PMプロの知恵コーナー
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ゼネラルなプロ (2)

向後 忠明 [プロフィール] :12月号

 名刺交換でカタカナ、横文字の肩書を示したものを皆さんも見たことの経験があると思います。表を見ると△△部長とあり、裏は英語でGeneral Managerとなっています。
 この人は海外での商談では裏にあるGeneral Managerという肩書を使用するのでしょう。このことは、前回「ゼネラルなプロ(1)」でのゼネラルマネジャの定義で示したウイクペディアからの情報と一致しています。
 しかし、日本のゼネラルマネジャと呼ばれる人達の役割は何かよくわかりません。企業によっても異なると思いますが、基本的には部長に近い立場と推察します。
 しかし、現実はその部下の人達も“上司の意見または決済が必要なので!”とし、“その上司であるゼネラルマネジャも“会社に図ってとか社長と相談してから”等々でその場の判断や決断をしない人が多いようです。特に、新規開発や初めての事業や仕事ではその傾向が激しいと感じています。このようなことは、 読者諸君の中にも身に覚えのある人もいると思います。
 もちろんその場で判断、決断することはリスクも伴うし、十分な検討も必要になります。
 この時は顧客に対して期限をきっちり約束し、最終的な顧客の期待または満足する判断、決断を約束期間内で行わなければなりません。
 こうなると、ゼネラルマネジャは自分の専門技術以外の技術や各種分野の知識をもち、それぞれの部下の専門技術や適用分野や最近の対象となるビジネスに関する新情報など取りまとめ、総合判断し、必要なら社内のコンセンサスを得て顧客に自分または自社の判断結果を示すことが必要となります。

 読者諸君は“ゼネラルマネジャの職位は大変でオールマイティーな知識を持っていないとダメなんだ!”と思う人が多いと思いますが、企業がイノ―ベーションを求められる現在ではぜひとも必要な職種であることと理解してください。

 このゼネラルとオールマイティーという言葉で思い出したのですが、専門家をスペシャリストと言い、今ではあまり使われないゼネラリストと言う職種?がありました。
 ゼネラリストと言えば2〜3年ごとに多くの部署を巡り、各部署の業務をこなしその都度偉くなっていく人のイメージが強く公務員のキャリアと呼ばれる人達がその典型です。

 この人達は組織の中でも選ばれた人で将来を嘱望された人達でした。しかし、今では専門性も持たない何でも屋、便利屋となってしまい、部下の書類の重箱突き、決断のない会議ばかりを開催、そして印鑑押しをするだけの管理職になってしまっているようです。
 上記で言うところの役に立たないゼネラルマネジャそのものです。
 しかし、本文の「“ゼネラルなプロ”のゼネラル」はこのようなものではありません。
 それでは「ゼネラルなプロ」について説明してください、と言われても困惑してしまいますが、そのため、各種文献や情報を取り寄せ検討していました。そのような中、日本経済新聞の一橋大学の伊藤邦夫教授の“経営革新へ視野を広げよ”と言った新聞記事が目に入りました。
 以下にその要約を示します。

1990年代に入り日本企業はバブル崩壊で業績が落ち、経営者は利益責任を徹底させるため社内カンパニー制、ITの導入による情報共有化による分権化、成果主義の導入、本社のスリム化を行った。
しかし、深刻な副産物が発生した。90年代後半部門間の壁が厚くなり、かつ連携が働くなり、社員の視野もせまくなり、成果主義のもとで(自部署)目標達成が最優先された。
これにより、自部署の部分最適や社員の視野狭窄化は、部門間の連携を阻み、異質な知の融合や新たな知の組み換えを阻止し、ひいては事業や技術のイノベーションの根を積んだ。すなわち、濃密なコミュニケーションの場を自から放棄し、まさに「心地よい窒息」状態に陥った。
その呪縛からの脱却の提言として下記を提唱している。
人材育成である。すなわち、これまでの部分最適型経営から全体最適型経営に舵を切る。それを担う人材の育成が焦眉の急である。事業システム全体を構想・設計し「利益の多泉化」のできる人材の育成が必要である(教授はこれらをゼネラリストまたはプロデュサーと称している)。
全体最適の範囲を広げることが必要である。今後は営業、開発、物流等の他の領域にも広げる。大企業が閉鎖性を解き放ち躍動感あふれるベンチャーの企業家精神にふれ、オープンイノベーションの道を開く。
既存産業との異業種連合(連携)または融合によるインテグレーションを進める必要がある。そして、広範な知識を持つ世界に類例のないビジネスモデルと物作りを強みとする企業の連携により『産業イノベーション』が行われる。

