PMプロの知恵コーナー
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「エンタテイメント論」(28)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :7月号

エンタテイメント論

第1部 エンタテイメント論の概要

15 スポーツとスポーツ産業の実態
●ボビージョーンズ
 世界4大メジャー・ゴルフ・ト―ナメントとは、全米オープン、全英オープン、全米プロ、そしてマスターズである。

 マスターズのコース設計は、ロバート・タイアー・ジョーンズ・ジュニア(Robert Tyre Jones, Jr. 1902〜1971 非プロ・ゴルファー&弁護士)によって行われた。彼は、友人のクリフォード・ロバーツ(実業家)と共に「コース建設プロジェクト」を推進し、多くの人々の支援によって最初の「オーガスタ・ナショナル・ゴルフ・トーナメント」を1934年に開催した。従ってマスターズは、その歴史に於いて他のメジャー・トーナメントよりも浅い。しかし競技性、話題性、招待性、エンタテイメント性など様々な特異性を持つたため別格の評価を受けている。そして4日間のトーナメントは、全世界に「TVライブ中継」される。

筆者所有のフル・コピー「Down The Fairway」  プロ選手、アマ選手、そしてゴルフ愛好家で「ロバート・タイアー・ジョーンズ・ジュニア(別称:ボビー・ジョーンズ)」を知らない人はいない。また彼自身をテーマとしたハリウッド映画も作られている。

 彼は終生、プロ選手にならなかった人物である。そしてアマチャー資格で出場可能な「全米オープン」、「全英オープン」、「全米アマチャー」、「全英アマチャー」の世界4大タイトルを1930年、僅か1年間で、しかも若干28歳で獲得した人物である。この時に「年間グランド・スラム」という言葉が生まれた。しかも当時、ベン・ホーガン、サム・ス二―ドなどの一流プロ選手がいたが、彼に心技共に勝る選手は誰一人いなかった。もし彼が全米プロに参加することが可能であったら間違いなく優勝したであろう。

 ジャック・ニクラウスやタイガー・ウッズなどの超一流プロ選手は、マスターズ、全米オープン、全米プロ、全英オープンの世界4大タイトルを獲得し、「生涯グランド・スラム」を成し遂げている。しかし1年間ですべて獲得するという「年間グランド・スラム」を成し遂げた選手はいない。ボビー・ジョーンズが「球聖」と言われる所以はここにある。また筆者が彼を「アマチャー選手」と書かず、「非プロ選手」と書いた真意も理解されよう。

 その後、彼は、背骨を痛め、惜しまれつつ、メジャーの競技生活から引退した。そしてマスターズを作ったのである。晩年は「脊髄空洞症」のため車椅子生活を送り、69歳で他界した。彼の没後1974年、「世界ゴルフ殿堂」が設立され、彼が最初に殿堂入りした。彼は、生前、ジャック・ニクラウスが終生、アマチャー選手であることを密かに願っていた、しかしプロ選手に転向したので落胆したという逸話が残っている。

 彼が1927年に書いた「Down The Fairway」と題する本は、日本プロ・ゴルフ協会の「お宝」として大切に保存されている。筆者は、新日本製鐵ニューヨーク駐在員時代に、その本を映画「ザ・デイ・アフター・トゥマロー」の舞台になったNY市図書館で見つけた。その時フル・コピーを撮り、現在も大事に保管している。この本は、プロ・ゴルファー必見の書である。アマチャー・ゴルファーにも 出典: You Tube “The Masters”a tribute to the Masters 参考となる書である。最近、筆者と姻戚関係になった某プロ・ゴルファーに優勝して貰おうと、そのコピーを送った。

●マスターズ・トーナメントのエンタテイメント性
 マスターズのトーナメントが米国と世界のTVネットワークで中継される時、必ず最初の画面に美しいマスターズのコース、ドッグウッドの木々、池などが映しだされ、「ザ・オーガ スタ」の応援歌が流される。この歌は、競技の節目、節目でも流される。

 それは、心を和ませるカントリー・ウエスタン風の曲である。唄う人物は、ウイリー・ネルソン(Willie Nelson)などの男性歌手である。作詞と作曲は、デイブ・ロギンズ(Dave Loggins)によるものである。

