ダブリンの風(94) 「能動的リスク」
高根 宏士:5月号
前回に続いてリスクについて書かせていただきます。
東日本大震災とそれに伴う大津波の被害は今もって全貌が捉えられないほどの大きさである。そして津波に襲われ、大きな事故を出しつつある福島原発トラブルはこれまでにないほどの深刻な影響を与えている。被災された皆様には心からお見舞い申し上げます。
今回の震災や事故で、関係者の間で頻繁に言われている「想定していなかった」、「想定外」だったという言葉は、ある意味でリスクマネジメントが無力であるということを表している。リスクマネジメントではリスク発生確率、発生した場合の影響度、それらを掛けたリスク指数が重要な意味を持っている。リスク指数が非常に小さければ、対応計画としては受容(何もしない)という戦略が取られることが一般的である。ただし注意しなければならないのは発生した時の影響度である。この影響度が甚大ならば、どんなに発生確率が小さくても受容以外の対応策を講じておくことが必要であるということも常識である。少なくともコンティンジェンシープランは必須であろう。ここまでは形式的リスクマネジメントで解説されていることである。
問題は影響度を見る「立場」と「視点」である。今回の大震災、大津波、原発事故は図らずもこのことを考えさせてくれた。
大震災とはいえ、地震で家屋が倒壊した割合は小さかったようである。これは津波が来る前の映像と来た後の映像を見ればわかる。仙台で医者をやっている友人の話によると、30数年前の宮城沖地震の経験で耐震構造にした家が多かったために倒壊が少なかったとのことである。しかし津波までは想定していなかった。また三陸の各自治体は津波を想定していたが、あれほどの大津波は想定していなかった。東電も自治体と同じレベルでの想定であったようである。個人、自治体、東電とも「想定外」ということでは同じである。
個人のレベルでみた場合、「想定外」のために被害を受けるのは本人だけである。したがって発生確率が非常に小さい場合は受容という対応も考えられる。
自治体の場合は管轄の地域に対して安全を確保するという役割と責任がある。担当者個人のレベルでだけで考えるわけにはいかない。したがって各自治体はこれまでの津波の情報も踏まえ、堤防等の対策を講じていた。しかし不幸にして、過去の情報から想定したレベルを超えてしまった。「想定外」のために対策に抜かりがあって、住民に被害を与えてしまった。しかし自治体自体が自ら被害を与えてはいないし、その被害は厳密にいえば現時点では既に起こってしまったものだけに限定されており、これから発生させることはない。したがって現段階で心すべきは被災からの回復とこの経験を踏まえ、より充実した地震・津波対策を構築することであろう。
東電の場合は自治体と同一に論ずることはできない。最も大きな違いは個人や自治体の場合は「既に発生してしまった被害」であるのに対し、これからも損害を発生させ続ける可能性があるということと、関係ない人までも含めて損害を与え続けることである。東電だけの、しかも起こってしまった損害だけならば、自治体レベルの対応でよい。しかし原発事故は、トリガーが津波であったということで免罪符になるのではない。その結果放射能漏れを起こして、周囲に大損害を与え続けるという、いわば能動的被害を与え続けているからである。未来に対して、関係ない人達に見通しのない損害を与え続ける「影響度」の場合は「単純な想定外」は許されない。
しかし人間の能力は限界があり、それほど確実に将来を見通せるものではない。まして40年以上も前に建設された原発にそれを求めるのは無理だろうということもわかる。したがって当時の設計者に責任を求めることは意味がない。このような立場にある関係者は形式的な審査や検査ではなく、毎年本質的なリスク対策を零から構築することを意識し続けることが必要である。過去に一度設計されたものに対して、基本的な見直しをせずに安住する姿勢がリスクマネジメントを無力にしてしまうのである。
能動的被害を与えるリスクになりそうなものとしては、原発だけでなく、細菌やウイルス、毒薬(特に気体性の)、薬、情報などがある。 |