PMプロの知恵コーナー
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プロジェクトマネジャーの知恵 (7)
「「困ったときの知恵」とは何か (3) −サバイバル・マネジメント−」

渡辺 貢成:1月号

1. 前回の復習
 前々回では、「知恵の出る人の基本的属性」と「知恵を出せない人の基本的属性」の話しをした。そして「知恵の出る人の基本的属性」に従って知恵の出し方を説明しようとしたがうまくいかなかった。そこで切羽詰って考えたのが、「知恵の出ない人の基本的属性」の個々の説明をし、悪い特性をどのように直すと知恵を出せるかという話に切り替えた。

2.今回のテーマ「サバイバル・マネジメント」
昔書いたエッセイを思い出した。今から10年前である。タイトルは「サバイバル・マネジメント」である。「サバイバル・マネジメント」とは切羽詰って生き抜くとき、人々はどうするのかということを書いた。これこそプロジェクトマネジャーの「困ったときの知恵」と同じではないか。日本社会は10年前と現在でどのように変化したか比較するのも面白いと思い取り上げてみた。

(1)サバイバル・マネジメント
 さて、20世紀も終わりをつげ、21世紀は目前である。新しい世紀に期待する気持ちは多々あるが、最初の10年はどうやら企業も、個人もサバイバルの時代となりそうである。そこで考えた造語が「サバイバル・マネジメント」である。
 最近の企業は21世紀に向けて大企業がサバイバルのために大型吸収合併に踏み切っている。欧米の企業は「規制や保護主義は資本主義の本道から離れ、既得権をはびこらせ、究極的に企業が弱体化する。資本主義は規制や保護主義と反対に、市場に委ねることで正しい経済発展ができる。そして弱者は淘汰され、さらに経済が発展するという論理」を理解している。この市場原理主義を世界的に推し進めることがグローバル化である。犬猿の仲のフランスとドイツが米国に対抗するために、共同して推し進めた統一通貨ユーロが発行されたのもサバイバル・マネジメントの一環である。悲観的に見るならば21世紀は世界で1位、と2位との血みどろの競争が行われる時代かもしれない。欧米の企業の動きからはそう読み取れる。では日本の企業はどうなるのかと考えると、どうも争いに加われる企業は少ないのかもしれないなどと無責任に考えると悲観的ならざるをえない。

 何にが悲観的かというとトップ・マネジメントの戦略的行動に対してである。幕末の徳川政権は打つべき手を持たなかったし、第二次大戦中の首脳陣も何ら成算のある戦略がなかった。幕末は幸いなことにミドル(下級武士)が活躍した。ミドルが成長して国を救った。
 現在はどうなのだろうか。有り難いことに現在の政府や官僚は、幕末と異なり全く、あたふたとしておらず動ずるところがない。21世紀の経済競争を全く意にかけていないかのごとくである。橋本内閣が決めた20の政府関連団体を民営化する取り決めは内閣が変わったら1年で6つになってしまった。グローバルな意味でのサバイバル・マネジメントより、既得権益者のサバイバル・マネジメントに関心が高いようである。

 (2)サバイバルの基本はクリエイティビティ
 このように考えると、個人は「自分の身は自分で守る」という考えを持たねばならない。ここにサバイバル・マネジメントの意義がある。他方企業にもサバイバル・マネジメントが必要である。21世紀の日本企業を救うのはやはり幕末同様にミドルではないだろうか。こう考えると希望が湧いてくる。希望がない文章は読んでいて肩が凝る。
 さて、サバイバル・マネジメントなどと造語を創ったが、創ったからには定義なり、法則なりを示す必要がありそうだ。これは肩の凝らない読み物である。ある程度の無責任さはご容赦願いたい。

