関西P2M研究会コーナー
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稽古の精神とP2M

樋口 高弘 [プロフィール] :12月号

1.ミラーニューロンのお話し
 つい先般、駅売店で科学雑誌「ニュートン」(宇宙にまで進出した知的生命体、ホモ・ザピエンス〜)のタイトルを見て、衝動買いをしてしまいました。 大変興味深く読み入ってしまいましたが、その中に人間の脳の神経系であるミラーニューロンというものが、ヒトの行動を予測し、仮想現実のシミュレーションを行っているということを知りました。 類人猿にもミラーニューロンはありますが、あまり発達しておらず、特にヒトの場合は高度に発達し、他人の心、思考、意図などをさらに洗練された方法で想像し、これによって極めて社会的な生活を送れるようになったということが書かれていました。 この能力は「心の理論」とよばれています。

 そして、このミラーニューロンのもう一つの重要な活動は、高度な模倣だということです。 模倣によってヒトは、遺伝子にもとづいた自然淘汰から解放されて進化することができました。 ほとんどの動物は、進化するのに何百世代もかかりますが、ヒトの場合は、わずか1〜2世代で新しい行動を学び、まるで野火のように進化が広がっていきます。 これが、現代人のすべてを表しているわけではありませんが、重要な要素であり、いわゆる文化や文明の基盤となったということです。
 まだまだ続きますが、ここまでが、雑誌の中身の紹介です。 ここからが本論です。

2.稽古の精神
 最近、「ケイコ」というカタカナを見て、ヒトの名前かと思いきや、なんとそれは習い事のことでした。 これは時代の流れなのか、カタカナ英語風にすることでスマートさを感じさせますが、それを本来の「稽古」という文字にすると、古臭そうでとっつきにくさを感じる人もいるのではと思います。
 子供があるタレントの真似をして「オウベイカ!」という言葉が流行りましたが、一般的に言われる欧米化も今に始まったことではありませんが、どんどん漢字が廃れていくのも気になります。

 そこで、この「稽古」という字の持つ意味を調べてみることにしました。 「稽古」と言えば、私の場合は体育会系の人間なので、習い事ではなく剣道や柔道の稽古というイメージが強くあります。 この「稽古」とは学んだことを練習することですが、漢和辞典では「古の道を考える」という意味がありました。 古(いにしえ)とは先人を意味しているので、「先人の考え出したことを繰り返し真似て、先人の到達した域に達するために日々励むということ」だと解釈しました。
 ヒトは生まれたときから模倣をしながら成長していきます。 「模倣はいいことだ!」ということですが、最近横行している悪質な違法コピーを肯定した言葉でないことは言うまでもありません。 冒頭の高度な模倣を司るヒトの脳の機能であるミラーニューロンは、たまたまテーマに合った話題に出くわしたことが幸いして、引用させて頂いた次第です。

   また、日本人は「道を究める」ことが得意で、「稽古」によって先人の到達した域に達しても、満足することなく、その後の鍛錬・探究によって、さらに新しいものを生み出して、今度は自分が先人(師匠とか名人)とよばれるまでに高めていきます。
   あるテレビ番組で爪楊枝(つまようじ)一本にもこだわる日本人のお話を耳にしましたが、あのとがった先端の反対側の丸みとくぼみは、なんと「こけし」をイメージしているそうです。 とことん探究する日本人が、製品作りの分野にも生かされていますが、最近、欧米・アジア市場で苦戦を強いられていますので、大変複雑な思いです。

