ダブリンの風(88) 「わかったつもり」
高根 宏士:11月号
先日久しぶりにゴルフの練習に行った。筆者の前の打席まではゴルフ教室になっていた。そこではプロの先生一人に10人ほどの方が教わっていた。その中で先生が一人の生徒に長い時間をかけてスイングの矯正をしていた。先生の言うことは一つだけ、
「手打ちになるな、体を回せ」
であった。ところがいつまでたってもスイングは治らなかった。そのうち生徒が怒りだした。
「私は先生の言うとおり、体を回しています。それでも上手くいかないのです」
と言って帰ってしまった。先生は、ばつの悪そうな、また悔しそうな表情をしたが、気を取り直して他の生徒たちを教えていった。筆者が見たところ生徒は体を回してはいなかった。体が硬くなってきているだけで、より強く打とうとし、手首を使っていた。そのためダフリ、押し出し、引っかけが多くなっているようだった。
教室が終わった後、プロの先生が二人雑談をしていた。一人が
「我々が、例えば体を回せというと、それは分かっていますという言葉が返ってくる。実は分かっていないんだよね。」
というと、もう一人が
「そうだよ。彼らがわかっているということは、日本語の意味としてわかっているだけであり、ゴルフのスイングとしては分かっていないんだ。ゴルフとしてわかるとは体が納得した時で、国語の問題ではない。だから国語では簡単な言葉をわかるためにゴルフでは何年も練習しなければならないんだ。ところが生徒は言葉がわかるとそれだけでわかったと思う人が多い。そして上手くいかないと我々の言っていることが間違っていると思うから困る。」と言っていた。
二人のプロの云うことは物事の本質を突いている。「わかったつもり」と本当の意味で「わかる」ということの間には大きな段差がある。ゴルフについてこの段差を越えられるかどうかが、ゴルフが上達するかどうかのポイントであり、仕事では本当のプロになるかどうかの試金石である。
プロジェクトマネジメント(PM)の世界ではPMBOKやP2Mという知識体系がある。そこに書いてあることを一所懸命勉強すれば、PMPやPMSの資格を取ることはできる。そこでPMがわかったつもりになることはないであろうか。このレベルでは極端にいえば言葉としてわかっているだけで、生きているプロジェクトをわかるわけではない。生身のプロジェクトを遠くに見ながら評論するぐらいはできるであろう。しかしこのレベルで止まっていては現実のPMの力は上がらない。現実のプロジェクトをマネジメントし、一定の成果を上げない限り、現実のPMをわかったとはいえない。
我々が最も意識しなければならないのは常に現実のプロジェクトに触れなければならないということである。そうでないとPMの有資格者は多くなってもプロジェクト崩れの数は減らないであろう。増えるかもしれない。
それでは知識体系は意味がないかというとそうではない。現実のプロジェクトは複雑で、微妙なものである。それを経験したからといって、一般レベルの人ではどのように整理して自分のノウハウとして活用できるかは結構難しい。そのようなときに知識体系を知っていればそれが、体が経験したことの整理の方向を決める示唆になることである。
絵画や音楽の解説書がある。解説書を読んでわかったつもりになることがあるが、絵画や音楽をわかるためには、本物の絵を見、音楽を聴かなければならない。解説書はあくまでも本物から感じたことが何かをわからせるための道具である。
PMにおける知識体系は絵画や音楽の解説書の位置づけであり、解説書が主ではない。
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