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「エンタテイメント論」(35)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :2月号

エンタテイメント論

第1部 エンタテイメント論の概要

15 TV放送とTV放送産業の実態
●本号の出稿の遅れ
 前々号で「教養番組・教育番組」をテーマにエンタテイメント論を始めた。しかし前号ではそのテーマから外れ、You Tubeの存在とそれが提供する情報を論じた。外れた理由は、「尖閣諸島沖の中国船衝突映像」がYou Tubeを通じて突如放映され、日本中が大騒ぎになり、無視できなくなったことである。

 You Tubeの様な媒体が提供する所謂「PC番組」又は「PC情報」は、地上波のTV番組、衛星放送番組、ケーブルTV番組と全く別個の存在として我々の生活圏に強烈に入り込んできた。そして従来のTV放送やTV放送産業に大きい影響を与え始めてきた。

 本号は、You Tubeを中心し、更なる議論をしたい。なおYou Tubeは、本テーマである「教養・教育番組」の一翼を、信頼性の保証に問題があるが、確かに担っていることは前号で述べた通りである。

 筆者は、You Tubeを通じて、韓国、中国、インドなどアジア諸国に於けるポピュラー音楽界の歌手や演奏家などの活動を日頃から視聴してきた。その活動の中で、韓国の「歌と踊りの某女性グループ」が2010年・日本レコード大賞・最優秀新人賞にノミネイトされたことを知った。このレコード大賞の授与式は、2010年12月30日に予定されていたため、本号の締切日(2010年12月26日)に拘わらず、出稿を意図的に遅らせた。許して欲しい。

●韓国のK-Pops世界戦略
 韓国の所謂「K-Pops」は、凄い勢いでアジア圏に広がっている。その背景に韓国政府が音楽、映画、演劇などのエンタテイメントの「核」を国家戦略の中に組み込んでいる事実がある。しかもそれらのコンテンツは、自国市場だけでなく、アジア市場や世界市場に提供されることを前提に制作されている。そして「アジア・スタンダード」や「グローバル・スタンダード」に合致するコンテンツの「量」と「質」を実現させることを最優先にしている様である。

 韓国の国家戦略は、同政府がエンタテイメントの重要性と必要性を本気と本音で認識しているために生まれたものであろう。その認識は、アジアと世界を睨んだエンタテイメント事業を日々推進している同国のエンタテイメント会社やコンテンツ制作会社などの経営者達が韓国政府を動かしたと言われている。この様な動きは、隣国の中国でも同じと聞く。そしてエンタテイナーは、高く評価され、高く遇される一方、その人材発掘と養成に国、企業、国民は、本気と本音で取り組んでいる。

 翻って日本では、政府と官庁の一部に同種の動きがある。しかし全体としての動きは極めて弱い。また日本のエンタテイメント事業会社やコンテンツ制作会社などの経営者達は、「アジア市場や世界市場を目指す」と口では主張しているが、その実態は、国内市場優先、短期収益獲得主義などの目先の事業経営に終始している。

 日本政府は、手をこまねいている訳ではない。日本の観光開発の振興のために「人」と「金」を投下し、観光ビザ支給基準の緩和などを積極的に推進している。しかし「富士山」に代表される日本の自然、「歌舞伎」に代表される国や地方の伝統文化などに依存しているだけでは、その効果が限られ、継続性を維持できない。この問題を解決するためには、本稿で何度も述べた通り、日本の音楽、映画、演劇などの「エンタテイメント事業」を活性化し、世界的ヒットを生み出す戦略を構築し、積極的に挑戦することが必須である。

 もし日本の音楽が世界的にヒットすれば、ヒット音楽の歌手や演奏家などの生の歌や演奏を聴くため、もし日本の映画が世界的にヒットすれば、感動した俳優に会うため、そして感動したシーンの撮影サイトを訪ねるため、世界中から数多くの人々が日本に憧れて、日本に来る様になる。このことは、「韓流ブーム」で数多くの日本人女性達が大挙して韓国を訪問したことで分かるだろう。

 しかし日本にはやっかいな問題がある。それは、多くの日本人がエンタテイメント、エンタテイナー、エンタテイメント事業従事者を正当に評価していないことである。しかしその評価に値しない酷い内容のエンタテイメントが存在すること、エンタテイナーとはとても言えない芸無しの芸人やタレントが多いこと、エンタテイメント事業に従事する人達が自らの仕事に誇りを持っていないことなども事実である。

 だからと言ってエンタテイメントを頭から軽視し、エンタテイナーを河原乞食と蔑視する心情は如何なものかと思う。しかし軽視や蔑視に挫けることなく、また国や企業の支援を受けることなく、本物のエンタテイナーを目指して努力する人、また新しい真のエンタテイメント事業の実現に挑戦する人などが日本に数多く存在することを忘れてはならない。

●少女時代(Girls Generation・別名SNSD)
 2010年・日本レコード大賞は、予定通り、新国立劇場で開催され、その模様はTBS・6チャンネルで同日放映された。歌手と楽曲を対象として選ばれる最高位の「レコード大賞」は、EXILEと彼らが唄う「I wish for you」に決定された。これは、3年連続の受賞であった。

 さて最優秀新人賞にノミネイトされた候補者は、ICONIQ「Change Myself」、菊地まどか「人恋さんさ」、スマイレージ「夢見る 15歳」、そして少女時代「Gee」である。筆者が注目している上記の韓国の「歌と踊りの女性グループ」とは、「少女時代」のことである。

 本稿の若い読者なら「少女時代」を知っているだろう。このグループは、2010年8月に日本デビューを果たした。しかし彼女達は、既に相当以前からYou Tubeに登場していた。中高年の読者なら「反日ソング」を歌って問題になった女性グループと言えば分かるだろう。

