グローバルフォーラム
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「グローバルPMへの窓」(第48回)
60の手習い・・フランス語、ロシア語

グローバルPMアナリスト  田中 弘 [プロフィール] :9月号

 最近思い立ってフランス語の学習を始めた。そしてフランス語が軌道に乗ったらロシア語もと欲張っている。まさに60の手習いである。
 フランスの大学通いもせいぜい4年程度と思っていたがすでに8年目を迎え、非常勤とは言えフランスの大学の教師がフランス語がまったくできないのでは恰好がつかないと思うようになったのと、前回報告の本年7月のパリでの講義の際に一緒に行って戴いた井上さんが完璧な英語だけではなく、フランス人に言わせると彼女の発音とイントネーションはフランス人と変わらない、というフランス語(単語はかなり忘れたようですが)を話すのに触発されたこともある。ロシア語の方は、ウクライナでの活動がこれから5年は続くと思っており、同国でも国立造船大学の教授ということになったので、講義は通訳を入れるとしても簡単な会話くらい話せないと実際に困ると切に思うようになったためである(ウクライナにはウクライナ語があるが、ロシア語で事足りそうだし、どうせ習うのであればロシア語圏全体で使えるロシア語の方がよいと)。
 私は外国語をあまり苦手としてない。英語は、エンジニアリング企業という英語が準公用語という環境で育ち、英語でのプレゼンテーションや講義・講演を1千回以上行い、プロポーザルや論文をさんざん書いているので、あまり困らない(ただし日本人として)。また、学生時代にラテンアメリカ研究活動をやっており、スペイン語は南米での1年間の修業も経て、これまた社会人になって5年程度は業務で使用していたので、かなり忘れたとはいえ、スペイン語を話す人と会えば、今でも日常会話程度はなんとかできる。インドネシア語は、20代の最後から30代の半ばまでインドネシアに4年8カ月駐在し、初めの1年は英語が全く通じないカリマンタン(ボルネオ島)に駐在していたので、これまた、身体に染み込んでいる。 マレーシア語はインドネシア語と85%程度同じなので、クアラルンプールやシンガポールの町では、マレー系住民には時々マレー語で話しかける(しかし、タクシーの運転手さんや屋台のおばちゃんはマレー語で答えてくれるが、ホワイトカラーは英語で返事をする)。あと、中国語とポルトガル語は愛嬌をふりまく程度の単語は知っている。
 しかし、フランス語はなかなか手ごわくなかなか本気で手を出さなかった。
しかし、1年に2〜3回フランスを訪れているうちに、だんだん耳が慣れてきてなんとかなりそうであると思うようになったので、自習であるが来年2月をターゲットに日常会話が大体できるようにしようと目標を立てた。なぜ来年2月かというと家族旅行でフランスに行こうとなったから。
 フランス語はスペイン語やポルトガル語と同じロマンス語であるので、文法がかなり似ており、単語も実質的に同じなものが結構あるので、読む方は40%程度は見当がつくのであるが、音はどうも把みにくかった。これはフランス語の音を集中して聞く訓練ができてないからと判断し、毎日通勤の時間などにディスクから音を聞いて、システムをつかむようにしているのが現状である。
 外国語の勉強もPMと同じシステムアプローチで行うのがよいと思う。その言語の文法や用語法などのシステムを見抜くのであるが、分厚い本で勉強を始めるとすぐにため息がでてギブアップとなる。まずは、100ページ以内のCD付きの入門書を買ってきて一通り読んだら、CDを回して音を何度も何度も聞く(あるいは本とCDを交互に)。そうすると言語のシステムがだんだん分かってきて面白くなる。
 勿論、自分でも何度も発音してみてリズムとイントネーションをつかむ。
 また、効率的に学習するには、これまた、システムアプローチで、会話のシーンを自分で想定しながら、この場面のこのような問いかけや返事は自分の知識のなかにあるかどうかをチェックしながら網を広げていく。
 こうしてフランス語に取り組みつつあるが、フランス語はどうも、スペイン語に比べてアバウトな表現が多いのに気が付いた。よって具体的な表現はそのまま覚えるに限る。
 ロシア語についてはいまどの教科書を使うかを考えつつある程度であるが、何せキリル文字が読めないのが入口の難関である。キリル文字とはギリシャ文字のことでロシア語とウクライナ語の文字はギリシャ文字の分家である。PM関係のフランス人は全員英語を話せるが、ウクライナでは英語を話せる人は一部の大学院生を除いてはほんの一握りであり、ロシア語の学習の方が切迫しているのだが。
 しかし、日本の社会の法則でいえば、英語を話せなくても何ら不自由がないので英語は話せないということがまかり通っているので、やはり、外国語に取り組むのは必要性かちょっとしたきっかけがあったことが普通であろうか。
 私の場合は、英語は中学に入って最初の英語の授業で、先生から全員に、英語で知っている言葉を挙げてみろと言われ、Be動詞とHave動詞を使った短文(なんで覚えたか忘れた)を4つぐらい並べたら先生に大変褒められ、熱心に勉強するようになった。スペイン語は、高校3年の時に後楽園球場(いまの東京ドーム)に日米野球を見に行って内野席の一番前にいたらサンフランシスコ・ジャイアンツのオルランド・セペダ一塁手とエースのフアン・マリチャルル投手(いずれもプエルトリコ人でMBLきっての名選手)がやってきて、二人の話している非常にテンポの良い言葉(スペイン語)に魅せられ、その後大学に入ったら、新入生勧誘でラテンアメリカ研究会の網にかかり、スペイン語を含めて中南米に深く入っていった。このようなことがきっかけである。  ♥♥♥♥♥

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