PMプロの知恵コーナー
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ダブリンの風(85) 「あずさ3号」

高根 宏士:8月号

 数日前信州の富士見高原にある、友人のログハウスに出かけた。その時八王子から小淵沢までJRの特急あずさ3号を利用した。あずさ3号は千葉・松本間を走っている。ところがこのあずさ3号が信濃町駅付近で人身事故に会い、八王子に10分遅れで到着した。その後は何の支障もなく動いたが、大月ではその遅れがいつの間にか20分遅れに拡大してしまっていた。
 「これから20分遅れで推移する予定です。申し訳ありません」という車内放送の声が何度も定期的に流れてきた。しかし何の改善もないまま、また改善しようとする意欲が感じられないまま、「申し訳ありません」という言葉をあまりに言われたため、イライラする気持がつのってきた。放送の度に例えば1分ほど遅れが縮まっているならば期待もできようが。
 試みに駅の停車時間を測ってみると山梨市駅では30秒、甲府駅では1分であった。乗降客は両駅とも同じ程度だった。遅れを回復しようとする意図があるならば、この停車時間を短縮することが考えられる。ダイヤ上は1分の停車でも遅れているのだから30秒にできるはずである。これならば安全上も問題ないはずであるが。
 最近の列車運行は遅れ始めると、回復に長時間とられるケース多いように思われる。それは安全という御旗のもとにシステムに任せっぱなしの運行管理に要因があるのではないだろうか。以前は駅員さんも車掌さんも遅れの挽回に必死になっていたように思われる。現在は遅れの回復に必死になっても万一問題を発生させると世論に叩かれるし、上からは責任の追及が厳しくなるので、勢いシステムにませるだけになってしまうのではないか。そうしていれば問題があってもシステムにかぶせられるから。
 福知山線の事故は遅れ回復を焦ったことが原因であるが、それは上からの責任追及を逃れるためであった。顧客視点での遅れ回復ではなかった。
 プラント建設プロジェクトで似たような例を聞いたことがある。ある企業が外国のプラント建設プロジェクトを受注した。その中の一部工事を現地調達ということでその国の企業に発注した。発注した日本企業はリスクを考えて遅延ペナルティ条項を盛り込んで契約した。プロジェクトの進行につれ、遅れが出てきた。発注企業は遅れを取り戻す手を打つよう受注側に要請した。ところがどんなに言っても受注側企業は手を打とうとしなかった。どうして手を打たないのかと質問をしたら、回答は「ここで人を投入して遅れを回復するよりも遅延ペナルティを払うほうが、出費が少ないから」ということだった。そこには発注側(顧客)に対する気配りはない。自分の企業がどうしたら費用を少なくできるかだけに関心が置かれている。
 我々が契約するとか、一般的には約束するということは、相手側から見ると、彼らはその約束が守られるということを前提に次のことを考えている(計画している)はずである。したがって約束を破るということは相手側の以後の行動を妨げることになる。それに対して、心底申し訳ないという気持ちと、破ったために相手が受ける被害をできるだけ少なくするために、その時点で自分ができることは何かを誠意をもって提示することが人間としての「礼」ではないだろうか。
 この「礼」を忘れた世界では単に「申し訳ありません」という車内放送の機械的繰り返しになるか、契約条件の中ならば、成果はどうでもよく、如何に自分に有利になるかのみを判断の基準にしてしまうのであろう。このような世界では、長期的に見て最も有効な関係である「信義」や「信用」はなくなり、自己防衛のためのリスク対策ばかりが肥大化するであろう。

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