 このグループを世に送り出した母体企業は、彼女達の歌と踊りの映像がYou Tubeで全世界に流れているのに、一向に抹消する手続きを取らない。むしろYou Tubeを積極的に活用している様である。You Tubeは、違法媒体であると一概に決め付けられないことが、この一事で理解されよう。「百聞は一見にしかず」である。下記の「アクセス・コード」又は「少女時代」をWEBに入力して視聴して欲しい。
Mirror Version Genie-SNSD
YouTubeへのリンク -1
YouTubeへのリンク -2
2010年8月、有明コロシアムでのショーケースでデビューした韓国「少女時代(別名SNSD)」

 彼女達の歌は、発声(日本語が少しおかしいが)、歌唱アタックのかけ方、アーティクレーションのとり方、節回し、リズム感、音程など一応の水準に達している。踊りは、ビート感、頭・肩・手・足・腰の振りと切れの良さ、顔、体、足などの美しさなど一応見応えがある。振付には米国式のマネでなく、それなりの工夫が織り込まれている。

 「少女時代」は、9人編成であるが、特定の人物だけが唄い、他のメンバーが踊りでサポートするという方式は採られていない。メンバー1人1人が必ずフロント・ラインで唄って踊る方式は、人数が多くても全員にやる気を起こさせる巧みなマネジメント方式である。

 余談であるが、筆者は、既述の通り、現在、某ジャズライブハウスやホテルなどでジャズ演奏(ジャズピアノ、トリオ演奏 & 歌の伴奏)をしている。そのためロック系の楽曲や歌手の歌唱レベルについても一応判断できる。しかし振付に関しては云々できるレベルには無い。社交ダンスの経験しかないが、ある貴重な経験を持っている。

 本稿で既述の通り、筆者は、新日鐡勤務時代、MCAユニバーサル・スタジオ・プロジェクトを推進した。その一環としてある「実技指導」を受けたことがある。それは、ハリウッドのMCA社の某関係者から実際にダンサーを選抜する最終審査の場に立ち合い、筆者も「審査評価書」で評価するという実践的訓練であった。筆者の評価は、勿論「番外」の審査外である。

 最終審査後、筆者の審査評価書を見た同指導者と他の審査員は、異口同音に「ミスター川勝、あなたはダンサーの顔と足ばかりで評価しましたね」とからかった。「バカにされた」と思って「ムッ」とした筆者は、「それでどこが悪い!」と乱暴に反論した。そうしたら意外にも「いや、すみません。それって一番重要な基準です」と丁寧に謝罪された。しかし「候補者の殆どが美人で美脚の時は、どうしますか?」と柔らかく、諭される様に言われた。筆者は、粗野に反論したことを恥じた。そして西洋式踊りの基本的な良し悪しを選別する具体的且つ実践的な評価基準を初めて知った。

●2010年日本レコード大賞・最優秀新人賞
 筆者は、上記の候補者の中で最優秀新人賞は「少女時代」に与えられると考えていた。何故なら他の候補者を圧倒した存在だったからである。しかし「ひょっとして?」と思ったので、上記の通り、その正式発表まで本稿の出稿を遅らせたのである。

 筆者の懸念は的中した。日本レコード大賞の審査員達は、「スマイレ―ジ()」に最優秀新人賞を与えた。スマイレージのメンバーは、全員が歌って踊る女性グループである。You Tubeで視聴してみて欲しい。
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 彼女達の可愛い、可憐さは人気の源である。しかしスマイレージのフアンに申し訳ないが、彼女達の歌はあまりにも素人レベルである。高いキーの声を出せず、裏声でやっと唄い、聞くも無残な悲惨な声を出して唄っている。また彼女達の踊りは、ただ体を動かしているに過ぎない。満足な歌唱指導も、正しいダンス指導も受けず、言われたままに唄い、体を動かしているとしか思えない。

 この様なレベルのグループに伝統ある日本レコード大賞の最優秀新人賞を与えたとは信じられない。審査員達は、審査の良心を持っていたのか? 残念というより、あきれ返ってモノも言えない。もし彼らが審査基準通りに審査したと反論するなら、アカデミー賞やグラミー賞の審査の「考え方」や「方法論」を参考にして一刻も早く見直すべきであろう。

 レコードの売れ行き、人気度合いなどは重要な審査基準になるだろう。しかしそれに加えて歌手の真の実力、楽曲の素晴らしさなどを同時に具備しなければ、受賞に値しないとする審査の厳しさが維持されるべきである。でなければ大賞、最優秀賞の価値は維持されない。もしその年に該当者がいなければ、堂々と「受賞者無し」の決定を世に発表すべきであろう。

 特に「最優秀新人賞」は、これから日本のポピュラー音楽を発展させるに値する人物を選抜する賞である。人気だけでなく、実力も同時に備わっていなければならない。また受賞者が日本人である必要もない。世界中の新人を対象に選抜するべきである。その結果、世界中から物凄い実力のある新人が続々と日本のポピュラー音楽界に受賞を目指し、なだれ込んでくれば、日本の音楽業界の「内なる国際化」を促すだけでなく、日本から世界の音楽業界への進出という「外なる国際化」を同時に促すことになる。

 今回の最優秀新人賞の審査の様なことを今後も続けると、以下の深刻な問題を引き起こす。それは、①日本レコード大賞の権威を著しく落すこと。②過去の日本レコード大賞で各種の受賞をした人物への評価を落とすこと、③優れた才能のある人物(歌手、俳優、演奏者など)を発掘し、育て、正当に評価され、成功するという「エンタテイメント事業の成功メカニズム」を根底から破壊することに繋がること、そして④「夢」を持って、「汗と涙と血」を流すことを厭わず、真の実力のあるエンタテイナーになる道を奪うことなどである。
つづく
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