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「エンタテイメント論」(25)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :4月号

エンタテイメント論

第1部 エンタテイメント論の概要

14 音楽と音楽産業の実態
●おかしな音楽教育
 日本の小・中・高等学校の音楽教育は、昔も今も「西欧のクラシック音楽」を中心に据えてきた。しかし最近は世界的にヒットしたポピュラー音楽、例えばビートルズの曲などが教科書に登場する様になった。しかし日本の歌謡曲や演歌は教えられていないし、聴かせられもしない。これをおかしいコトと思う日本人は殆どいない様に思う。

 日本の小・中・高等学校は、学生達に国語、歴史、地理、社会、理科などを教えている。音楽もその一つである。しかし日本人として身につけるべき音楽教育という観点から見ると、その教育内容は、日本が生んだ様々な音楽、歴史、作曲家、作詞家、演奏家、歌手などを教えねばならない。従って日本の大衆音楽としての歌謡曲(演歌)は、ベートーベンやモーツアルトの曲と共に当然教えねばならないものとなる。言い換えれば、日本産音楽と外国産音楽を同時・同質に教えるべきことなのである。

●おかしな音楽環境
 おかしなコトは他にもある。日本の国や地方自治体は、日本中にクラシック音楽のための公的コンサート・ホールは山ほど作った。しかしその大半のコンサート・ホールの事業主体者はホールの有効活用と集客に苦労している。そのため国や自治体は、当該ホールの維持に多くの税金を使っている。

日本各地に数多くある公的コンサート・ホールの一つ 左:日本各地に数多くある公的コンサート・ホールの一つ





右:日本で唯一の演歌の殿堂は閉鎖
日本で唯一の演歌の殿堂は閉鎖

 一方日本には歌謡曲(演歌)、Jポップスなどのための専用コンサート・ホールは殆どない。無くてもクラシック専用コンサート・ホールを使って演奏すればよいと思う読者は多いと思う。しかし物ごとそう簡単ではない。

 筆者は、クラシック専門コンサート・ホールで、ジャズ・トリオの編成(ピアノ+ベース+ドラムス)で何度かジャズを演奏したことがある。交響楽団は数人がコントラバスを弾く。しかしジャズ・トリオでは1人がそれを弾く。そのため音量が不足し、聞き難くなるためアンプ&スピーカーを舞台で使い、大きい音量を出す。ドラムスでは1人で演奏するが、交響楽団のパーカッションが出す音量に負けないくらいの音量を出す。ピアニストはコンサート用グランドピアノを使うが、拡声されたベース音と激しいドラムスの音量に負ける。そのためピアノ用のアンプ&スピーカーを舞台で使う。しかしトリオ演奏でアンプ&スピーカーを使わない場合も、ベースだけは音のバランスから使う。

 トリオ演奏でアンプ&スピーカーが舞台で使われた場合、それらが生み出す音は、クラシック専用コンサート・ホールの中で反響し、何んとも説明がしようもない妙な現象を引き起こす。そのため音響調整技術者は、演奏する我々との間でその調整に大変苦労する。最終的にはどうしよもない現実に直面し、演奏する我々が音響調整結果に妥協せざるを得なくなる。従って大勢で演奏する歌謡曲(演歌)やJポップスは、クラシック専用コンサート・ホールでは音響上合わないのである。

●演歌の殿堂
 以上の様な演奏の「現場」での様々な問題を無視し、国や自治体の関係者は、多目的ホールならどの様な音楽でも大丈夫と考え、その種のホールを数多く建設した。しかしそのホールの実態は、アコースティック楽器の演奏でアンプ&スピーカーを使わないクラシック音楽に向いたホールとなっている。そのため歌謡曲(演歌)やJポップスなどのコンサートには不向きなホールとなり、借りる値段も高いという結果を招いた。そして音響効果など少々悪くてもアンプ&スピーカーの調整で対処できるため普通のホールや広い空間がある体育館で十分であるという結果にもなった。

 おかしなコトはまだ続く。本稿でも取り上げた通り、それは、演歌の殿堂として長年親しまれてきた「新宿コマ劇場」は、2008年12月31日で閉館されたコトである。閉鎖後の跡地に商業用ビルを建設されると聞く。コマ劇場の閉鎖と同時にその周辺にあった映画館は1館を除き、すべて閉鎖された。

 新宿は、ガラスとコンクリートの無機質なビルばかりが増え、見た目は華やかな東京の中心街である。しかしその実態は、買いモノ、食べモノ、飲みモノなどを提供するだけの商業空間と怪しげな商業セックス空間の町にますます変質してきている。人間の肌の温かさや息吹を直に感じられる様な「ライブ・エタテイメント空間」がますます少なくなってくると、新宿は、衰退する地方都市と同じ様に「モノの売り買いだけの機能空間」になるかもしれない。

