PMプロの知恵コーナー
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「エンタテイメント論」(33)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :12月号

エンタテイメント論

第1部 エンタテイメント論の概要

15 TV放送とTV放送産業の実態
●教養番組・教育番組
 これには、教養番組、教育番組の他にドキュメンタリー番組、ノンフィクション番組などがある。国(自治体)の立法、行政、司法の活動、企業の経済&事業活動、個人の日常生活など、あらゆる分野と階層に於ける活動をテーマとする。

 またそれらの活動に潜む問題の本質を明らかにしたり、社会の通説、俗説、常識などの誤りを正したりする極めて社会性の強い番組である。更に科学、工学、事業などに関する知恵や知識なども伝える本番組は、社会人向け番組だけではない。幼児向け番組(幼稚園・保育所向け番組)、小学生向け番組、中学生向け番組、高校生向け番組、そして大学生向け番組がある。

 しかしこれらの番組は、「固い番組」として従来「視聴率」をあまり獲得できなかった。そのためNHKがその番組放送の主役を担ってきた経緯がある。けれども最近、民間TV局は、「世界一受けたい授業」、「池上彰の学べるニュース」などが高い視聴率を獲得している。

 その結果 民間TV局は、あるコトに気付き始めた。それは、①教養、教育などの「固い番組」のコンテンツの中に強い「エンタテイメント性」が存在すること、②エデュケーションとエンタテイメントの融合をこの種の番組制作で実現できること、③高い視聴率を維持できることなどである。
出典:「そうだったのか 池上彰の学べるニュース」 TV ASAHI HP
出典:「そうだったのか 池上彰の学べるニュース」 TV ASAHI HP

●「感性的遊び」と「理性的遊び」
 筆者の主張する「エンタテイメント」とは、何度も述べている通り、「遊び」を核とする双方向のコミュニケーション活動をいう。この場合の「遊び」には、2種類の「遊び」が存在する。

 その1つは、楽しい、嬉しい、愉快、痛快など「感性的欲求」を充足させる所謂「感性的遊び」である。もう1つは、興味深い、ナルホド、合点など「理性的欲求」を充足させる所謂「理性的遊び」である。前者は、ファンタジーな世界、後者はリアリティーな世界での「遊び」と言い換えることもできる。

 実際のエンタテイメントの「現場」では、これらのどちらか、または両方の「遊び」が存在する。そして最も人々を満足させる「遊び」は、その両方を同時・同質に具備したモノである。そのことが多くの事例から分かる(後述)。

●日本のお粗末なお笑い芸人
 日本の民間TV局は、周知の通り、スポンサーからのTV広告料を獲得せねば生きていけない。そのため高い「視聴率」を獲得することが生存条件になっている。

 そのスポンサーが依って立つ日本は、バブル経済崩壊後の20年間、世界を驚かせる様な新商品、新製品などの「新ハード」や新映画、新番組、新音楽などの「新ソフト」を全く生み出していない。そして世界をリードする様な「新産業」も生まれていない。このことは、日本の経済をますます硬直化し、自由な発展を阻害し、長期の経済停滞を生み出す「悪循環」をもたらした。

 その結果、スポンサーのTV広告料は低下し、民間TV局、広告エイジェント、番組プロダクション等は、低予算でありながら高い視聴率を追求せねばならなくなった。そのため手っとり早く視聴率を取るために「笑い」を核とする「感性的遊び」を100%とした番組制作を最優先させ、低予算で使える芸無しのお笑い芸人を過剰なまでに多用した。

 人気が出て、名前が売れ出したお笑い芸人は、我がもの顔であらゆる種類の番組に顔を出し、傍若無人に振る舞った。一方彼らの出演番組の放送現場である会場に集められた観客は、何の芸もなく、大げさなアクションに「きゃあ、きゃあ」と騒ぎ、薄っぺらな「大笑い」する。その現場を放送することで、お茶の間のTV視聴者の笑いを誘導する情けない、見え見えの戦術を多用した。

 TV局が集めた観客は、自腹を切る必要はない。そんな観客を目の前にして芸を続ければ、その芸は荒み、必ず崩れてゆく。しかし多くのお笑芸人は、そのコトに気付いていない。自分の財布から高い金を支払ってお笑いを見に来る観客は、くだらない、芸無しの芸人に腹を立てる。腹を立てない場合は、笑わないだけである。金を払っただけの内容のある「笑」かどうかを観客は、意識的又は無意識に評価しているのである。この厳しい「場」は、筆者が以前から何度も主張している「ライブ・エンタテイメント」の「場」である。お金を支払って見に来る「場」である。

 昔、民間TVのモノマネ番組でプロのモノマネ芸人の芸を評価する番組があった。10数人の審査員が10点満点で評価する仕組みであった。その中にブルースの女王の「淡谷のり子」氏がレギュラー審査員として登場していた。他の審査員は、同じ芸能界の人物で異業種の人物や一般人はゼロであった。そして彼らは出演者に遠慮し、良く似ている時は10点、似ていない時は9点を付ける慣習が早くも定着させていた。しかし彼女は、そんな配慮などせず、当初は5点や7点などを付けていた。

