PMプロの知恵コーナー
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ダブリンの風(90) 「小選挙区制」

高根 宏士:1月号

 最近の政局は混迷の度合いを益々強めている。首相と一兵卒のどちらが権限をもっているか分からない。一兵卒が強すぎるようにも思えるが、首相の見識のなさ、迫力の乏しさが際立っている。これは菅首相になってから始まったことではない。それ以前も似たようなものであった。そしてマニフェストは将来のあるべき姿を提示しているのではなく、選挙に勝てるかという視点から票田になる層へのバラマキアイテムを並べることに終始している。
 20年後、30年後の日本をどうするかという視点からものを観ていない。なぜこのようなことになるのだろうか。ひとつは首相選ぶ仕組みに原因があるのではないだろうか。現在は衆議院での多数決で首相が選ばれる。すなわち衆議院議員の投票で決まる。ところが彼らの評価基準は「この首相が本当にこれからの日本にとっていいか」ではなく、「この首相で次期選挙に勝てるか」である。要するにこの首相で自分は当選できるかである。この傾向は昔からあったが、小選挙区制になって極端になってきたように思える。議員は自分の選挙区で票がとれるかどうかがすべてであり、その視点でしかものを見ていない。このような議員に選ばれる首相の見識は結局議員の見識と同じレベルになってしまう。日本の視点ではなく、狭い1小選挙区の視点である。したがって長期的ヴィジョンを持てるはずもなく、ただ支持率の増減に一喜一憂するだけの器が選ばれる。見識ある首相を出すための制度的な仕掛けとしては首相の直接選挙であろう。これにより、少なくとも1小選挙区の視点ではなく、日本全体が対象になってくるであろう。また自分の当選しか関心がない代議士に左右される危険が少なくなる。都道府県知事に首相より腹が据わっている人がいるのは、自分は直接選ばれているという自信からであろうし、また国民は、議員が選ぶよりもそのような人を選ぶ可能性が高いからである。
 小選挙区の一般的な議員の関心は自己保身である。自分がいかに落選しないで済むかである。この自己保身ということを企業やプロジェクトで見ると中間層に多くみられる。実際そのような例があった。
 比較的大規模なプロジェクトを部長クラスが担当することになった。ところが関連するステークホルダーが多く、まとめるのは極めて困難であった。スケジュールは遅れ、客先や上層部から、進捗状況の報告を厳しく求められた。そこで彼は、プロジェクトの最終的な姿の見通しを立てることはせず、現状の進捗が遅れていないということを見せることで事態の鎮静化を図ろうとした。彼がとった手段はプログラム作成のコード数を増やすこと(現在の政治でいえばバラマキ)だった。そしてプロジェクトメンバーに多少仕様が曖昧であっても、とにかくコーディングしてコードの量を稼げということだった。この方針により3カ月ほどは進捗に遅れはないということで関係者をなだめることができた。しかし彼の方針によりプロジェクトの品質意識は最低まで落ちた。
 テスト段階に入り、プログラムミス、インタフェースミスの大量発生により、プロジェクトは回復不可能なほどに破綻してしまった(現在の政治では財政破綻に相当)。上層部は、彼の方針に絶対反対を唱え、プロジェクトからはずされた若い男をカムバックさせ、立て直させることにした。彼がやったことはコーディングのスピードを上げることではなく、現時点における進捗の遅れを明確にし、対策として、スコープの大幅カットと、機能の単純化、そして作るものの徹底した品質重視であった。これにより客先とのシリアスな折衝があったが、結果としては収束した。
自己保身を最優先した前任者は自己保身できず、そのようなことは考えもせず、ただプロジェクトの収束だけを考えた後任者が結果として自分だけでなく、プロジェクト全体を救うことになった。
 日本の政界の仕組みと風土で例に挙げたプロジェクトの後任者のような人を選べるだろうか。

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