リレー随想
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「平成22年度「環境ビジネス」プロジェクトに参加して」

鈴木 一如: [プロフィール] :5月号

 システム工学という学問ではよく、「解は無い」と言う。実際は「解は無数にある」という意味であるが、人は、時々の問題解決に当たって、それが最も自分にとって好ましい解が得られるように目的関数を設定し、それを最大にする解を選好する。従って目的関数の設定次第で「解は無数にある」ことになる。利害の対立する2人にあっては、共通の目的関数を設定すること自体が難しい。いわんや地球温暖化問題で、多様な価値観と発展レベルにある人類の共通の目的関数を探し出すことは、至難の業であろう。

 我々が物を購う時、かつては所有することにその目的があった。洗濯機、テレビ、冷蔵庫、車、クーラーを所有することが“豊かさ”のステータスシンボルであった。しかし今ではこれらの物は必ず家庭から出てゆき、それが又新しい(リサイクル)製品として家庭に入ってくる循環の中の一時期のみ家庭に存在する、そして、その間だけ、その物の持つ機能を利用する、そんな仕組みを構築しなければならない時代となった。つまり所有ではなく、「地球あるいは循環社会からの一時期だけの借り物」の価値観を持たねばならない時代となったわけである。

 これらの例に見られるように、これからは多様な価値観をも満足させる複合的な目的関数の下での「ものつくり」や意思決定が求められてくる。そしてさらに、他者の知的財産を尊重する技術開発や、拡大生産者責任、社会的説明責任など複雑な多くの制約条件を満たす解を探索することが求められてくる。これを達成可能な科学技術や社会システム開発を成功させる“条件”は「規制」と「参加」と「情報公開」と思う。官や学などによる適切な「規制」(法的・制度的枠組み、学などによる技術ガイドライン、産などによる自主目標など)と、国民各層の「参加」を車の両輪の如く同一方向へ同一速度で回転させることである。そのために両輪を繋ぐ車軸が「情報公開」であり、同じ情報を「規制する人とされる人」が、「技術を知る人と知らない人」が、「富める人も貧しい人も」共有し理解することによってのみ、問題解決の車が進んでいくことになる。人間を信頼し、地球の存続のために粘り強く解を探す努力を行う。少しずつ解の姿が見え始めてきたように思う。

 ダーウィンの言葉(と言われている)を借りるまでも無く、「生き残ることのできる生物(社会)は、強い生物(社会)でもなく、賢い生物(社会) でもなく、変化することのできる生物(社会)である」ならば、無数にある解の中から、変化する自分たちにとって最適な解を選び出して、それを実行する必要がある。我々が置かれている環境と制約条件を科学的に認識し、求められる共通の目標を明確に設定し、そしてそれに向かう行動を阻害する要因を科学的に排除する視点が重要となる。「その国の国民のレベル以上の政治はない」と言う。環境についても同じである 「その国の国民のレベル以上の環境はない」。
 これらの解の多くは科学技術の分野から与えられよう。世の中が、「Speed(素早い意思決定), Scale(グローバルな事業展開), Specialty(高い技術力や専門性)」の3つのSをキーワードとして、あらゆる分野で生き残りを賭けてグローバルな大競争を展開している今日にあって技術は、その変化を可能にする極めて重要な要素である。未曾有の環境時代にあって、これからのあらゆる技術は、環境技術としての性格を併せ持つことが要請されるが、その環境技術の推進には、この3つのSのほかにも、 Strategy (企業戦略)やあるいは個人や企業・国の在り様であるStyle までもが関わってくる問題ともなっている。

 ブータンには、「技術は人に幸せをもたらさない」という考えがあり、それを国家政策として実践(外国文化の移入を拒否する姿勢)している。ドイツでは均一的で長持ちするものが好まれるのに「何故、保守的にならずに技術革新が継続するのか?」という問いに対する答えとして、ドイツには、「個人の領域(家庭の中)は自然のままに、社会は技術によって便利に」という考え方があるから、と言われている。さて、我が国は、どんな考え方(Style)の国創りを行っていくのであろうか?

 NHK大河ドラマ(「武蔵」03.02.23放映)で、道場破りに訪れた武蔵を、いとも簡単に打ち破った柳生石州斎が、武蔵を諭していった言葉「風の音,鳥の声,水の味を知らずして, 剣の腕(処理技術)のみを磨くのは、無意味じゃぞ,新免武蔵(○○の諸君)」は、我々技術者も、耳を澄ませて聞く言葉ではないだろうか。
(完)
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