グローバルフォーラム
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「グローバルPMへの窓」(第44回)
P2M 厳寒のウクライナを駆け抜けたP2M その3

グローバルPMアナリスト  田中 弘 [プロフィール] :4月号

 先月号の本コラムで、東京で初めてのアカデミックPMワークショップが開催されたと書いた。このフォーラムはProject Management Institute (PMI®)の学術・リサーチ局の主催、(社)PMI日本支部・(財)エンジニアリング振興協会・(特)日本プロジェクトマネジメント協会が共催で、東京新宿のヒルトンホテルで3月1日夕刻から3月3日夕刻まで開催されたものである。大学のプロジェクトマネジメント教育では、米欧はおろか、アジア諸国からも遅れが目立つ日本で、日本の大学関係者をゲストとして、PMI学術・リサーチ局、PMに関係する日本の3団体、そしてPMIのPM課程認定校であり、来訪してくれた北米(米国3校、カナダ1校)とフランス1校の5大学、が直接対話を行い、日本の大学でのPM教育の機運を盛り上げようという趣旨であった。
 本アカデミックワークショップは大成功であり、参加した日本の大学20校、来訪の米欧の各大学、それに主催者4団体にとって成果が残った。
 日本の大学の先生方も、米欧のPM教育の現状が把握できただけではなく、これまで機会がなかった日本の大学同士でのPM教育に関する情報・意見交換が出来たことも大変な収穫であったと、満足されたようである。
 私は、フランスから来訪の、学生数でフランス最大のビジネススクールSKEMA Business School の教授・日本代表として本ワークショップに参加した。SKEMAは1980年代の

SKEMA校の紹介を行うBredillet副学長 PMAJはトップパートナーの一つ
SKEMA校の紹介を行うBredillet副学長 PMAJはトップパートナーの一つ

初めから大学院にPM専攻課程を設けている世界のPM高等教育の名門であり、なによりもPMAJを提携パートナーとして公示しており、またP2Mを大学院修士課程・博士課程(Strategy, Programme and Project Management ProgramとMBA with PM Concentration)の正科目としているPMAJの強いパートナーである。フランスからはChristophe Bredillet副学長とClaire Dray教務部長が参加し、来訪校のトップを切って、大変密度の高い紹介を行った。
 PMAJ/P2Mが世界のPM教育ハブ校にしっかりと組み込まれていることには、日本の大学の先生方もかなり驚かれた様子だ。

