PMプロの知恵コーナー
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ダブリンの風(79) 「リスクを楽しむ」

高根 宏士:2月号

 先日40年ほど前にあったプロジェクト有志の懇親会があった。このプロジェクトは1964年から1978年まで続いたプロジェクトである。旧き良き時代の大プロジェクトと云えるかもしれない。したがって懇親会に集まったメンバーは、上は85歳から、最も若い人で52歳というシニアクラスのメンバーであった。北は仙台から南は福岡まで、3時間の会のために集まってきた。一堂に会したのは30年ぶりで、皆髪の毛は白くなったり、無くなったりしていた。しかし会が進むにつれ、昔の熱気が蘇って、元気はつらつ、和気あいあいのムードに包まれ、これからでも1つや2つのプロジェクトはこなせるのではないかというほど盛り上がった。ちょうど小学校の同窓会に集まると、小学校の頃の気分に戻ってしまうのと同じである。しかし今でもこのような雰囲気になるのはその頃のプロジェクトが上から下まで本音でやりあっていたからではないだろうか。そこには結果としての個人の成果に対する評価はあったにしても、プロジェクトが進んでいるときにはプロジェクトの完成に向けて全員が同じ気持ちを持っていたからであろうと思われる。今回の集まりの中でも多くの人がその点を挙げていた。
 この中で当時は若かったメンバーから、その頃の逸話を紹介された。このプロジェクトにおける第2フェースに当たる(サブ)プロジェクトを受注するかどうかという時、工場に当時の副社長が来られた。副社長とのミーティングで彼は
 「今回のプロジェクトを受注することはIBMがアポロを受注するのと同じ位のリスクがあります。会社としてそれだけの覚悟がなければ受注しないほうがよい」
といった。しかし会社は受注した。工場としては非常な努力をしたが、1年後プロジェクトは問題山積という状態になった。そして本社から状況の説明を求められた。そして工場長以下部長クラス数名が本社に伺った。彼はまだ若かったが、随行した。そこで担当常務と取締役本部長から絞られた。日ごろ工場では威張っている偉い人たちが平身低頭謝っている姿に彼はある種のおかしさを感じた。しかし本社と工場と間のあまりの違いに理不尽さも感じた。そこで彼は常務に云ったしまった。
「私は1年前に副社長に、わが社がこのプロジェクトを受注するのはIBMがアポロを受注するのと同じ位のリスクがある。会社としてそれだけの覚悟がなければ受注しないほうがよいと云いました。たしかに私たちの工場は努力しましたが、力足りず問題が多く出ています。しかし私が副社長に云ったことを経営者レベルではどれだけ認識してくれたのですか。今頃あわてて私たちを怒っていますが、あなた方こそ何もしていなかったのではないですか。私たちを怒る資格がありますか。」
一瞬にして雰囲気は変わってしまった。常務は真っ青になるし、本部長は真っ赤になり、工場のお偉方はオロオロするということになってしまった。このままではミーティングは壊れてしまい、大変な事件なってしまうところだった。彼も首を覚悟したそうである。ところがその時オブザーバーで出席していた隣の工場(コンピュータを主体としたビジネスを担当)の工場長が大きな声で笑い出し
「これは面白い。重役が怒られているのはなかなか見られるものではない」
と明るい声でいったので、場の雰囲気がぐっと砕けて良くなった。それから今後の対応についての実質的検討が行われた。そして彼の工場だけでなく全社的なバックアップが得られるようになった。プロジェクトは「崩れ」にはならなかった。
彼はこのプロジェクトが大きなリスクを持っていることは分かっていた。そしてそのリスクを自分のところだけで解決することは困難と思った。そこでどうすればこのリスクを解決できるか、できないとしたら、少なくともプロジェクトだけがスケープゴートになるのでなく、関係者全員を巻き込めないかと考えた。焼け石に水程度の支援で後は全て責任を持たされるような事態にはしたくなかった。副社長に対する警告はその布石であった。そして本社からの呼び出しが一瞬のチャンスと直感した。
 プロジェクトにおいてリスクが大きいということは困難なプロジェクトということになる。しかしその困難さに緊張しすぎたり、プレッシャに押しつぶされてしまっては納得できるマネジメントは不可能である。リスクがあると感じるということは、そのリスクを自分が思っているようにコントロールできるということでもある。コントロールできるということはその主導権は自分にあるということである。したがってそのリスクをどう料理するかという気持ちでリスクに立ち向かうことが肝要である。いわば「リスクを楽しむ」心境で対応することである。
 ただし注意すべきことがある。例に挙げた彼のアクションは素晴らしいが、それだけでこのような行動が成功するとは限らない。もし隣の工場長がいなかったら彼の立場は危なかったであろう。何の見通しも持たず、自己保身のみに汲々としている上司の前で彼のような行動をとったら、間違いなくその役を解かれたり、左遷されてしまうことになるであろう。
 現在の日本に欠乏していることは
「プロジェクトマネジャはリスクを楽しみ、母体部門の長はプロジェクトマネジャがリスクを楽しめるような場を作ることに意を用いる」
ことではなかろうか。

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