●演歌は日本が世界に誇るソウル・ミュージック
 おかしなコトはまだまだある。多くの日本人は、歌謡曲(演歌)を暗い、寂しい、貧乏くさいと嫌い、時には蔑視する。一方クラシック音楽は高尚で高級な音楽と敬う。何故、その様な考えが日本で定着したのだろうか。日本の学校に於ける音楽教育にその原因があるのかもしれない。しかし明るく、楽しい、ウキウキする様な歌謡曲(演歌)は幾らでもあることを知るべきである。

 日本の音楽界をリードし、新しい日本産音楽に発展するかもしれないと期待が持たれるJポップス業界の現実は、残念なコトに、その期待とは逆の方向に進んでいる。例えば素人より下手なJポップス歌手が我がもの顔で、舞台で唄い、TV番組に登場している。そのため多くの若者は、既にJポップス離れを引き起こしてる。そして外国産ポップスやジャズ音楽の方に傾斜し、多くの外国産ポップスのアーティストが来日して日本の多くの若者の心を捉えている。

 以上の現実を日本の音楽業界のビジネス・リーダー達は既に気付いているだろう。しかし有効な対策を立てられず、目先の売り上げと利益の確保に汲々としている様だ。その結果、優れた新しい大衆音楽が創られず、外国産音楽のパクリ音楽と顔も、スタイルも、歌も今一の即席歌手や演奏家ばかりが舞台やTV番組に登場させている。

 暗い話ばかりする気はない。筆者は、ジャズを好み、ジャズピアノを弾くが、ムード歌謡とか、ブルース調の演歌も好きで、演奏することもある。最近、この種の歌でヒット曲がないため、かなり古い曲の引用となるが、「中之島ブルース」や「長崎は今日も雨だった」などの曲をエイト(8)ビートのリズムに乗って声を絞り出し、思いをぶっつけて唄う内山田洋とクール・ファイブの前川清の歌は聴き応えがある。心(ソウル)の底から訴える様に唄う演歌歌手は彼の他に大勢いる。ソウルフル・パワーの歌謡歌手や演歌歌手を見聞する時、筆者はいつも外国の歌手で演奏家のある人物を思い出す。

 その人物とは、故レイ・チャールズである。彼が世界的にヒットさせた「愛さずにいられない(I can’t stop loving you)」を唄う時に発するパワーは、音楽のスタイルは異なるが、日本の歌謡歌手や演歌歌手が発するパワーに近似している。この事実に気付いている読者は大勢いると思う。この事実から日本の歌謡曲(演歌)は、アジア人、欧米人、世界各国の人々に訴え、感動させるパワーを持っていることが分かる。歌謡曲、特に演歌こそ日本が世界に誇る「ソウル・ミュージク」ではないか。

●あるべき日本の音楽教育
 日本人は、無謀な太平洋戦争で数多くの肉親を失い、無条件降伏によって国を支えるハード、ソフト、そしてヒューマン・ウエアの根幹を数多く失った。しかし焦土化した国土の中から日本人は「汗と涙と血」を流しながら立ち上がり、遂に「奇跡の復興」を成し遂げたのである。

 この厳しい復興の過程で数多くの日本人は、どの様な音楽を聴き、どの様にしてそれを生活の支えにし、人生の糧として生きてきたか? その後の繁栄から現代に至る過程でどの様な音楽が多くの日本人の心をとらえてきたか? 更に日本人は、太平洋戦争前の昭和、大正、明治、それ以前にどの様な音楽を聴き、楽しんだのか? これらの疑問に答えることによって日本人として知っておくべきことが明らかになる。またそれらの時代の節目になる代表的な歌を聴き、唄うことは、日本産音楽の本質を理解できるだけでなく、国際人としてアイデンティティとなる日本人の音楽的感性を得ることもできる。

 小・中・高校での音楽教育は、文明開化の明治時代ならいざしらず、平成の現在も、ベートーベンやモーツアルトなどの西欧クラシック音楽を中核に据えて教えることは、如何なものかという冒頭の問題提起の真意をこれで理解して貰えたと思う。

 もし今後も西欧クラシック音楽を中核とした教育を続けるのならば、以下のことを提案したい。ベートーベンやモーツアルトなどの音楽は、西欧の音楽歴史では一時期のものである。それ以前の教会音楽、ルネッサンス時代の音楽やそれ以降の現在に至る様々な音楽も同時・同質に教えて、聞かせるべきである。

