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1990年代に入り日本企業はバブル崩壊で業績が落ち、経営者は利益責任を徹底させるため社内カンパニー制、ITの導入による情報共有化による分権化、成果主義の導入、本社のスリム化を行った。 |
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しかし、深刻な副産物が発生した。90年代後半部門間の壁が厚くなり、かつ連携が働くなり、社員の視野もせまくなり、成果主義のもとで(自部署)目標達成が最優先された。 |
③ |
これにより、自部署の部分最適や社員の視野狭窄化は、部門間の連携を阻み、異質な知の融合や新たな知の組み換えを阻止し、ひいては事業や技術のイノベーションの根を積んだ。すなわち、濃密なコミュニケーションの場を自から放棄し、まさに「心地よい窒息」状態に陥った。 |
④ |
その呪縛からの脱却の提言として下記を提唱している。
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人材育成である。すなわち、これまでの部分最適型経営から全体最適型経営に舵を切る。それを担う人材の育成が焦眉の急である。事業システム全体を構想・設計し「利益の多泉化」のできる人材の育成が必要である(教授はこれらをゼネラリストまたはプロデュサーと称している)。 |
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全体最適の範囲を広げることが必要である。今後は営業、開発、物流等の他の領域にも広げる。大企業が閉鎖性を解き放ち躍動感あふれるベンチャーの企業家精神にふれ、オープンイノベーションの道を開く。 |
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既存産業との異業種連合(連携)または融合によるインテグレーションを進める必要がある。そして、広範な知識を持つ世界に類例のないビジネスモデルと物作りを強みとする企業の連携により『産業イノベーション』が行われる。 |
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