馬場 孝司
現:ICTコンサルタント
(前 (株)富士通岡山システムエンジニアリング
代表取締役社長)
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日本人と英語
馬場 孝司
[プロフィール]
:8月号
昨今、日本企業と海外企業との事業提携が盛んである。又、システム開発の世界でも、海外企業との共同開発やオフショア開発の拡大が続いている。
このようなグローバル化の急速な進展に伴う国際的なプロジェクト運営は、日本人によるリーダーシップ発揮が望ましいが、必然的に一定水準の語学力(英語力)が要請される。
P2Mにおいても、”英語力強化”に取り組んでいると聞いているが、最近の報道に関連して、ICT分野を中心に、ひと言感想を述べたい。
ネット企業「楽天」は、社内の公用語を2012年中に「英語」にするという。
同社ではすでに役員会議などの資料を英語にし、会話も英語で行い始めているが、「世界で事業を成功させるには、スタッフレベルの英語のコミュニケーションが重要になってくる。海外の優秀な人材を得るためにも必要」と説明している。
今後は、事業を現在の6カ国・地域から27カ国・地域へ拡大し、グループの販売額を09年度の1兆円から将来は20兆円まで伸ばす目標も打ち出した。
「楽天」はもはや”日本企業ではない”ということか。
今後2年の猶予期間で英語(英会話)を習得し、テストに合格(TOEIC700点以上らしい)しなければ退職を余儀なくされる。大企業や老舗企業では様々なしがらみがあってやりたくても出来ないことですが、ベンチャー企業の行動は大胆だ。
楽天以外の国内企業でも、日産自動車が役員構成上、社内の経営会議を英語で行っているほか、ユニクロ(ファーストリテイリング)も2012年3月から英語を社内公用語化する方針だという。
最近の富士通とMSの事業提携やNTTの世界展開(南アIT企業の大型買収)など、システム事業分野においてもクラウドコンピューティングの進展に伴う、海外戦略の実践が活発化している。このことは、世界的な規模で人材交流が激しく行われることを意味し、日本人従業員に対しても、世界の共通語である「英語」を中心に語学能力保持者の育成が急務であることを示している。中小ベンダーにおいても同様で、引き続き大手企業とのパートナー関係を維持しつつ、世界市場に対応しようとするならば、共通語である「英語」に対する関心を従来以上に持つ必要があるだろう。
みなさんどう思います? 自分の会社がそうなったらどうします?
さて、日本人の英語能力問題は古くて新しい問題である。
中学校から何年も英語を勉強してきたのにちっともしゃべれない。
難しい文法ばっかりやったとかネイティブの先生がいなかったとか様々な問題が指摘されているが一向に改善されない。
私の経験でも団体での海外企業訪問時は必ず通訳を帯同した。いまでも悔しく恥ずかしい思いがする。ヨーロッパでもインドでもベトナムでもタイでも中国でも相手企業は母国語が英語ではないのに英語でプレゼンテーションしてくれる。それを通訳に頼る日本人のご一行はきっと奇異に映ったに違いない。
世界中の情報の95%以上は英語だといわれる。そもそもICTは外来テクノロジーだ。
文化や宗教の違いを超越した”普遍的な世界”を表現したものだ。
特に、ソフトの世界はほとんどが英語製品である。技術・経済の文献や論文が原書で読めて、海外サイトがそのまま読めれば大きく世界は広がるだろう。
英語が扱えなくては常に知識レベルが1年〜2年遅れということにもなる。
今まではともかく、すべからく世界水準の知識が必要な時代にビジネス人としては、”英会話能力ゼロ”というのは致命的な欠点となるかもしれない。
普段使わないのに必要ないとか、必要に迫られればやりますよ、なんてうそぶいていてはますます時代に取り残されていく。
必要にして十分な英会話能力がなければ、たまの海外出張も出来ないし、グローバルビジネスの一端も担えない、海外オフショア開発や海外企業との提携ビジネスにも参加出来ない、ましてや多国籍プロジェクトのマネジメントなど絶対できない。
出来る人にやってもらうとすれば、能力が仕事を引き寄せるような気がするのですが。
大前研一氏曰く、「・・・もはやモノ作り(ソフト開発)は、インドやアジア諸国に勝てない、日本人は高い知的水準を生かして”マネジメント”(管理・リーダシップ)の世界で発展すべきだ・・・」と。今のままではかなりしんどいと思うのですが。
さて、物事を頭で考えるとき、「言葉」で考えるという。
つまり、ああして、こうして、こうなって、その時どうして、こう言って、などなど
思考には言葉が必要なのだそうです。(あたりまえ?)