 アラン・G・ロビンソン、サム・スターンという人が書いた「コーポレート・クリエイティビティ」という本がある。日本版は1998年8月に出版された。日本語版訳者のあとがきを紹介する。副題は「不況脱出の鍵―中間管理職を宝の山にする」である。
 『本書に出会ったとき、日本の事例が多いことに驚いた。日本はモノマネ文化と呼ばれ、クリエイティビティに劣等感を抱いていため、「日本」と「クリエイティビティ」が結びつかなかった。クリエイティビティの研究とは偉大な業績と考えていたためである。しかし、現実は日本企業の中でクリエイティビティが発揮された例は決して少なくない。
 日本語としての「クリエイティビティ」は「創造的」と対訳されるように、全く新しい何か素晴らしい発見・発明を連想させる。これも日本人の抱える劣等感のあらわれなのだろう。英語の「クリエイティブ」はもう少し気楽な、日常的なことに対するちょっとした機転にも使用されているのではないだろうか』。
 「創造性」に対するこの軽さがいい。何か日本人は「創造性にノーベル賞的な重みを載せて、どうせわれわれにはできっこないと頭から思い込んでいる。明治以来日本は欧米に学び、いち早く学んだ人間が難しい日本語(多分翻訳がまずかったことも原因であろうが)で講義する。難しいことを教えて権威(日本で権威となっても欧米で権威として認められるわけではない)となる。彼ら権威は日本人を決して評価しない。この権威主義という魔物は権威と称される人が持っているだけでなく、私達の心の中に深く刻み込まれている。したがって、権威と称する人だけでなく、私達日本人は日本人が新しい試みをしても認めようとしない。自分の基準で人を評価する習慣ができておらず、他人が決めた基準で人を評価することに慣らされているからである。私たち自身がこの習慣を変えない限り、私達は決して「クリエイティブ」にならない。
 後書きを続ける『大不況時代の到来により、中間管理職が人員整理の対象となっているが、クリエイティビティの観点からは、中間管理職という役割に問題があるのではなく、経験豊富な社員にクリエイティビティを発揮させる仕組みがないことが問題である。クリエイティビティはベンチャー企業のように特殊な才能を持った会社のみならず、というよりは、むしろ経験豊富な社員を多く抱える大企業の方が遥かに多くの可能性を含んでいる。そう考えると中間管理職は宝の山ではないか。日本再生の鍵はこんなところにあるのではないだろうか』
 企業のサバイバルはミドルの肩に掛かっており、ミドルが活躍できるのはトップ・マネジメントの環境つくりではないだろうか。
 何故、クリエイティビティにこだわるかというと、サバイバルという行為はいずれの場合も権威主義ではなく、創造的な行為だからである。サバイバルの環境は個々別々であり、その環境に適応することがサバイバルだからである。そして日本人はかなり創造的な国民であるが、創造的でない人々が権力を握っていたから、創造性が発揮できなかったと国民が思うようになれば第一関門は通過できる。

この文を読んでみると「事態は10年前と変わっていない。国外では中国の台頭があり、国内では少子、高齢化がさらに進んでいる。事態はますます厳しくなったといえる」というマスコミ好みの悲観論になる。これだと知恵を出す勇気が湧いてこない。

そこで2009年10月出版されたジョージ・フリードマン著「100年予測」を読んでみた。独善的に概要を説明すると、第1章 21世紀は米国の時代で、それも今始まったばかりである。第2章 20年前にソ連との冷戦に勝利し、イスラム世界との戦いでは、イスラム世界の分裂を促進させたことで勝利を得ている。第3章 世界の人口爆発は終焉する。米国では人口減少やコンピュータなどが新しい社会を形をつくりだし、それが今後世界中に広まるだろう。第4章 今後の紛争の火種は東アジア(中国、日本)、旧ソ連圏、欧州、イスラム世界(特にトルコ)、メキシコでおこる。2020年では中国とロシアが最重要。第5章 中国が世界的国家となることはなく、日本を初めとする強国が中国への経済進出を活発化させるうちに、中央政府が力を失い分裂するシナリオが有力。第6章 資源輸出国として生まれ変わったロシアは西に力を伸ばし、米国に対する冷戦が再び起こるが、前回同様自壊で幕を閉じる。
第8章が面白い。日本の将来がよく書かれている。知恵を出す勇気がでる。興味のある方は1,800円で買われることをお勧めする。
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