PMプロの知恵コーナー
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ダブリンの風(96) 計画の徹底

高根 宏士:8月号

 プロジェクトを、見通しを持って推進し、成功裏に完了させるために、開始段階においてプロジェクト計画書を作ることは欠かせない。計画がないプロジェクトは、プロジェクトをどのように進めるかについて、関係者が共通認識できるベースがない。したがってプロジェクトリーダが日々忙しく指示をしても、メンバーは断片的作業をするだけになり、プロジェクトが目標に向かって進んでいるか、自分の担当作業はプロジェクトにどのように貢献しているかを認識できない。プロジェクトリーダ自身、プロジェクト状況を整理して把握できない。結果は心配になることをモグラ叩き的に作業したり、させたりすることになる。したがってプロジェクト計画を作成することはプロジェクトの当初段階において重要な作業である。
 しかし、プロジェクト計画は作成しただけではほとんど意味がない。それはプロジェクト計画がステークホルダ、特にプロジェクトメンバの共通認識のベースになるものだからである。したがって計画書を作成することも重要であるが、それ以上に、その計画内容を関係者に周知徹底することが重要である。一般的には、この周知徹底は想像以上に難しい。
 最近この周知徹底に参考になる興味ある話を聞いた。A(仮名)はマネジメントに関する本の共同執筆に携わった。そこで感じたことは、共同執筆は単独執筆よりも大変だということである。本を出版しようとする場合、執筆者は自分なりの「見解や思い」(以下「考え方」という)を持っており、それが基軸となり、全体が構成される。執筆者が単独の場合は、その「考え方」は執筆者自身がはっきりと認識できていさえすれば、後は執筆するだけでよい。ところが共同執筆の場合、この「考え方」が微妙に異なっている場合、機械的に分担して執筆すると、1冊の本としては内容に混乱が見られることになる。この調整が必要になる。しかしこの調整はお互いの考えが明快ならば、話し合いなどにより、基本的には可能である。より問題になるのは細かい言葉の使い方に関して、それぞれが自分の「考え方」に基づいて他の原稿を解釈し、添削し、結果は執筆者の思いとは異なってしまうことである。
 マネジメントについては、暗黙知の部分が多く、それを言葉で表現しようとすると範囲等を限定しない言い方になってしまう。最近ブームになっているドラッカーの著作は、読む人によって、様々な解釈があるといわれる。これは、多分ドラッカーが自身のイメージの中に、様々な解釈を包含する思いを含んでおり、それを表現するために限定しない言い方をしており、読者はそれぞれ自身の限定された範囲の中で解釈してしまうからだと思う。この場合、読者はどのように限定して解釈しても、それが有益ならば、それでよい。しかし共同執筆者が自分の限定された範囲から添削し、限定する形容詞を付け加えたりすると、当初の思いとは違うことになってしまう。
 このようなことが共同執筆では起こるが、その解釈の違いを素直に話し合うことにより、より素晴らしい内容に昇華できることもある。それは共同執筆の嬉しいところだともAは言っている。本当の意味で共通認識ができたからであろう。
 翻ってプロジェクト計画を徹底するための有力な手段にプロジェクト計画書の共同執筆が有効なようである。当然共同執筆者はプロジェクトの主要メンバーである。プロジェクトリーダは、プロジェクトの目標と、それを達成するためのプロジェクト推進方針のイメージを主要メンバーに語り、その内容を主要メンバーが分担して記述する。それをリーダはチェックし、自分のイメージと合うまで、書き直させる。これにより、単にできた計画書を説明するよりも、はるかに深い理解と共通認識が得られることになる。
 ただしプロジェクトリーダがプロジェクト推進について自分のイメージを全体的に持っていない場合はこの手段は使えない。しかしこの場合でもリーダや主要メンバーは部分的なイメージは持っている可能性がある。このような時はそれぞれの部分的なイメージを開示し、全体的なイメージを作る機会を設ける。そこで作られたイメージの記述はプロジェクトリーダ自身が記述する。プロジェクト計画の徹底は先ずプロジェクトリーダ自身からである。
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