ダブリンの風(87) 「名人戦」
高根 宏士:10月号
先日NHKのテレビで囲碁名人戦の中継を見た。井山名人と高尾九段の第3戦であった。
高尾九段も善戦したが、名人の懐の深い強さが印象的であった。
名人戦は持ち時間それぞれ8時間、2日間にわたる戦いである。最近主流になっている持ち時間の少ない早碁とは異質な世界のように感じられた。勝負どころでは1手に1時間近く考えることもある。最善の手を求めて、苦吟する姿は静かな中に、緊迫した空気を醸し出し、素晴らしい情景であった。
ところで1手に1時間近く考えるということは、いろいろな手が浮かび、それらの手の一つ一つについて、相手の打つ手を想定し、その結果を見極め、どの手が最も有利な結果になるかを評価し、最終的に打つべき手を決定しようとする過程である。そこでは数多くの変化をイメージできなければならない。名人戦の挑戦手合ともなれば、対局者は無数の変化をイメージし、その中から最適の手を見つけ出そうとしているのであろう。時間はいくらあっても足らないかもしれない。
名人戦との対極に、我々がやっている笊碁やへぼ将棋がある。子供のころ父親と将棋を指していて、少し考えていると必ず「下手の考え休むに似たり」と言われたものである。これは初心者や下手な人は考えているつもりになっているが、考える材料もなく、ただ迷ったり、悩んでいるだけであり、時間を使うことは無駄だという意味である。確かに考えているつもりになっているだけで、手を読んでいるわけではなく、結果的に決断ができないだけということが多い。それよりも浮かんだ手をすぐに指し(碁ならば打ち)、結果を早く知り、次の機会に考える材料を増やすことを意識した方が、上達が早いであろう。
プロジェクトにおいてPMは様々な場面で決断を要求される。しかしその局面で的確に決断できるPMはそれだけで相当レベルが高い。多くは思い悩んで、決断を先送りしていることが多い。この時我々は名人のように考えられる手を数多くイメージし、結果を読み切ろうとして時間を使っているのであろうか。それとも考えられる手は少ししか浮かばず、そしてその手を使うことを決断することに対して、自信がなく、不安を感じて、先送りしているのであろうか。多くは後者の場合が多いように思われる。これは「下手の考え、休むに似たり」である。決断すべき時に単に、悩んだり、不安を感じたりしているだけで、時間を便便と費やし、自分では忙しくて、時間がないと思ってはいないだろうか。
有意義な考える時間を使うためには、考える材料を常日頃、収集し、整理し、局面に応じて俎板に載せられるよう準備をしておかなければならない。「プロジェクトを読む」とか「リスクを読む」ためにはそれなりの材料のストックが必要である。
的確な決断をするにあたって有効に時間を活用するためには「材料のストック」が重要であるが、同時に便便と時間を空費せずに、適切なタイミングで決断するためには1つのノウハウがある。例として、AをとるかBをとるかの決断を迫られたとする。Aをとれば90%、Bをとれば10%の確率で期待される結果が出ると予測されたならば、ほとんどの人はAを採ることを躊躇しないであろう。このような場合は誰でも決断できる。決断に迷うのは50対50に近い確率の時である。より詳細な検討を行って55対45という数値を出しても決断を促す数値にはならない。このような場合決断するための検討をどんなにやってもそれほど効果はない。このような場合はどちらを採っても同じだと割り切ることである。そして早くどちらかに決め、採用した方のメリットをより発揮させるための検討と、リスクや問題と思われることの回避方法の検討に時間を費やす方がプロジェクトにとって実質的に効果があるという認識で対応することである。
的確な決断のためには、事前の準備(材料のストック)、とことん集中した検討(読むこと)、そして最後は割り切った判断とその判断を有効にするための対応策を詰めることである。
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