今月のひとこと
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PDCAと守破離

オンライン編集長 岩下 幸功 [プロフィール] :6月号

 欧米企業の経営管理の思想と仕組みの中心にある計画組織化「PDCA」と、日本人の行動様式の中心にある「守破離」の比較を行います。

PDCA vs. 守破離 1.PDCAと守破離
 PDCAとは、目標による管理のことであり、計画(plan)による他者管理のフレームワークであると考えます。それはトップダウンによる「やらせの文化」といえるものです。価値創造を計画によって行う「入口での価値創出」ともいえます。従って、合理性や分析力が問われ、計画に適合し、成果を出すことが求められます。経営計画や戦略立案のプロセスと個々人の業績管理のプロセスが整備され、企業目標のブレークダウンと進捗管理によるマネジメントが中心になります。
 一方、守破離とは、思いによる管理のことであり、試行錯誤と創意工夫による自己実現のフレームワークであると考えます。それはボトムアップによる「やり気の文化」です。価値創造を「破及び離」によって行う、結果としての「出口での価値創出」になります。一人ひとりが夢やビジョン、それらを達成するためのプロセスや挑戦などを考えながら、新しい価値を創出していきます。このような組織活動の前提条件として、個の主体性が重視されます。その上で独立した個が他者とどのような創造的な関係を結べるかを考えるように促します。つまりは「場の管理」によるマネジメントが重要視される訳です。

合理と情理 2.合理と情理
 合理のフレームワークとは、PDCAによる管理を意味します。組織全体への貢献を目指して、個々人が自主的に目標を持ち、自らそのプロセスを管理することで、働き甲斐を見出しながら同時に企業の成果を達成できるということでMBO(Management by Objective)が提唱されました。欧米流PM(PMBOK等)のフレームワークのベースとなっています。しかしこれが、株主価値市場主義や成果主義と合体し、現場の個々の社員の主体性、自立性、思考力を奪う結果になっているようです。MBOの本来の目的が忘れられ、目的合理性に基づく、組織目標のブレークダウンと進捗管理のための業績管理プロセス面のみが強調されるようなりました。現場では、目標管理の下、山のような仕事に追われ、疲れ果てています。目の前の仕事の処理に追われて、仕事の意義や将来の夢は問題にされない、考えない(考えられない)職場が増えています。本質的な課題への思考は停止し、自分の責任範囲という殻に閉じこもります。結果、本音の論議は起きずに、信頼関係は薄らぎ、日本的コミュニティは崩壊しています。また当事者意識は薄らいでゆき、刹那的な文化が形成されます。つまりは企業や組織の現場では、次第に活力が失われている状況にある訳です。
 これに対して、情理のフレームワークとは、守破離による管理です。個人がビジョン、自分なりの意味づけ、仕事で目指したい夢、信念、問題意識、価値観を持った状態、つまりは「自分はいったい何を目指したいのか」という「思い」を持つことから始まります。一人ひとりの「思い」を育み、紡ぎ、連鎖させることで、働きがいのある職場の構築を目指します。独立した個が互いに協力し合い、個人では達成できないことを行なうことに、組織の本来の目的があります。また創造し革新するのが人間本来の姿です。人間の人間たる所以は思索を重ねながら進化することです。したがって自分に宿った創造性を信じた人々が、最大限の貢献をしようと進んで努力する中で、人間本来の使命が達成されます。それが結果合理性に基づく、自己実現であるといえます。マネジメントは個人がもともと備えている創造性を、解き放てるように支援しなければなりません。職場の信頼関係や長期的なものの見方、ゆとりなどの文化であり、幅広い経験や学習をしながら積み重ねを大切にするマネジメントスタイルや人材育成が重要です。つまりは伝統的な日本的経営の「良い部分」の復活を意味します。

 これまでのグローバル競争の掛け声の下に、「PDCA」による合理のフレームワークが強化され過ぎたと思います。結果として、日本の良さであった「守破離」による情理のフレームワークが失われ、日本的強みを損なっていると考えます。この隘路を打開するためには、合理と情理のバランスをとり直し、その統合モデルに解を求めるべきではないでしょうか。そこで「PMの日本化」のワンモデルとして、Project Dynamics Management(PDM)を、次号で提案したいと思います。
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