 さて、本題に戻り、本号からウクライナでのP2M地域巡業の話となる。
12月第1週に火曜日から金曜日まで4日連続で首都キエフにてP2Mセミナーを開催してさすがに疲労困憊したが、土曜日はつかの間であったが休養でき、かなり元気になり、夜行列車で、北東に400kmのハリコフに向かった。
 ウクライナでは300km以上の地域間移動はエクゼクティブを含めてすべて夜行列車で行う。2008年に初めてウクライナを訪問した際に、キエフに着くなり、いきなり夜行列車でオデッサ移動と知らされてかなり驚いたが、旧ソ連時代は航空運賃が安く、皆飛行機の移動であったが、独立後は一転して夜行列車となったとのこと。エクゼクエィブは2名1室の1等寝台車、普通のビジネス人は4名1室の2等寝台車、庶民は1編成に2~3両ついている普通車利用で、料金は1万円弱、3千円、1,500円程度である。
 読者の皆さんはシベリア鉄道に代表されるソ連・ロシアの寝台列車のイメージがあろうかと思うが、ウクライナの夜行寝台列車もまさにあんな感じである。夜9時過ぎから12時までのキエフ中央駅は壮観である。空港のホールのように各種ショプが連なるステーションホールとコンコースの下に30弱のプラットフォームがあり、各々に15輌から20輌編成各方面行きの列車が停まっており各々10分間隔で発車する。
 我々P2Mチーム4名、セルゲイ会長と私、ウクライナ日本センターのオルガ嬢とTAのイリアナ嬢、は無事夜汽車の人となった。ただし、ひと騒動あり、大きバッグを引いていた私は、ホームへの階段で3人から遅れ、皆と反対の先頭車の方向へひたすら歩いていたが、実は乗るべき車両は階段を降りて反対方向の12号車であった。何駅に行くのかも知らず、乗車券も持たず(ヨーロッパでは改札口は無い)、乗るべき号車番号も知らないが、60代中盤で思い込みが過ぎて、列車の進行方向へと何の疑いもなく歩いていった私も私であるが、そういういい加減な東洋人を放りっぱなしにしておくウクライナの仲間も仲間である。しかし、さすがに彼らもこれはおかしいと気づいて、捜索隊がほどなくしてやってきて事なきを得た。私がいないと巡業にならないのであるから。
 無骨であるが安全で、ほぼ快適な夜行寝台の一夜も明けて、ハリコフ駅に到着した。ソ連時代にモスクワ、レニングラードと並んで3大工業都市であった人口2百万人のハイテク都市で、ソ連邦が成立した1917年から25年ほどは、ウクナイナ共和国の首都であった。
 しかし、市中には工業都市のイメージは全くなく、シックな建物が並び、これに見事なポプラ並木の大通りが通り、お決まりのレーニン像(ソ連はなくなってもどの都市にも大きな広場にはレーニン像が残っている。撤去するのに大変なコストがかかるので、歴史的記念物としてそのまま残してあるのだそうだ)、美しい。一目で気に入った。
 ロシア国境まで25kmであり、文化的には完全なロシア圏だそうだ。ロシア語とウクナイナ語の区別ができない私にはそうですか、としか云いようがないが。
 日曜日であるが、ホテルで荷解きを行うと直ちにホストとの交流プログラムが待っている。この地でのホストのハリコフ工業大学システムマネジメント学部長 イーゴル・コノチェンンカ先生ほか准教授4名が市内を案内してくれた。

ハリコフの中央公園にて 洞窟レストランでの夕食会:右から3人目がイーゴル先生
ハリコフの中央公園にて 洞窟レストランでの夕食会:右から3人目がイーゴル先生

 旧ソ連の国々の大都市では、重厚な建造物、広大な広場(スクエア)とレーニン像、由緒ある大学、緑豊かな市民公園、その横にロシア正教の綺麗な教会、ゆったりと流れる河といった構図が定番であるが、ハリコフもその例に漏れない。また、私はロシア圏で地下鉄に一回も乗ったことがないと云ったら、芸術的な地下鉄にわざわざ乗せてくれた。
 夕刻、車で飛ばすこと1時間の郊外にある600年前からある洞窟を改造したとレストランでセミナー前夜祭開催となった。通常はウォッカがつきものだが、これは封印して、歓談また歓談の楽しい夕べであった。イーゴル先生はシステム工学の大家であるので、P2Mのプログラム理論をフレームワークに、システムズエンジニアリングを使ってウクライナ経済復興のためのマクロ産業開発モデル開発に取り組んでおられるとのこと。

 明けて12月8日(月)・9日(火)は、私が待望していたハリコフ工業大学(KhPI)での、ハリコフ地区P2Mイノベーションセミナーである。
 ウクライナ最大のキエフ工業大学でのセミナーは無事終えたが、ハリコフ工業大学も超名門であり、キエフ工大の本家である。1985年に、ロシア帝国でモスクワ工業大学に次いでロシアとして2番目の工業大学として誕生して、多くの科学者や工業家を輩出してきた。
 セミナーには50名の多きが参加してくれた。ハリコフ工業大学を中心として地域の国立大学の教授・准教授が3分の1、地元大企業のエクゼクティブが3分の1、残りが地域の官庁上級マネジャーと大学院修士課程生選抜であった。
 開会スピーチを戴いたのはレオニド・タバズニヤスキー総長であり、ここでも快調に初日を終えた。各セミナー共通であるが、初日のプログラムは次のように組んだ。
初日のプログラム

 質問もかなり出る。P2Mを良く理解してくれているのがにじみ出ている質問で答えるのも力が入る。

ハリコフ工大資料館 開会式(中央がレオニド総長)
ハリコフ工大資料館 開会式(中央がレオニド総長)
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