グローバルフォーラム
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「グローバルPMへの窓」(第51回)
クリミア半島にて

グローバルPMアナリスト  田中 弘 [プロフィール] :12月号

 歴史にあまり詳しくない方でも(私もそうであるが)第二次世界大戦後の列強による処理について、1945年2月に旧ソ連領クリミア半島のヤルタで行われた、米国Fルーズベルト大統領、英国チャーチル首相、ソ連スターリン共産党中央委員会書記長(首相)によるヤルタ会談のことは覚えているであろう。
 今回、このヤルタから車で15分の地にあるウクライナ国クリミア自治共和国グルゾフ市で、11月18日・19日に。P2Mイノベーションセミナーを行う機会を得た。このセミナーは11月8日から24日までウクライナ財務省の企画・統轄でウクライナ日本センター(JICAプロジェクト)、PMAJ並びにウクライナPM協会がアライアンスを組んで実施したウクライナ財務省および関係省庁と地方政府財務官向けのイノベーション起動セミナーの一環であった。
 クリミア半島は、旧ソ連の政府首脳の奥座敷の保養地区として戦略的な重要性を持っていた地で、ソ連内のロシア共和国の領土であったが、1960年代にウクライナ共和国出身のフルシチョフ首相が自分の出身国であるウクライナ共和国に返還を強行したと言われている。従い、ソ連が解体して独立国家群 (CIS) となった1991年にはウクライナ領土とされたが、元々ロシア人(人種的な意味)が主流のクリミアでは、主流のロシア人のロシア帰属運動が絶えず、2度にわたりクリミア共和国として独立宣言をし、その陰にロシア共和国の関与が取りざたされたが、結局、独立の心意気は数カ月しか持たず現在完全なウクライナ領である。
 しかしウクライナ政府はクリミアの歴史的な経緯を尊重し、現在はかなり形式的ではあるが、ウクライナ国内の自治共和国として独自の憲法、行政府、官僚機構設置を認め、またロシア語を公用語とする自治を認めている(私の短期観測では、全くウクナイナの一部でしかないが)。
 さて、クリミア半島の先端部つまり、黒海に面する南部は、世界を駆け巡った私の評価によると、多分世界に残された、大スケールの高級リゾートの秘境である。
 どのようなところかと問われば、
  • 自然の景観が日本の最大景観地(例えば伊豆半島の一部など)の約3倍のスケールで自然美をよく手入れしてあり大変美しい
  • 成金趣味にあらず、旧ソ連の共産党幹部など東西冷戦にあって「東側」の首脳の秘密保養基地として基盤整備した旧ロシア帝国以来のスラブ文化の華が結集した、世界に稀なる、超自然を上手に取り入れながら荘重な建築などネオクラシッ文明を採り入れたリゾートである。
  • クリミアの南端リゾートには、空路、鉄道の直接の乗り入れはなく、他の地域からのアクセスは着地点から最低でも1時間から2時間が必要であり、これを以てしても秘境に近い。

クリミア共和国地図(青表示は黒海) 南(下)4分の一が世界的リゾート P2Mセミナーが実施された”サナトリウム”
クリミア共和国地図(青表示は黒海)
南(下)4分の一が世界的リゾート
P2Mセミナーが実施された”サナトリウム”

サナトリウム
 クリミアと云えば、旧ソ連時代の共産党幹部の保養施設として報道された「サナトリウム」が有名である。サナトリウムと云う語感は日本の50歳以上の皆様には結核療養所のニュアンスが強い。しかし、ソ連、今CIS諸国の意味は、国民が一年に一回、激しい労働の日々を忘れて英気を養う為の保表施設を意味する。そのうち、超エリートのサナトリウムがクリミア半島のヤルタの周辺に密集している。今回セミナーを開催し、宿泊したサナトリウム「プシュキーノ」は最高級サナトリウムが黒海沿いに立ち並ぶグルゾフ市にあり、ソ連時代共産党幹部が使用しており、フルシチョフ首相も何回か保養に訪れたことがあるとか。

グルゾフのサナトリウム群 朝食風景
グルゾフのサナトリウム群 朝食風景

 各部屋はキング・スイートかスイートあるいはジュニア・スイート仕立てであり、黒海沿いのプロムナードと本館の間には800 m x 300 mの手入れが行き届いた庭園、25mの海温水プール(黒海の沖合1キロ地点のきれいでミネラルに富む海水を取水し、引き込み加熱したもの)、館名の由来であるロシアの偉大な詩人プーシュキンの記念博物間、ニスコート、サウナつきのフィットネスクラブ等が整っていた。
 サナトリウムの一日であるが、6時頃起床し、海岸のプロムナードや庭園(隣の陸軍の将校用のサナトリウムの庭園は我が方のものの3倍はあった)を散策し、8時からプールで30分ほどひと泳ぎし、プロ(医学博士号保有者)のマッサージで身体をほぐしてから9時に朝食、その後、部屋のテラスで読書三昧、スポーツあるいはクリミアの名所巡りやカフェ巡りなど、1日を過ごす。なお、レストランではアルコールは控える。(部屋では勿論可)。