 その内、彼女も周囲の薦めがあったのか、この慣習に従う様になった。しかし彼女は、10点は付けなかった。他の審査員は、やたらに高い点を付けた。彼女は、コロッケや清水アキラなどにも厳しい評価が下していた。そしていつも口癖に「真面目にモノマネをせよ」と言った。

 TV視聴者も、会場の聴衆も、番組関係者も、次第に彼女の採点に注目し始めた。そして彼女が遂に10点を付けた時、評価された某モノマネ芸人は、「淡谷のり子先生!」と言って、彼女の前で本気で土下座した。これを見た観客は大きな拍手と声援を送り、盛り上がった。彼女の「本音と本気」の審査姿勢が当該番組の「質」を維持し、「真のエンタテイメント」を発揮させたのである。ちなみにコロッケは、今も人気を保持しているが、彼は、モノマネの限界を早い時点で自覚し、「真面目なモノマネ」を一切止め、「お笑モノマネ」に方向転換し、何んとか生き残った。

 彼女が出演しなくなると、当該モノマネ番組の「質」は、落ちるところまで落ちた。プロのモノマネ芸人の芸に対する厳しい評価(リアリティーの追求)をしない審査員達の「迎合姿勢」、「批判回避姿勢」と番組制作者の「現状維持」、「安易制作」が凋落の原因である。

 最近、プロ芸人による「モノマネ番組」が時々放映されているが、その中身が如何に詰らないかを、本稿の多くの読者は先刻承知であろう。そして真の優れたプロのモノマネ芸人は、日本のTV番組から姿を消したのである。

●日本の優れたお笑い芸人
 筆者は、「お笑芸人はダメだ」と決め付けている訳ではない。立派な芸を持ち、実力のある芸人はまだまだ存在する。にもかかわらず、TV番組制作者や関係者は、真の芸人を育てず、才能ある人を発掘しないことを問題視しているのである。

 人気芸人や実績のある芸人ばかりを起用する番組制作の在り方は、お笑い番組だけにとどまらない。ニュース番組でも、ドキュメンタリー番組でも、いつも同じ顔ばかり登場させている。筆者も昔、TV番組に何度か出た。しかし「歯に衣を着せない」発言をするために出演させて貰えなくなった。

 現在のTV番組では、「予測不可能な発言をする可能性のある人物は出演させない」という不文律が存在する。その結果、いつも当りわさり無い発言をして、「それが問題ですよね」、「如何なものか思いますね」など問題提起はするが、厳しい批判を避け、具体的な問題解決策を一切提示しない学者、評論家、有名人などを起用する。

 新しい観点から、新しいアイデアを基に、新人や無名の人物を「失敗を恐れず」積極的に番組制作に起用することこそ、世界的なメディア競争の場で不可欠なことである。「今のまま」で冒険をせず、現状維持の責任逃れの様なことをしている民間TV局は、近い将来、間違いなく凋落の道を進むだろう。

 お笑いの芸のネタを他人に一切頼らず、自分で必死に考え、組織のバックもなく、自らの金と創意工夫と努力で今日の地位を気付いた芸人がいる。その人物とは「綾小路きみまろ」氏である。彼は、今も片時もメモを手放さない。思い付いたネタをその場で書き込み、多くの紙片を整理して、その日の出場に備えている。まさに創造的活動そのものを実行している。

 彼の芸が成功しているのは、「中高年を相手にした」と世間一般に言われている。しかしそれは「結果論」ではないだろうか。彼は中高年を対象とする様々なネタを考え、実行したことは事実である。しかし中高年を相手にする芸人は他に幾らでもいる。

 彼のネタや芸は、「面白い」だけでなく、笑わされている人が「ナルホド」と納得して笑っていることである。その証拠に彼の芸を見た観客や彼の追っかけフアンは、異口同音に「面白い。身につまされる」と指摘している。エンタテイメント論の観点から彼は、「感性的笑い」だけでなく、「理性的笑い」を同時・同質に実行しているのである。

 彼の人気は、一時的なモノではない。今後も長く続くことは間違いないだろう。彼は、「中高年のアイドル」と称して頑張っているが、もし将来、中高年に飽きられれば、他の世代を相手にした芸を自ら考え、新しいお笑い芸を開拓するだろう。

 多くのお笑い芸人が所属する吉本興業などの芸能プロダクションの経営者に是非言いたい。そうすることが生き残りのためだから。それは、①綾小路きみまろの創造的活動を見習うこと、②「エンタテイメントの本質」を学ぶこと、③素晴らしい、世界に誇れる「芸人(エンタテイナー)」を育てること、④自腹を切らないTV放送現場の観客やTV視聴者を相手の芸人ばかりを供給していると、自分の首を絞め、自滅すること、⑤自腹を切って見に来る観客相手の「ライブ・エンタテイメントの場」に彼らを常に出場させること、⑥島田紳助の様な芸人も例外なく、出場させることなどである。
出典:綾小路きみまろ同氏のHP

つづく
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