ダブリンの風(82) 「「貧しい」ということ」
高根 宏士:5月号
「貧しい」とは貧乏のことであり、本来は収入や財産が少なくて、生活が苦しいことを意味する。「赤貧洗うがごとく」とか「清貧に甘んずる」の赤貧、清貧は類似語である。突き詰めると「貧しい」とは「日々命をつないでいく糧」がないこと、不足していることである。糧は、昔は「食糧」そのものを意味したが、転じて現在は「活動の本源となるもの全体」を意味するようになってきた。
民主党がマニフェストのトップで謳っている「国民の生活が第一」ということは「命をつなぐ糧」をきちんと供給することを約束したものであろう。素晴らしい。人類が求めていた理想状態の一つかもしれない。ところが現在の民主党のやっていることに大きな違和感を感じるのは私だけであろうか。それは児童手当、高校の授業料や高速道路無料化などの個々の施策が、本当に「貧しさ」(命をつなぐ糧がないこと)の解消になっているかということである。「糧」を、命をつなぐ食糧(その抽象化されたものとしての収入)とすれば、国民の80〜90%は自ら糧を稼いでいる。言うなれば児童手当や高校授業料無料化は、80%の人については、3度の食事はできるがおやつは食べられないという人におやつを配っているようなものである。そして最も貧しい人たちはすでに無料化等の支援を受けているので、ほとんどメリットがない。
それでは80%の人たちが貧しくないかというと、そうでもない。我々は「貧しい」ということを単に「金がない」、「収入が少ない」という点だけで考えるべきではない。「命をつなぐ糧」として金に加えて時間、心の充足感を考えるべきではないだろうか。
「時間の貧しさ」として考えられるのは夫婦共働き家庭での子育ての時間である。子供を育てるには1日24時間の時間が必要である。共働きの夫婦はその時間がとれない。これは人類が命をつないでいくためには致命傷である。「時間の貧しさ」を解消するために託児所や保育園の充実が有力な対策になるはずである。
「心の充足感の貧しさ」については孤独感の解消である。この中には老人問題、いじめ問題、その裏返しとしての暴発犯罪がある。 従来型の「金の貧しさ」についてもばらまきではなく、3度の食事が取れない階層への手当と雇用問題に集中すべきだろう。
児童手当や高校無料化に使う数兆円をこれらの対策に回すことは、おやつを満遍なくくばることから3度の食事に困っている人たちに食事を与えることになり、「命をつなぐ」という目的に対して数倍以上の効果をもたらすと思われる。
「国民の生活が第一」というスローガンはいいが、「貧しさ」に対する基本的な詰めができていなのではなかろうか。最も民主党は非常に頭のいい党であるので全てをわかった上で、最も票に直結する層におやつをばらまいているのかもしれない。
ところでプロジェクトマネジメントの世界においても似たようなことがあるのではなかろうか。
プロジェクトの進行がはかばかしくなく、スケジュールの遅れや低品質問題が顕在化した時によく表れる。昔あるプロジェクトで起こった例である。プロジェクトの進捗が遅れに遅れた。その原因は上流段階における品質の悪さであった。対策として上流段階での作業のやり直しが必要になった。したがって納期を遅らせるか、スコープの縮小をして全体をすっきりさせたうえで再スタートさせるべきであった。その時必要なのは上流工程を任せられる力のあるSEであった。プロジェクトマネジャは自分の不明を恥じるとともに納期の延期、スコープの縮小、質の高いSEの参画を上司に進言した。しかし上司は納期を遅らせることはまかりならんとして、納期厳守するために大量に人を投入し、マーフィーの法則(プロジェクトが遅れ始めたら、人を投入すればするほどプロジェクトは益々遅れる)を実証した。そして顧客から「もうよろしいです」といわれ、プロジェクトは終わりにされてしまった。これはプロジェクトをどうするかよりも、上司が自己保身のため、より上位部門に対する言い訳材料を作るため(選挙対策)であった。上司の上に対する最後の報告は「私は出来るか限りの手を打ちました(多数の人を投入した)。失敗した原因はプロジェクトマネジャです」ということであった。ただプロジェクトの規模は小さかったので損失は数兆円にはならず、10億円程度で済んだ。そして上位部門は実態を理解していないので、その上司は昇進した。しかし顧客は2度と戻らなかった。
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