ヤルタ市
 ヤルタ会談が行われたヤルタ市はクリミア半島の先端の上記の地図で見るとちょっと右寄りにあり、人口50万都市であるが、このヨーロッパでも有名なリゾート都市には空港は航おろか鉄道駅もない。訪れる人はクリミアの首都シェンフェノール空港から120分かけて車で行くか、キエフから16時間の夜行寝台列車で終点セバストポール市まで行き、そこから車で60分かけてヤルタに入る。面白いのは首都からヤルタ市まで150kmの長距離トロリーバスが運行されていることで、これは環境保護のためだそうだ。
 ヤルタはアメリカのワシントンDCのようなコロニアル風の雰囲気が溢れる街で、それほど大きくない港沿いにプロムナードがにぎやかだ。しかし、本当の高級リゾートはヤルタの周辺にあるようだ。ヤルタ会談が行われたリバディア宮殿は市内ではなく近郊にあるとのこと。

土曜日夕方のヤルタ港 クラシックな街並み
土曜日夕方のヤルタ港 クラシックな街並み

クリミア南端回廊
 宿泊したグルゾフ(東側)からヤルタを経てクリミア半島の先端を経てセバストポール市までの約150キロほどの国道を私はヤルタ南端回廊と名付けた。実にスケールの大きな景観が待ち構えている。同行者によると地中海のリゾートに似ているとも言えるが、ちょっと違うという。
 回廊のイメージを説明すると、黒海から海抜200から300メートルくらいの山の中腹を国道が縫うように走っている。北に向かって左手に濃藍の黒海と丘の中腹にサナトリアム、ホテル、宮殿(帝政ロシア時代からのロイヤルファミリーの夏宮)などが点在する。右は海岸まで迫った妙義山のような山脈が続く。
国道は山脈の高さが少し下がるとまるで箱根の仙石原のような壮大な平原(少し起伏がある)が出現し、そこにはワイナリーが点在する。クリミアワインは質の高さでウクライナ、そしてロシアでは貴重品である。しかもクリミアのワインショップで買うと1本千円くらいで国際的な品質比較でいうと五千円クラスのワインが買える。
 そして、バラクラーバというウクライナデモ金持ちしか知らないような街を訪れた。子の街は黒海からクの字型に細い湾が入り組んだところにあり、旧ソ連の黒海潜水艦隊の補修基地であった。つまり、黒海の外洋からは見えない湾の奥の方に岸壁をくり貫いた潜水艦補修基地があり、そのためにウクライナ独立後も1990年代の後半までこの街へ一般人の立ち入りは禁止であった。その間、補修基地としてだけではなく、ソ連軍の要人や政府首脳の保養地とヨットマリーナとしても開発が進められた。今ではだれでも訪れることができ、まるで地中海のちょっと外れたリゾートのような知る人ぞ知る華やかな外観と静かな雰囲気がある。我々P2Mチーム5名は、ここでクルーザーを1時間2千円でチャーターし、湾内と奇岩が続く黒海沿岸を楽しむことができた(なぜチャーター料が安いかというと、もともとウクライナの物価安に加えて本来漁船を改造したクルーザーであるため)。

ヤルタ回廊はマウンテンロードでもある クリミア南部回廊はSea & Mountain Road 旧ソ連の秘密リゾート バラクラバの街 バラクラバのリゾート施設
ヤルタ回廊はマウンテンロードでもある
クリミア南部回廊はSea & Mountain Road
旧ソ連の秘密リゾート バラクラバの街
バラクラバのリゾート施設

クリミアでのイノベーションプログラムマネジメント・シンポジウム2011
 今回11月のウクライナでのP2Mセミナーの成果は次号のPMAJジャーナル(紙ジャーナル)でグローバルPM特集のなかで報告するが、この度、ウクライナPM協会 (UPMA) PM協会、ロシアPM協会並びにPMAJで、2011年9月末から10月初旬の予定で、イノベーション・プログラムマネジメントに関する科学シンポジウムをクリミアで開催することで調整に入っている。今回のP2Mセミナーと同じサナトリウムで定員100名で開催し、参加費と3泊の宿泊費で10万円に収まるように企画を進めたい。
以上

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