 読者諸君もここまでくれば、これまで述べてきたゼネラルとオールマイティーの能力を持った人材のイメージが湧いてきたと思います。このような現象はあらゆる産業に起きていることも事実です。

 筆者が関係する情報処理(IT)関係の委員会でも専門分野の高度化に対応する専門家の分類分けが行われています。その中に、各専門の異種技術を統合し、顧客の求める要求をまとめ、業務全体を管理する役割役務を持つ職種もあります。この職種をプロジェクトマネジメントと言っていますが、この場合でもいくつかの技術分野に分けています。
 その上、関係する領域(フェーズ)もせまい範囲に閉じ込めてしまっているので、教授の言われる全体最適やその範囲の拡大と言った内容から外れたものになっています。

 また、2006年頃にもすでに伊藤教授と同様なことを富士(現みずほ)総研の福井氏が「ゼネラリスト待望論」にて、IT分野での人材育成に関して以下のように言っている。

 ITシステム開発において顧客と同じ土壌で円滑なコミュニケーションをすることができる能力が求められ、そのため自分の専門以外の知識や能力が必要となる。これはゼネラリストと言う言葉であっても、多くの人がイメージとして持っている何でも屋ではなく、スペシャリストを超えた存在であることが求められている。そのようなプロ、すなわち変革と言うカオス状態においてはスペシャリストを超えたスペシャリストが必要となっている。

 こうなってくるとH氏の言われた「ゼネラルなプロ(1)」での“ゼネラルなプロ”とプロフェショナルゼネラルマネジャーが一致するような気がします。
 すなわち、ゼネラル業務に対応できる専門的(職人的)管理者と言うことになり、業務の目的内容によりその名称は変化するが、「P2M」で言うところの使命達成型職業人と言うことになる。

 ところで「P2M」で言うところの「使命達成型職業人」の定義はどうなっているかを、本文を引用してみます。

 「プロジェクトマネジャやプログラムマネジャ、またはプロジェクトマネジメントに関連する職業人が、技術士、公認会計士、医師などと同様に社会に認知される高度専門職業人(プロフェショナル)であることを希求している。さらに、日本やグローバル社会から求められている現代の複合課題や複雑系課題に挑戦する人材である」としている。

 この定義から見ても、まさにこれまで述べてきた「ゼネラルなプロ」がこの「使命達成型職業人」であることが分かります。

 ところでプロジェクトマネジャとプログラムマネジャの違いはどこにあるのか?
 「P2M」の内容をよく見てみると“使命”の位置づけの違いによるようです。
 “使命には「①すでに目的が明確になっている業務に対応するもの、②目的の背景探索から始まり、将来構想を含めそのシナリオ作成を行い、業務の具体化を図ると言った目的が明確でない業務に対応する」と言った2種類のものがある。①に対応するのがプロジェクトマネジメントであり、②に相当するのがプログラムマネジメントである。
 以上のことから伊藤教授の言われる事と「P2M」の定義を以下に並べてみます。

「事業システム全体を、構想、設計し“利益の多泉化”に対応し、その結果のモデュールの具現化を業務対象とする部分最適を目的としたのがプロジェクトマネジメントと考えます。
「企業が閉鎖性を解き放ち躍動感あふれるベンチャーの企業家精神にふれ、オープンイノベーションの道を開く。」と言ったプロジェクトマネジメントよりも適用領域範囲を広げた業務を対象にするのがプログラムマネジメントと考えます。

 以上、「ゼネラルなプロ」であるプロジェクト&プログラムマネジャは、日本が今求められている新たな事業価値の創造・実現に必要不可欠な人材と考えられる。
 このような人材の育成は単なる知識や経験だけではなく、人の行動特性にもよるところが大きいと、私(筆者)も参加している情報処理関係でのPMに関する委員会でもPMコンピテンシーとして議論されています。
 最近よくイノベーションと言われる言葉が使われていますが、今求められている事業変革に必要な人がこれまで述べてきた人材(財)です。

 要するに持続的学習と、他の人の知見や技術で自分にない部分を補完することによって、複眼的発想ができて、後は与えられた問題に挑戦する気概を持つことのできる度量があればよいと思っています。
 しかし、「言うは易し、行うは難し」であり、この件に関しての王道はありません。
 自己啓発と「ワンランク上を目指そう」とする努力によるしかないと思います。

 次回からはプログラムマネジメントとプロジェクトマネジメントについて説明していきたいと思います。
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