リレー随想
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「シンポでスクマンさんのプロジェクト発表!」3年越しの道のり

尼子 洋 [プロフィール] :10月号

はじめまして、オリンパスシステムズの尼子と申します。
本稿では、PMAJシンポの当日ボランティアメンバとして毎年ご活躍いただいておりますネパールはグーセル村出身のIT技術者、スクマンさんの「他」己紹介と、3年越しで実現した2010年シンポでの「スクマンさんのプロジェクト発表展示」について触れ、皆様への感謝を、あつく御礼申し上げたいと思います。

【2007年】
「ご自身のプロジェクトの新聞記事、持ってきてくれたよね!?」
「皆さん!スクマンさんは故郷のネパールに高校をつくったんだよ!」
ある方の紹介で、どよめきが起こり、喝采の嵐が鳴り止みませんでした。
小生がスクマンさんとのはじめての出会ったのは今から3年前、2007年8月のシンポ打ち上げ1次会のことでした。
・・・照れながら、カバンからクリアファイルを取り出すスクマンさん。
朝日東京版の記事には、ネパールの学校前で笑顔のスクマンさんがそこに居ました。
この時「シンポでスクマンさんのプロジェクト発表やろう!」という機運が高まりました。

【2008年】
ところが2008年の年明け早々、事態は急転しました。
まず小生自身は突発性難聴で入院療養となりPMAJどころではなくなりました。
また退院後「スクマンさんのプロジェクト発表」が審議未了廃案になったと聞き、小生は目の前が真っ暗になりました。どうやら機運が高まりすぎて企画内容が飛躍しすぎたのか、冷静なご意見に場の空気が呑まれてしまったとのことです。
失意のまま夏となり、小生はスクマンさんからネパール旅行のお誘いを受け、08年〜09年の年末年始に、グーセル村の学校にお邪魔させて頂きました。

そこでスクマンさんと小生達は、熱にうなされたような総出の村人たちから、「ナマステ!」「ナマステ!」の大歓迎を受けます。小生は感動のあまり、一度は消えたこの「スクマンさんのプロジェクト発表」を再び実現したいという思いがこみあげてきました。

【2010年】
09年には何もできず、10年1月のシンポ企画会議の帰路、ラストチャンスの思いで「シンポでスクマンさんのプロジェクト発表やろう!」と打ち明けた小生に対し、周囲の方たちの反応は嬉しいものばかりでした。
「実は私も、09年にやれたらと思っていたんだよ・・・」と。
このご縁を絶対に潰してはならないと小生に妙な使命感が生まれました。
議論の末「スクマンさんのプロジェクト発表(展示)」は会議で承認されました。

【シンポ直前】
ところがシンポ当日まで日数が足らない状況で、起案者であるはずの小生は、差込みの本業が忙しくなり、肝心の「スクマンさんのプロジェクト発表展示」制作に、手がつけられず浮き足立つ格好になりました。
焦ってばかりの状況を周囲の方が察して、全て快く引き受けて頂き、また制作ための賛同者を募っていただいたお陰で、無事当日を迎えることができました。
この大ピンチを救って頂いたお陰も、決して忘れることはできないでしょう。

【そして当日】

「スクマンさんのプロジェクト発表」展示ブースには、終始黒山の人だかりではありませんでしたが、多くの方がスクマンさんと長話される場面を、小生は忘れることができません。3年間を通じ、積極的な意見・冷静な意見を通して、この企画に関心を持ってくださった多くの方や、小生の気づかないところでこの企画を支えて下さったより多くの方には、心より感謝の思いでいっぱいです。

本当にありがとうございました。
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