 この歌は、自然を巧みに取込んだ美しいマスターズのコースと完璧にマッチし、含蓄のある詞と美しいメロディーがマスターズの存在を益々高めている。詞の内容は、マスターズを支えた往年の名人達を讃えている。そして最後に「ボビー・ジョーンズ」の名前を呼んで終わる。この歌は、マスターズをTVで観戦し、胸を躍らせる世界中の人々の心に染み込んでいく。マスターズのエンタテイメントを体感する一瞬である。

 他の世界メージャー・トーナメントにはこの様な「競技応援歌」はない。マスターズは、その競技内容に於いて高いエンタテイメント性が存在するが、それをより強化する「ザ・オーガスタ」の応援歌は、ゴルフ愛好家は勿論、ゴルフをしない人々の関心や興味まで惹く。

●箱根駅伝応援歌
箱根駅伝応援歌  競技内容は異なるが、マスターズとほぼ同じ歴史の古さを持ち、多くの日本人に親しまれ、競技性はもとより、エンタテイメント性のある競技は、正月2日と3日にTV放映される「箱根駅伝」である。

 この箱根駅伝の熱烈なフアンで駅伝運営に昔から協力してきた人物がいる。彼は、元・法政大学総長室長で現・大学基準協会事務局長の和田実一氏である。

 彼は、箱根駅伝を讃える「箱根駅伝応援歌(襷(タスキ)に燃える青春賛歌)」という歌詞を作った。彼とは筆者が法政大学・特任教授を公務員と兼務していた時に知り合い、今日まで長いお付き合いしている。彼は、同競技への情熱と協力の一環として応援歌まで作っていた。筆者は、彼の要請で作曲したが、歌詞の意味と流れから最初は、校歌調や行進曲風なメロディーが浮かんだ。

 しかしこの応援歌は、出場選手を含め、選抜のため1年間日夜努力している全ての競技選手を讃えるもの、そして女性歌手が男性選手を讃えて唄うというシナリオを持っていた。そのため「ザ・マスターズ」の主題曲の様な穏やかな、中庸のテンポで、心に響く曲、箱根駅伝を象徴する曲、誰でも唄い易い曲という筆者に極めて荷が重い課題を背負った。

箱根駅伝応援歌  導入部(イントロダクション)として滝廉太郎氏の作曲「♪箱根の山は天下の険♪」の「箱根八里」の一節を使うなど悪戦苦闘して何とか作曲した。そして作詞家でもある和田氏の了解を得た(掲載楽譜は著作権申請中。印刷ミスでが1個少ない)

 そして「デモテープ」を自費で作成し、某有名女性歌手に起用し、第80回箱根駅伝に採択して貰う準備を進めた。

 しかし主催者の関東学生陸上競技連盟は、某有名作詞家に作詞を依頼中との理由で提案を拒絶した。

 その後、同作詞家が死去したため再度、同陸連に提案した。
しかし「箱根駅伝出場校には校歌があるので箱根駅伝応援歌は不要」という理由でまたもや拒絶された。この提案は、既述の通り、出場選手達、出場できなかった選手達、出場を目指して頑張っている選手達の情熱と努力を讃え、同競技の歴史と存在を讃える応援歌である。この提案の真意を同連盟は理解しなかった。

 マスターズは、有名になったから「主題歌」を作って訳ではない。マスターズの存在を少しでも多くの人々に知らせ、少しでも多くの人々の支援を得られる様に日夜努力し、エンタテイメントに徹し、素晴らしい競技を見せられる様に長年の努力があったからこそ、今日のマスターズが存在するのである。

 箱根駅伝は、2011年が第87回になる。しかし我々の応援歌の提案は今も実現していない。しかも同競技のTV放映時のバック・ミュージックは、米国映画「ネバー・エンィング・ストーリー」の主題歌やチャラケ系の「コマーシャル・ソング」の様な曲が採択され、流されていた。

 マスターズは、米国のみならず全世界の人々に支援されている。彼らはマスターズを直に又はTVで観戦する度に「ザ・マスターズ」の応援歌を聞き、マスターズの先人達に思い馳せるのである。マスターズの主催者は、昔から「競技性」に関しても、「エンタテイメント性」に関しても、音楽の果たす役割が如何に大きいかをしっかり認識している。筆者と和田氏は、このマスターズに触発されて箱根駅伝応援歌を作ったのである。

つづく
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