」を立ち上げるべきである。それ以外に彼らの発展の道はない。

 筆者は、新日本製鐵勤務時代、部下の社員の中から某女性を購買掛長(日鉄時代の名残の表現で係長の意味)に任命した経験を持つ。購買担当の掛長は、業者と夜の接待やゴルフの接待を受ける。しかし彼女は、その種の接待を適度に受け、適度に断った。しかし購買という販売と異次元の難しい仕事を立派にこなし、業者からの評判もすこぶる良かった。筆者のささやかな経験からも、多くの識者の意見からも、男性しかダメだという仕事は、この世に殆ど存在しないと断言する。

●北京オリンピックの男子硬式野球チーム
 日本の優勝した女子ソフトボール・チームのことで思い出す事は、同オリンピクに出場した日本の男子硬式野球チームとその星野仙一監督である。その時、筆者が本論で書いたことをここに再度、簡単に掲載する。

 星野監督は「金しか要らない」と豪語した。しかし韓国が「金」、キューバが「銀」、米国が「銅」、日本は4位であった。「要らない」どころか、「頂けない」結果になった。そんな豪語を吐いたのは、彼に余程の自信があったからだろう。

 彼は、「言い訳はしない」と言いながらTV番組に出場し、醜い言い訳を度々繰り返した。更にTV報道陣の質問に「日本選手は他国選手に負けない実力を持っていた」と発言した。「恥の上塗り」とは正にこのことである。「ここ一番」で打てない選手、「ここ一番」で捕れない選手は、プロの世界では2流選手である。日本選手は実力がないから負けたのである。アマチャー選手が参加し、超一流の選手が参加していない外国野球チームに、現役の日本のプロの監督と選手が完璧な敗北をしたのである。

 彼は、「日本選手に負けない実力がある」と発言したことは、「負けたのは、監督の自分に実力がなかった」ことを彼自身の口で天下に公言したことになる。「言い訳になるから言わない」という彼の言い方の裏に、自分の実力を否定したくない心情と自分を客観視出来ない人物であることも白日の下でさらけ出したことになる。本来その実力が無いなら、「言い訳をしない」と言いながら「言い訳」をする様な偉そうなことを言う資格はないのである。このことも彼は気付いていない。

 星野監督は、日本チームのオリンピック対応訓練、オリンピック競技への秘策検討、相手チームの分析、オリンピック野球の研究、選手の北京入りの方法など数多くの面で準備を怠った。「オリンピックに勝てる」との自信が災いした。「夢工学(本論連載前に連載した)」では「成功は成功の母」と主張する。しかし「成功の復讐に気をつけろ」とも説く。彼の過去の栄光という成功に復讐されたのであろう。

 誠に残念ではあるが、星野監督は、社会感覚も、国際感覚も、地球感覚も、そして野球感覚も欠如した2流の監督と言わざるを得ない。また参加チームも2流選手と言わざるを得ない。監督や参加選手は、過去に如何に凄い実績を出していたとしても、現在のポジションによって評価されるべきである。そして世界基準で評価されるべきである。これが現実の世界である。

 日本の女子ソフトボール・チームを勝利に導いた「監督」、ロスアンゼルスで密かに習得した投球の必殺技を最後の勝負どころで使って勝利に導いた「ピッチャー」、そして命がけで戦った「チーム・メンバー」は「凄い」の一語である。

 男子野球チームの星野監督と当該プロ選手達は、女子ソフトボールの監督と選手達に会い、「野球を如何に監督するべきか」、「野球を如何に戦うべきか」、この際キチンと教えを乞いに行くべきである。もしそこまで真摯に自らを反省し、野球に向き合う自らの姿勢を正したらば、世間は、彼等に対して与えた2流の評価を全面的に撤回するだろう。

 以上が以前に書いた内容である。その後、星野監督も、チームも女子ソフトボールの監督や選手に会った話は聞いたことがない。筆者は、「オリンピック競技」は、地球上の如何なるスポーツ競技にも勝る特別中の特別の競技であると認識している。また「エンタテイメント」の観点から視ると、最高の価値のあるモノと認識している。従ってその競技参加選手の選定や監督の選定は、過去の業績ではなく、これからの実現可能な業績推定と上記の「世界基準」に照らして選定されるべきである。

●日本のプロ野球界の将来
 日本で実力があり、有名なプロ野球選手のかなりの数の選手が米国の大リーグに移籍している。日本の野球が米国の「草刈り場」になって欲しくいないものだ。しかしグローバル競争の時代である。日本がもっともっと優秀な選手を発掘し、次々と育成し、プロへの「公明」、「公正」、「公平」な選抜をすれば、幾ら草刈りされても心配することはない。それこそが「激変の時代」での生き残り戦略である。しかし現実のプロ野球界はどうか?

 上記の星野仙一・元オリンピック・チーム監督は、一時マスコミにあまり登場しなくなった。しかし人々の記憶から薄れるに従って再度登場し、遂に楽天の監督に就任した。野村克也・元・楽天監督は、「星野は大変だぞ」と警告を発したことが耳に残る。何故わざわざ問題の星野元監督を楽天が起用したのか? 話題性、人気性で監督を選んだのか? 日本にはもっと優れた監督がいなかったためか? エンタテイメント業界で重要な役割を果たしている「日本プロ野球界」の将来に危機感を持つのは筆者だけだろうか。
つづく
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