ダブリンの風(92) 「見える化」
高根 宏士:3月号
最近「見える化」という言葉を頻繁に見かける。これまであまりはっきりとは認識できなかったものをわかるようにしようということで、数値化したり、図式化したりして示すことである。「経営の見える化」、「プロジェクトの見える化」などのタイトルが散見される。以前によく云われた「定量化」、「ヴィジュアル化」等の延長線上にあると思われる。
確かに「見える化」はプロジェクトマネジメントする上で有効な手段である。プロジェクトのステータス把握やステークホルダー間の共通認識を作るためにはプロジェクトの「見える化」が必要である。進捗状況、品質状況、仕様のまとまり具合、顧客との間の折衝状況、問題点やペンディング事項のフォロー状況、プロジェクトメンバーの動き、外注との関係等について現状を的確に切り取った情報(数値化、図式化、表、グラフ等)は正しい現状把握と将来予測をする上で必須のものである。
ただ最近の「見える化」を紹介した記事や資料等を見ていて気になることがある。挙げられている例はそれぞれもっともであるし、有効そうなものばかりである。しかしそれはあくまでも見せる側から見た「見える化」に見える。
そこには「見える化」をすれば「プロジェクトはうまくいくという単純化がある。しかし挙げられている例を鵜呑みにして現実のプロジェクトに適用してもそれでプロジェクトがうまくいくわけではない。
肝心なことは「見える化」されたものを見る側の視点である。見せる側がどんなに素晴らしい「見える化」をしても見る側がそこから何を得たいのかを曖昧にしておいては意味がなくなる。
ローマ時代の天才的英雄シーザーが言っているように「人は見たいと思うものしか見ない」ということは大方の人に当てはまる。したがって見る側(現実のプロジェクトにおけるプロジェクトマネジャーやリーダ)は「自分は何を見たいか」を明確にし、それに基づいた「見える化」を自分で設計し、それを見せる側に要求しなければならない。どんな情報をどのくらいの詳細度で把握したら、自分は自信を持ってマネジメントできるかを徹底的に吟味し、その結果から自分のプロジェクトの「見える化」を具体的に決めることである。
記事や資料で紹介されている「見える化」の例は自分が本当に見たいものは何かを検討するための参考情報であり、それ以上でもそれ以下でもない。どんなに世の中が進歩しても自分のプロジェクトの「見える化」は常に自分が考えなければならない。 |