東日本大震災に寄せて
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安全・安心と経済効率のバランス

石原 信男:7月号


 かつて仕事で地中海に面したレバノンの首都ベイルートに数回出張したことがあります。
この頃はまだ国内の状況も穏やかで中東における金融の中心地でもありました。
 滞在中、いろいろなところでオフィスや住居の鉄筋コンクリートビルの建設現場を目にしましたが、使われている鉄筋の割り箸のような細さ、それに数がとても少ないのも気に なりました。現地日本商社の人に「このあたりは地震がないのか」と尋ねたところ、「地震の経験は今までにもあった。 ただ、いつあるかもしれない地震を考慮した建物にすると 建設コストが高くなって採算がとれない。倒壊したら、そのときにまた建て直せばよいというのが2~3年で投下資金の回収を目論む彼らのビジネス感覚」ということでした。

 FS(feasibility study)という語がありますが、一般には次のような語意です。
企業や組織体がある計画を作成し、実行に移そうとするとき、その実現の可能性を環境などの外的要因や内部的な資源・能力といった要因との関連で評価・検証すること。 企業化調査。 採算可能性調査。 (大辞泉)
業種や分野を問わず、プロジェクトに関わりのある多くの方々が、語意からして何らかの形でFSと無関係でないとことはたしかです。

 上述のベイルートの建築物の例もFSとしての一つの考え方であり、それが誤りであるとは必ずしもいえないものです。
 しかし、プロジェクトの社会的役割・責任のあり方よって、FSを行うに当たっての基本姿勢が異なって当然です。 上述のベイルートのビル建設の例は「倒壊したら建て直せば よい」といった経済性重視の評価で割り切れるものの一つですが、トラブルが発生した際の国内・国外に及ぼす影響(ダメージ)にまで十分な事前の評価・検証を加えておくべき プロジェクトも多々あります。その一典型例が原子力発電所であり、今回の福島第一原発です。その理由は、今の過酷な状況から見て、あえてここで述べる必要もないでしょう。

 日本が政策として原子力発電に踏み切ったこと、これを受けて電力各社の原子力発電所の建設計画、この際には当然のこととして政・官・学・民が一体となって専門家の英知を 集めてのFSが行われたはずです。それを信じたいのですが、事故発生の当初から、なんと「想定外」という言葉が関係者の間から聞こえてきています。
 はたして「想定外の津波」だと言い切れるのでしょうか。この地方には津波の到達高さや被害の甚大さを伝える古文書や伝承が「教訓」として残っていて、この教訓を活かした 地域の今回の被害は軽微であったことを私たちは知りました。

 原子力、火力、水力、風力、地熱などの主要エネルギー源の発電コスト比較では原子力が最も安価であるとされています(平成21年度 エネルギーに関する年次報告通商産業省)。
 福島第一原発の建設にあたっても、FSが当然行われているはずです。そして原発の事故発生に伴う放射能汚染の及ぼす地球規模的な危険性をも勘案し、「絶対的な安全性」の確保 が図られた結果として今の原発があるのでしょう。
 しかしながら、事故発生以降の日々もろもろの情報から私が疑問に感じ始めたことは、今回の津波災害が「想定外」の出来事であったのかという点です。過去の津波被害の記録 (石碑文や地域の伝承など)が「現実に起こり得たこと」として残されているとのこと。かかる過去の見過ごせない事実を想定に入れた上でのFSが行われていたのでしょうか。
 福島第一原発が現在きわめて危険な状況下にあることは国内・国外を問わず衆目の一致するところです。ここに至った遠因が、安全・安心よりも発電コストの経済性を最重要視 した結果、FSではなくSF(science fiction:空想科学小説)になってしまった・・・、そのような恣意的なFSではなかったことを信じたいのですが、そんな信頼感がこのところ揺らいできているのは私だけでしょうか。

 経済活動が合理的な効率を追求するのは当然です。しかし、健全で効率に富んだ経済活動は、健全な地球環境のもとではじめて成立するものと私は思います。それゆえ、健全な 地球環境はすべての経済活動に優先して考えられるべきであり、その上に立って、二義的な位置づけで地球環境の保護と経済活動の効率とのバランスを全体最適の視点から追求 することが望まれるでしょう。あえて言うまでもなく、地球環境は経済活動の根底に位置するものであることから、その悪化は健全な経済活動とその効率化を妨げる根源になる筈 です。残念ながら、福島第一原発の事故とその及ぼす影響は、それを一つの具体例として世界に示す形になってしまいました。

 「ローマ人の物語」で著者(塩野七生)は「人は、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ない」というユリウス・カエサルの言を名言とし て引用しています。
 日本が津波を伴う地震の頻発国であり、この地域には過去の災害記録も存在していたということを私は今回の東日本大震災を通じて知りました。それにもかかわらず今回の原発 事故発生を「想定外の津波」で片づけようとするならば、事業化に先立つFSの信頼性に疑問を感じざるを得ません。何らかの背景・事情や思惑などから、「見たいと欲する現実 しか見ない」ままに福島原発の事業化が進められたとは思いたくはないのですが。

 FS(feasibility study)には、すでに何らかの背景や事情があって「やる」と決まったそのプロジェクトの事業化が適切であることを後付けするために、現実とかけ離れた条件 や数値などを恣意的に適用した、いうならばSF(science fiction:空想科学小説)では・・・・、と言いたいようなプロジェクトが在ったことを否定することはできません。
 30年も40年もかけてやっているダムや河川の防災対策プロジェクト、しかも、途中で当初の目的・目標が何回も様変わりしたにもかかわらず抜本的な見直しも無きままに進められ、当初予算の大幅な超過に目をつぶって予算の上積みと工事を続行しているような「いきがかりプロジェクト」を、私たちは幾つも目のあたりにしてきました。

 今回の福島第一原発事故のきびしい現状を見るに、複数の地殻プレートの重なりあい、広範囲に潜在する活断層、島国であるがゆえに津波を伴う地震頻発国の日本、放射性物質 の生物に及ぼす危険性とその放射線量の半減期の長さ、これらの人智では克服できないであろう現実を「見なくてはならない現実」として謙虚にとらえ、これからの日本における 原子力発電のあり方をさらに慎重に見直す時機ではないのかと考えます。
 地球に住まわせてもらっている一人の人間として、日本国としてぜひそうあってほしいと心から願っている昨今の私です。
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