だから普通日本人の頭の中は日本語で考えを組み立てる。時々独り言を言ったりする。
一方、英語が公用語になると英語で物事を組み立てることになる。
英語に堪能な人は、最初から英語で考えるが、英語に不得手な人は、まず日本語で考えてから英語に翻訳する。なんとか通用すればどちらでもいいとは思うが、時々は英語で考える訓練が必要だろう。辞書を片手に英語のみの会議などに挑戦してみてはいかがか。ソフト関連なら基本的な一般単語と日常的に使っている”テクニカルターム”で何とかなると思います。
余談ですが、クリント・イーストウッド監督/主演の「ファイアーフォックス(1982年)」という映画を思い出した。冷戦時代、ソ連が開発中の近未来型新鋭戦闘機をアメリカのスパイ(イーストウッド)が盗み出すというストーリー。この戦闘機はパイロットの思考のままに操縦及び兵器の操作が出来る優れ物。首尾よく盗み出すがなかなかうまく操縦出来ない。それは「英語」で思考していたからで、「ロシア語」で考えればうまくいくことに気がつくのがこの映画の”ミソ”である。
一方、日本人の日本語の能力も問題である。
評論家も作家も”日本語の劣化”を嘆いている。
ある大学教育者曰く、学生のレポートを見るとあまりにも文章が雑で、誤字も多く、これが最高学府の学生かと疑う例が多いという。私の経験ですが、以前インドのソフトハウスに開発依頼した時、日本語で書かれた「仕様書」の意味が分らない。正しい日本語を書いてほしい。とクレームがついて恥ずかしい思いをしたことがある。
正しい日本語を勉強した外国人から指摘されるほど我が母国語は荒れていたのだ。
小学校の英語導入問題についても、英語より日本語に力を入れるべきとの意見も根強い。大学においても英語より国語を必修科目にすべきだと主張する人もある。
作家の浅田次郎さん曰く、「原因は、活字(本)を読まなくなった。世の中が便利になって読書しなくなった。読書を通じてしか教養は身につかないと思っている。
活字を読みながら考える(思索する)、読みなおせる。コンピュータは活字より映像に近い。最近の文芸作品はワープロが多く、冗長度がありすぎて情感に乏しい。日本語は日本文化そのものだ。大きな世界を小さな文章に切り詰めて表わす。
”象潟や雨に西施が合歓の花”(芭蕉)5・7・5にすごい情報量と情感が込められている。パソコンには出来ない!」(因みに、浅田さんは全て手書き原稿だそうです)
つまり、この日本文化そのものである日本語の意義や意味を英語の世界に移し得るのか、仕事の場でしか使わないとはいえ、西洋文化を表わす英語が個人の中でどのように融合するのか、日本文化色に染められた英語が誕生するのか甚だ興味深い。
NHK-BSに「クールジャパン」という番組がある。(アニメなどの日本独特の文化や習慣を日本在住の外国人たちが探訪と議論を交わす番組)司会の鴻上さんの流れるような英語力(初めのころは全くだめだった)、同じくアメリカ人のステッグマイヤーさんの見事な日本語を聞いていると難しい文化論など関係ないとも思える。
世界を旅する関口知宏レポーターのほんわかとした英語でも十分なコミュニケーションが図れている姿もしかりである。”習うより慣れろ”ということか。
最後に、やっぱり英語は出来たほうがいい。
英語が先か日本語が先かという議論でなく両方必要なのだ。やっぱり、早くからやったほうがいい、慣れたほうがいい。
ところで、私は会社で”唯一の公用語”としての「英語」には反対です。
日本人同士が英語で会話している姿は異常である。(訓練行動は別ですが)
公用語化を進めている企業経営者も日本語(日本文化)を軽視しているわけではないと思うが、極端に走ると社会の反発を招く。まさか、日本市場(顧客)に対しても適用するとは思えないが、大胆かつ慎重にことを進めたほうがいい。
世の中には多言語を喋るバイリンガルが沢山いる。日本語のほかにもう一つ得意言語を持つということでいいのではないか。
日本人の公用語(日本語)に加え、「第一外国語」として「英語」を公式に認めて、議論から実践に移ったほうがいいと思う。「第二外国語」はそれぞれ自由に決めればよい。
但し、若い人対象にお願いします!
以上