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「ダイバーシティ時代のプロジェクトマネジメント」
〜パニックに陥らない力〜

井上 多恵子 [プロフィール] :1月号

「こんな細い道、通れるわけがない」「やっぱり、タイヤが石にぶつかった・・・動かない。どうしよう?」「もう、こんなの嫌。帰りたい!!!」
 ラチャリゾートでの楽しい冒険になるはずだった。寒い日本を離れ、タイのプーケット島からスピードボートで30分程度行ったところに位置する小さな島での休暇。熱帯魚が泳ぐ海、点在する白いコッテージとヤシの木。リラックスした時を4日間たっぷり過ごした後にトライした、オフロードカーに乗って島内を探索する1時間のATVツアー。
 ビーチサイドに集合した参加者6名に、アクティビティ担当のタイ人のお兄さんがオフロードカーの使い方を説明してくれた。いや、説明してくれようとした、と言ったほうが正しい。なんせ、彼の英語には強烈なタイ語の訛りがあり、何を言っているのかがわからない。私自身、英語指導のプロとして、タイ人と接する社内の人に対して、「タイ人の話す英語の特徴」を解説したこともあるし、幾度となく彼らが話す英語を聞いて理解ができているつもりだった。しかし、このお兄さんの英語にはついていけなかった。最初から説明に頼らず、オフロードカーをいじって使い方を理解した私の夫は、問題はなかった。しかし、車の免許は持っているものの、原理自体を理解していない私は、操作方法がわからないまま、ツアーに出発することになってしまった。
 そして、最初からつまずいた。いきなり、細い山道を行くことになった時点で、私の頭の中は混乱状態。自転車に乗っている時の癖で、すぐ左足を地面に置いてしまう私に、夫が後ろから叫ぶ。「足を地面に置いちゃいけない!」確かに、危険な行為だった。よく足を怪我しなかったものだ。右に左に石にぶつかり、道をはみだし、肩はがちがち。私が動けなくなるたびに、ハンドルを直してくれるお兄さんの説明は、ますますわからない。帽子の上にヘルメット、長袖のパーカーに手袋という、日焼け完全防備の姿で臨んだ私は、みるみるうちに汗だくだくになった。パニック状態の中で、「私、帰りたい!!!」と懇願する私に夫は冷たく、「今からじゃ帰れない」そんなはずはない。お兄さんはトランシーバーを持っているから、誰かに来てもらうことはできるはず・・・そんな私の声にならない声は無視され、一隊は前に進む。汗だけでなく、情けなくて涙まで出てくる。そのうちに、後ろにいる韓国人の男性が韓国語で叫び出した。全く理解できなかったが、私の耳には彼の口調は軍隊調できつく、「しっかりしろ」と怒鳴っているように聞こえた。
 自分の弱さをさらけ出すことに慣れてきたはずだった。強みを磨くことによって、夫や職場の同僚に対し弱みを見せることができるようになってきた自分に対して「我ながら成長した」(この年になって!)と思ったこともあった。でもそれは、「周りの人に迷惑をかけない範囲で」という条件付きだったのだ。「私がとろとろしているせいで、ツアーが遅れている。後ろにいる参加者の皆はきっといらいらしている」そう思う気持ちが何よりも嫌だった。その気持ちが、事態をより悪化させたことは間違いない。
 茂木健一郎氏の最新刊「脳が変わる考え方〜もっと自由に生きる54のヒント」のメッセージは、「脳科学の見地から言うと、“リラックスしているけれども、集中している”フロー状態が一番力を発揮できるのです」だ。タイでの私はあの時、フロー状態からはほど遠い所にいた。パニック状態の中で脳が委縮し、「迷惑をかけている自分は嫌だ」という気持ちに全神経を集中していた。落ちこぼれている状態を受け入れ、体と脳を解決の方向に向けることができたなら、事態はもっと早く好転したに違いない。ツアーの後半になって慣れとともに肩の力が取れると、ギアの変え方も実は難しくないことがわかった。簡単なことが、私の頭の中でお化けのように巨大で大変なことになっていただけだった。
 パニックに陥ってしまうと、ろくなことがない。周りの人にとっては、単に、「ギャーギャー騒いでいるうるさい人」になってしまう。こんなわかりきったことを改めて、海外のリゾート地で気付くとは思わなかった。しかし、日常を離れ、リゾート地でリラックスしていた後だったからこそ、自分を振り返る余裕を持てたのだろう。内省する中で、もう一つ、気付いたことがあった。それは、自分が足を引っ張っている時に過剰に反応してしまう裏には、他人の弱さにも冷たく反応してしまう自分がいること。ダイバーシティの大事さを論じながら、人をありのままで受け入れることができていない。今年は、愛情を持って、自分と周りの人の弱さを見、そして、許してあげることができる、そんな心の余裕を持ちたい。その上で、パニックに陥りそうになったら、深呼吸をして、脳を委縮状態から解放して事態を好転させるように心がけたい。
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