 次に関連のある話になりますが、私は10年前にあることがきっかけで、遺伝子と血液に興味を持つようになりました。 ある著書の中で、現代人の遺伝子を調べると人類最初の祖先は、アフリカで誕生したO型の女性ということを知りました。 彼女は狩猟中心の生活をしていたそうです。
 その後ヒトは、どんどん快適さを求めて大陸を移動し、環境や食生活が変化していきました。 その変化の過程で新しい血液型が誕生してきたということです。 最初のO型は肉食系の狩猟種族ですが、次に農耕生活をする種族が現われてA型となり、その後大陸をまたにかけて遊牧する種族が現れてB型となり、そしてAとBを合体したAB型が現れました。 AB型が出現して、まだ1000年しか経っていないとのことです。
 日本人は、4割がA型で多く、次にO型だそうです。 日本の祖先をたどると、縄文時代は狩猟生活が中心でしたし、弥生時代は農耕生活中心であったことを考えると、うなずける学説だと思います。 その農耕民族である我々の祖先は、亜熱帯育ちの稲を日本に持ち込み、四季のある日本の風土に合うように品種改良してきたという勤勉さと几帳面さを持ち合わせています。 それがその後の武家文化へと継承され、「茶道」、「武士道」が重んじられ、「文武両道」をめざして、「稽古の精神」で自己を高めていきました。

3.本質の理解
 話題は現代にスリップしますが、ソフトウェア開発を主体としてビジネスを展開している私たちは、短いサイクルで襲ってくる技術革新の波を受け、短期間での技術習得と、お客様が求める3つの対立する要求(高品質・低コスト・短納期)と戦いながら、生産性向上と品質の担保に苦労している状況です。
 また、新技術と既存技術の組み合わせによる価値創出が生命線となるので、個人の技術力・アイデアと組織の総合力が要求されます。 技術以外には業務知識力や開発手法適用力も必要ですが、どんな業界でも共通するプロジェクトマネジメント力がないと、前述の3つの対立する要求を実現することが難しく、お客様の信頼を獲得することができません。

 その中で見失ってはならないことは、本質の理解だと思います。 プロジェクトマネジメントでも、「なぜ?」を繰り返して根っこのところを解決することが全体最適だと言われています。
 そこで新しい技術や手法を学ぶ姿勢として「稽古の精神」が重要ではないかと考えます。 何か新しいものに跳びついて、本質を理解しないまま闇雲に適用し、誤った考え方や使い方をして失敗している事例が多く見られます。 本質理解には時間はかかりますが、個々人が原理原則を発見することが結局近道となり、より高度な実践力・創造力を養うことができると考えます。
 クロスカップリングでノーベル化学賞を受賞された鈴木教授は、あるインタビューで、少年時代は二宮金次郎と言われるほど、一冊の本を三十数回も読み、本質の理解に努めたと言われていたことを記憶していますが、まさにこれが「稽古の精神」だと思います。 私なんかは技術書でも1回読んだら終わりのことが多いので、深く反省しなければなりません。

4.P2Mに思うこと
 私はPMAJ関西のP2M研究会に昨年10月頃から参加していますが、師匠級の方や異業種の方々に交じって絶妙な意見交換や議論の展開に多くのことを学び、よい刺激を享受させて頂いています。 そして何よりも感じたのは、皆さんがP2Mに誇りを持っているということでした。
   研究会のある先輩は、P2M標準ガイドブックをいつも携帯されており、辞書のように手あかがついているほど活用されている跡が見て取れました。 大変頭が下がる思いでした。
 また、PMAJ関西の例会にも参加させて頂いていますが、講師の方が研究成果や事例を語る際に、先人(リーダや達人など)が残した言葉・技(わざ)や史実から、P2Mと絡めて何を学んだかというストーリーが多く見られ、私はいつも共感と感銘を受けていますが、私だけでしょうか? きっと、日本人ならではの「心が動く何か」があるのだと思います。
 欧米の洗練された様々な理論は素直に優れているとは思いますが、文化・慣習などの違いもあってか、心に響く何かが欠けているように感じるのも事実です。
 P2Mは、我々日本人(先人)の遺伝子が多く注入されているように思いますし、それだけではなく、グローバル(欧米流)な視点での長所が融合されていることも感じられます。 やはりここにも「稽古の精神」で道を究めてきた先人の智慧が息づいているように思いました。

 今後もP2M研究会を通して、日本国内はもとより世界を見据えたP2Mの真のファンになれるように、本質の理解に努めたいと思います。

参考文献)
  科学雑誌「ニュートン」(2010年12月号) 発行:ニュートンプレス
  「血液は語る」 著者:吉原 正登 (現代書林)
以上
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