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「PM学科で学んだ四年間」

濱田 佑希 [プロフィール] :8月号

 私がプロジェクトマネジメントを学び始めて四年の月日が経ちました。そこで、私がプロジェクトマネジメント学科で出会い、PMを学ぶ素晴らしさをご教授頂いた恩師との出会いや気付きを述べさせて頂きたいと思います。

【恩師との出会い】
 プロジェクトマネジメント学科へ入学した私は、高校時代とは異なる授業形式に戸惑う毎日を過ごしていました。授業で理解できないことは分からないままにしており、テスト前に勉強をすれば良いという甘い考え方でした。そのような日々の中、私のPMの勉強に対する姿勢はプロジェクトマネジメント概論を受け持って頂いていた越島教授との出会いの中で変化しました。

[プロジェクトマネジメント概論の授業]
 越島教授の授業では、中間テストまでにプロジェクトマネジメントの成り立ちから始まり、WBS(Work Breakdown Structure)の作成、SBS(System Breakdown Structure)の作成についての重点的な勉強をします。授業を受けていく中で、初めての聞きなれない言葉に翻弄され、私の中には危機感が芽生えていきました。危機感が芽生えてからは毎週二回程、越島教授の研究室に通い、分からない点のご教授を願う毎日が続きました。
 WBSやSBSの作成を理解してからは、作成されたアクティビティに時間・コスト・先行順位が割り振られた後のPERT/CPM(Program Evaluation and Review Technique/Critical Path Method)、EVMS(Earned Value Management System)を作成するまでの流れを勉強します。PERT/CPMやEVMを学ぶ中で、バッファーやガントチャートを理解し、コストの山積みや山崩しによりプロジェクトの情報を次の段階に移行させていく術を学びました。

[大学での一番の気付き]
 私はこのような日々からプロジェクトマネジメントを学ぶ楽しさ、分からなかったことが分かるようになった時の素晴らしさを理解しました。また、分からないことは分からないままにしてはいけないということと共に、同年代の学生に分からないことを相談しても相手も同じレベルであるため分かっていないということを実感しました。この充実した一年生の前期が終了した地点で恩師である越島教授は他大学へ赴任してしまいました。

[PMSの取得]
 私がPMSの取得を決意したのは大学三年になった時期です。何故、取得を決意したかというと、今までプロジェクトマネジメントを学んできた成果を残そうと思ったからです。
 PMSの受験勉強ではP2Mを5回程読み図式を暗記し、記載されている文章にはテキストマイニングを行い、テキストマイニングしたデータは、全体の文章をシステム的に繋ぎ、文章を見ないでも全てのシステムの繋がりを書くことができ、話せるようになるまで勉強をしました。
 大学で学んだ知識と、自身の勉強の成果によりPMS資格を大学三年生という時期に取得することができ、私のプロジェクトマネジメントへの心境は変化しました。
 「企業へ入社したならプロジェクトメンバーの立場から実践的にプロジェクトを管理するための深い知識と技術を会得し、それを実行することでメンバーから慕われるようなプロジェクトマネージャーになりたい」このような気持ちが芽生えました。

[大学院進学への決意]
 大学三年生の後半になると、実践経験の不足を補うのであれば就職をするべきであるとの考えと、プロジェクトマネジメントを専門に学び、更に生産管理・品質管理・物流を含めた経営工学全般の専門知識を得ることで、私が学んできたプロジェクトマネジメントへの見聞を広めることが出来るのではないか。この二つの考えがあり、就職と進学との二者択一の状態が続きました。
 このような考えを続けていく中で、一つの結論に至りました。その結論は「越島教授からもっと深い知識を学びたい」・「研究を深く追求していき、納得のいく研究をしたい」という気持ちが非常に強いということでした。

[今後の抱負]
 来年からは大学院生として越島教授のいる他の大学院へ進学をすることも決まり、社会システムの観点からのプロジェクトマネジメントではなく、生産管理・品質管理・物流を全般とした観点からもプロジェクトマネジメントの有用性について研究をしていきたいと考えています。
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