●中世の教会音楽
 中世の教会音楽というと読者の多くは、そんな古い錆付いた音楽を聞いて意味があるのかと思うだろう。しかし決してそうではない。この教会音楽で唄われたドリアン旋法、リィデアン旋法などの教会旋法がクラシック音楽の様々な作曲家によって活用され、現在の我々の耳に達している。また多くの日本人が意識的又は無意識に聞いたことがあるモダン・ジャズの中でも活用されている。

 この教会旋法をジャズ音楽に取り込み、モード・ジャズを構築した人物の一人が多くの日本人が知っている「故マイルス・デイビス」である。彼は、不屈の名作&名盤と言われる「カインド・オブ・ブルー」の中で「So What」を演奏し、世界中にヒットさせた。この曲をジャズ愛好家で知らない人はいない。また多くの日本人が一度は耳にしたことのあるこの曲は、従来のコード進行による演奏とは一線を画している。そして教会音楽の音楽旋法を活用し、Dドリアン旋法とE♭ドリアン旋法を組み合わせた曲である。筆者もSo Whatを演奏する時があるが、マイルスの恩恵にあずかって同旋法を活用し、彼の編み出したモード旋法を使わせて貰っている。

 最近、ジャズが学校の音楽教科書に登場してくる様になった。筆者が小中高の学生時代に学んだ音楽の教科書にはジャズは全く登場しなかった。随分と変わったものである。文部科学省の関係者や教科書選定委員の人達の中でジャズ音楽の愛好家が増えたためだろう。ジャズ音楽は20世紀が生みだした新しい音楽芸術である。ジャズが日本で正当に評価され、多くの学校で教えられ、多くの音楽大学で正規のカリキュラムに組み込まれることを望みたい。

 おかしなコトはまだある。日本の小中高の音楽の先生は、殆どクラシク音楽を音楽大学で学んだ人物である。しかし音楽という人間の感性に強く訴える教育をするためには、クラシック音楽分野に限定したり、音大出身者を選定基準とする文部科学省の考えは不合理である。有名な人物でなくても、様々な音楽分野で様々な日常的音楽活動をしている演奏家や歌手を積極的に音楽の先生に登用すべきである。

●桑田佳祐
 日本産音楽分野で代表的な演奏家であり、歌手の一人は、日本人なら誰でも知っている桑田佳祐であろう。彼の有名なヒット・ソング「いとしのエリー」を英語バージョンで唄った黒人歌手がいた。それは前述の故・レイ・チャールズである。

 彼がソウルフルなパワーを抑えつつ唄う「エリー・マイ・ラブ」は、桑田佳祐を凌駕し、凄い迫力で胸に迫ってくる。筆者は、この歌を最初に聴いた時、鳥肌が立ったことを覚えている。この様な素晴らしい曲を書ける桑田佳祐の才能を故レイ・チャールズは見抜いていた。筆者は、この曲が世界中でヒットし、桑田佳祐が全世界にその名が知られる様になると期待した。しかし残念なことにそうならなかった。日本の音楽ビジネスのリーダー達は、何故この絶好のチャンスを生かし切れなかったのか。桑田佳祐とレイ・チャールズを世界的な規模でコラボレーションさせ、より多くの曲でビジネス展開することはそれほど難しいことではなかったはずである。何とも悔やまれる。

 故レイ・チャールズのコトは多くの読者が知っているのでこれ以上の説明の不要だろう。しかし日本での彼に対する評価と米国でのその評価が大きく異なるので、その点だけ説明したい。

 それは、故レイ・チャールズが米国の多くの音楽分野の音楽アーティストに最も尊敬され、別格の「神様」の様な扱いを受けた人物であったということである。彼が唄い、全世界でヒットした「我が心のジョージア(Georgia on my mine)」は、ある不幸な事件を経て、米国ジョージア州の州歌に制定された。同州知事は、故レイ・チャールズを州議会に招き、過去の事件を正式に謝罪する一方、彼の功績を讃え、同歌を州歌に制定したことを伝えた。余談であるが、この素晴らしい曲を作曲した人物は、中高年の読者なら覚えているだろう米国TV番組「ララミー牧場」の劇中でピアノを弾いていたおじいさん役の人物である。彼は、また世界中の人々が知っている「スター・ダスト」を大学生時代に作った人物でもある。彼の名は、ホーギーカー・マイケルである。
出典:桑田佳祐「サザンオールスターズ」のホームページ 出典:故レイ・チャールズ BIGLOBE百科事典
出典:桑田佳祐
「サザンオールスターズ」のホームページ
出典:故レイ・チャールズ
BIGLOBE百科事典

