グローバルフォーラム
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「グローバルPMへの窓」(第53回)
東日本大震災後世界の反応は?

グローバルPMアナリスト  田中 弘 [プロフィール] :4月号

 本コラムでは3回にわたる休稿という申し訳ない事態が続いたが、その間にも種々の事を行った。昨年に続くフィリピン商工会議所選抜の中間管理職者に向けた大変充実した、またPMAJにも大きなリターンがあった2週間のP2M研修を終えることができたこと、7年間も延び延びとなっていた妻との企業卒業記念旅行でパリ、リールを経てドーバー海峡の町カレイに行き対岸のイギリスの輪郭をついに見ることができたこと(私にとり5度目の正直)、ウクライナ財務大臣が予定を数週間前倒しで来日され、機動的な対応を行ったこと(大臣にはP2Mの素晴らしさを我が国の要人にしっかりとPRして戴きました)、北陸先端技術大学院大学でアジアからの留学生にP2Mを講じたこと、等。
 そうこうしているうちに、東日本大震災が起こった。大地震が起こった時、私は羽田空港でチェックインを終えて大阪行きのフライトを待っているところであった。翌日大阪でPMAJのPMフォーラム大阪2011のプロジェクト会議があり、これに出席することと若干他の用事があったのであるが、地震発生後2時間フライトキャンセルが相次いだところで、大阪行きは中止し、陸上交通機関は遮断されており、空港で夜を明かす事に決めた。
 これまで海外出張で予定のフライトが来ない・飛ばないで空港に10時間以上足止めという事態には3度逢っており、常識に従えば「焦って動くな」であるし、羽田空港籠城は正解であったが、翌日始発電車が動いた頃、出発ロビー(搭乗手続前)を横切ったら、空港難民で溢れかえっていることで改めて事の重大さを悟った(新聞報道では羽田空港だけで1.5万人の空港難民がいたとのこと)。外国人もかなり見受けられ、彼らのうちかなりの人は国内の他の地域に行くことを止めて恐怖の日本から帰国を決めたらしく、陸上交通機関へと流れていったが、成田空港へのアクセスも遮断されたままで、その後かなり難儀をしたかと思え、逆の立場であったら・・と心が痛んだ。
 空港での徹夜よりも、電車帰宅に通常の3倍の時間がかかり、超満員電車(しかもJR南武線は踏切ごとに一時停止で安全確認)で足の置き場がなく余り調子がよくない下半身にかなりこたえた。
 空港で徹夜している間、大地震発生後3時間目から海外で交流のある方々から私の安否問い合わせとお見舞いのメール・メッセージが入りだして、いまだ入信があるが、メッセージ内容で、災害の犠牲者の方々への哀悼、被害にあった日本国民へのお見舞い、の他に共通しているのは、
これでだけの大災害にあっても日本がパニックに陥らずに、一致団結して被災者・被害地救済に乗り出していることの驚異とそれに対しての敬意(欧米の人たちには日本人が想像するよりはるかに地震に対する恐怖心があり、また、このような国難にあっては多民族国家が多いのでパニックが起こりやすい)
福島第1原子力発電所の事故で日本は未曽有の危機に陥るのではないか(ヨーロッパの人たちは1986年の旧ソ連、現ウクライナのチェルノビィル原発大惨事を身近に体験しており、センセーショナルな報道から、一瞬で悪夢が蘇ったかのようである)
東京首都圏も含めて大惨事になっているのではないか(全員ではないが)
日本人の不屈の精神・復元力、産業の活力、チームワークを以てすれば早期復興が可能である、
といったことである。
 世界のPMネットワークは、それなりに情報伝達性が高い。このようなお見舞いに対してはできるだけ丹念に、また、客観的にこちら(とくに首都圏)の状況を報告して日本に即復興への槌音が聞こえていることを知ってもらうようにしている。
 日本は、これまでとかく、欧米をベンチマークとして国力をつけ、また、外圧を利用しながら国の近代化を推し進めてきたが、今回も国難にあって、国際社会の数多の支援、励ましに応えることを復興のバネにしているのであろうか。それもあろうが、日本が早期の復興を果たして世界の秩序を維持することは大国日本の責務でもある。    ♥♥♥♥


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