リレー随想
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「ドーハの歓喜とPM」

日揮情報システム株式会社 取締役産業ソリューション事業部長 小栗 常義: [プロフィール] :3月号

1月29日、中東カタールのドーハで開催されたサッカー・アジアカップ決勝で、日本は初優勝を狙ったオーストラリアを1-0で下し、2004年中国大会以来4度目の快挙となった。
本大会の記録を更新する4度目の優勝が、カタールの首都ドーハで成し遂げられたことは大変意義深い。サッカーファンなら周知の通り、1993年秋に同じドーハで開催されたW杯米国大会最終予選で、日本代表はイラク相手に残り20秒の所で同点に追いつかれ、本大会出場を逸してしまった。いわゆる「ドーハの悲劇」と呼ばれるものである。
実は、筆者にとってもドーハの地は大変思い出深い場所である。
1972年に日本揮発油(現在の日揮)に入社して5年目の春に、ドーハに建設中の石油化学プラント現場に駐在となった。当時の日本では、カタールという国はほとんど馴染みがなく、香港~バーレーンを経由してたどり着いた地は、建物らしいものもほとんどなく不毛の地と言っても過言ではなかった。
このプロジェクト遂行のためにドーハに駐在してから、早くも30年が経過したが、アジアカップの決勝戦後の表彰式で見たカタールの目覚ましい発展・変貌ぶりに改めて驚きを禁じ得なかった。
現場駐在期間は3年であったが、このプロジェクトの遂行過程で実践したプロジェクト管理の様々な試みは、その後の当社PM技術の基礎となった。
一例を上げれば、プラント用WBSコードの雛型作成とその適用、PDM (Precedence Diagramming Method)タイプのNetwork Scheduleによるスケジュール管理などである。
特にPDMの導入は、当時主流であったADMタイプのスケジュールと比較して非常に斬新な試みであった。
また、このプロジェクトでは、ベルギーのエンジニアリング会社をサブコントラクタとして採用し、横浜・リエージュ(ベルギー)・ドーハ(カタール)を結ぶエンジニアリングワークのコラボレーションを実現したが、この際円滑なエンジニアリング情報の流通を促進するために、WBSをベースとするEWO(Engineering Work Order)システムを採用したことも当時としては画期的であった。
現在では、これらの技術もより洗練され、ICT技術を駆使してより利便性に優れたものとなっているが、プロジェクト管理の基本的な概念はほとんど変わっていないと思われる。
サッカーW杯やオリンピックなど世界規模でのイベントは、プロジェクトマネジメント技術のバックアップ無しにはもはや成立しないが、今回のカタールでのアジアカップの成功も、正にプロジェクトマネジメントの勝利であったと推察される。
その意味からもPMAJの活動の場は、昨今注目を浴びている都市インフラプロジェクト、社会インフラプロジェクトなども含め、無限に開かれていると思われる。
以上
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