●日本の国家戦略として音楽産業
 鳩山首相は、日本観光産業の活性化を図り、世界から多くの観光客を集めるために様々な政策を検討している様だ。しかし後世に語り継がれる様な政策を実現させることが出来るだろうか。筆者は、本号で縷々説明してきた「日本産音楽」を国家戦略としての日本観光産業活性化政策の核に位置付けること、歌謡曲(演歌)の健全な発展を支えること、Jポップスに代わる新しい日本産音楽を創り、優れた本物の歌手や演奏家の発掘し、育成することを支援することなどを主張したい。

 そのために今から直ぐに実行に取り掛かれることは、日本を代表する音楽大学である東京芸術大学で「歌謡曲(演歌)」を正規のカリキュラムと研究テーマに取り上げること、学生諸君にそれらを本気と本音で教え、歌わせること、Jポップスに代わる日本産音楽の創造に取り組むことなどである。そうすれば多くの日本人は、驚くと共に歌謡曲(演歌)を見直し、日本産音楽を求める様になるだろう。

 また時間を掛けて実現させることは、歌謡曲(演歌)やポピュラー音楽のための殿堂やコンサート・ホールを国や自治体が旗振りをし、企業だけでなく、一般大衆からの寄付を集めたて作ってはどうだろう。更に中国や韓国の様に、日本も「音楽産業」、「映画産業」、そして「エンタテイメント産業」を国家産業政策の核に据え、発展させてはどうだろう。

 さて国、自治体による音楽支援戦略は極めて重要且つ有効であるが、その支援の前に、日本の音楽業界のリーダー達は、世界に誇る日本産音楽の歌謡曲、特に演歌の音楽分野で優れた人材を発掘し、育成することである。彼らは、二言目には、「歌謡曲や演歌は、現在の若者に受け入れられていない」と言う。しかしそれはとんでもない間違いである。若者達は素晴らしい歌謡曲(演歌)の歌や優れた歌手を知らないだけである。この事に関して、世界的に有名な歌手が古い昔の歌を唄って現在の若者にアッピールして実例を紹介したい。

 世界でも、日本でも大ヒットした米国映画「タイタニック」の主題歌「My Heart Will Go On」を唄った歌手と言えば、日本の多くの若者達だけでなく、中高年の人達も知っているだろう。その歌手とはセリーヌ・ディオン(Celine Dion)である。彼女は、今は亡き人物が昔ヒットさせた歌を唄って、多くの若者達だけでなく、世界中の人々の心にその歌とその人物の存在を再認識させた。
出典 セリーヌ・ディオン ソニー・ミュージック・海外アーティストHP
出典 セリーヌ・ディオン
ソニー・ミュージック・海外アーティストHP

 その歌とは「愛さずにはいられない(I Can't Help Falling in Love With You)」、その人物とはエルビス・プレスリーである。彼女は、その歌を、胸を叩いて、あらん限りの声を張り上げ、見事に唄った。その迫力はプレスリーを凌駕していた。このたった一曲で彼女が並々ならぬ才能と実力を併せ持った人物であることが分かる。彼女はカナダ人で裕福でない家庭に育った。子供の頃から歌が好きで、その非凡な才能に母が気づき、彼女の歌をテープに収録した。それを偶然耳にした地元のプロデューサー兼マネージャーのレネ・アンジェリルは、彼女の才能を正しく評価し、彼女を自費でプロモートし、その後の運命が切り開いた。

 日本の音楽業界のリーダー達に以下のことを改めて主張したい。それは、日本にもセリーヌ・ディオンに匹敵する様な才能の人物は必ず存在すること、ありきたりの才能でない、本物の才能の人物を発掘し、育成すること、人々を本当に感動させる本物の歌を創り、本物の歌手に唄わせること、そうすればPRやイベントなどのプロモーションに膨大な費用を掛けなくても、歌謡曲(演歌)ビジネスは必ず再生する。またセリーヌ・ディオンの実例を参考にして、歌謡曲(演歌)が持つジャパニーズ・スピリットを生かし、新しい日本産音楽を創る。と同時に日本だけでなく、世界の舞台で活躍できる歌手を最初から育成する。そうすれば日本産音楽を世界的音楽ビジネスの場で生かすことは「夢」ではない。

 最後に「音楽と音楽産業の実態」について他の章よりも多くのページを割いた。まだまだ述べたいコトが数多くあるが、そうすると「エンタテイメント論」としての全体バランスを欠くため、本号で一応終わらせ、次号からはエンタテイメントの観点からの「スポーツとスポーツ産業」について述べる。
つづく
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