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「エンタテイメント論」(22)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :1月号

エンタテイメント論

第1部 エンタテイメント論の概要

14 音楽と音楽産業の実態
●タテの音楽とヨコの音楽
 前号で次のことを説明した。ロック・コンサートやJポップスのコンサートで多くの人々は、歌手と共に唄い、手を振っているが、隣の見知らぬ人と手を握り、肩を組んで唄うという形で音楽を楽しんでいる訳ではない。またカラオケの店で誰かが唄っている時、他の人はあまり真剣に聞かず、自分が次に唄う曲を探しているという音楽の個人化を例示した。それらを「タテの音楽」と「ヨコの音楽」と表現した。人は、本来自由な存在である。人それぞれの楽しみ方がある。従って「タテの音楽」であろうと「ヨコの音楽」であろうと関係ないことだ。筆者はその現象を批判などしていない。

 さて本号では、エンタテイメントの観点から「タテの音楽」について更なる考察をしたい。エンタテイメントの本質は、「遊び」を核とする人との「双方向の交流」である。この観点からすると「タテの音楽」の楽しみ方は、「遊び」を核とするエンタテイメント性は高いが、人との双方向の交流のエンタテイメント性は低い。

●筆者によるエンタテイメント
 筆者は、既述の通り、トリオ(ピアノ、ベース、ドラム)を組んで、都内のジャズ・ライブハウスで10数年前から出演している。器楽演奏をした後、起用した女性歌手に唄って貰う。ジャズのスタンダード曲や世界的ヒットのポピュラー曲などを唄う彼女の伴奏をしている。過去に何人かの男性歌手を起用したが、お客さんは、歌に少々難点があっても、美人で背が高く、スタイルが良い女性歌手を好む様だ。そして熱心に聞いてくれて、楽しんで盛大な拍手をしてくれる。そのお返しとして我々出演者は、休憩時間にお客さんと楽しい交流をする。このことでエンタテイメントが成立し、しかも固定フアンまで生み出している。しかし筆者は、それだけでは満足していない。出来れば見知らぬお客さん同士が一緒に唄い、狭い空間でもダンスに興じる様なエンタテイメント空間を作れないかとお店の経営者共々考えている。

 さて共演する歌手は、唄うために自前の楽譜を必ず我々のトリオに提示する。コンサートに出演する場合は別として、ジャズ・ライブハウスで毎回出演する様な場合は、事前の練習は一切しない。お互いに忙しい身であるからだけではない。このジャズの世界では楽器演奏者は、「初見(ショケン)」で演奏すること業界の常識になっているからである。また歌が上手なお客さんは、殆どの場合、自前の譜面を持参しており、その楽譜を楽器演奏者に唄う直前に手渡し、伴奏することを期待している。

 「初見」とは、初めて見せられた譜面(メロディーとコードのみの譜面が多い)を即座に読んで、いきなり歌のイントロ(前奏)を始め、歌の伴奏を行い、エンディング(終奏)を弾いて終わらせることをいう。これが出来ない楽器演奏者は、ジャズの店で出演できない。なおお客さんが楽譜を持参せず、歌の伴奏を要求する場合がある。その時、知らない曲や曲を知っていても楽譜が無いため適当(play by ear)に伴奏する以外に方法がない。そのためある程度の失敗が許されるので逆に楽である。

 さて問題となることがある。それは、お客さんから「皆で一緒になって唄える曲をお願いします」とリクエストされた時である。「タテの音楽」が横に広がらないためか、老若男女が共通に唄える曲が極端に少ないことである。ジャズの曲で共通に唄える曲は、数十年前ヒットした「テネシーワルツ」、日本の曲では、「千の風になって」、「Tunami」、「川の流れのように」、「上を向いて歩こう」、「青春時代」などであろう。しかし更に問題がある。それは、皆で唄う時、曲の歌詞を正確に覚えていない人が極めて多いことである。カラオケは大変便利で「歌詞画面」を見ながら唄えるため歌詞を覚えていないのである。

 しかもカラオケには歌のリズムに乗れる様にする「リズム指示画面」があることだ。それを見ながら唄うことに慣れているため、いざ本物のバンドで唄うとなると、リズムに乗れず、「吐いたり(リズムに遅れこと)、食ったり(リズムより早いこと)」する(業界用語)。

 更に拙いことに、カラオケの画面には録音されている曲のキー(ハ長調、ト短調などの調のこと)が表示されていないことである。そのためカラオケを唄い出してから「音が高過ぎる」とか、「低過ぎる」ことが分かり、音程を調整して唄う。しかしその時、丁度合致しているキーが何調であるかが唄う人に分かる方法がないことである。

 カラオケの曲は、必ずしも原曲のキーで録音されているとは限らないため、調節メモリーの目盛をどの程度上下させれば良いかを予め記憶していても、唄い初めて合わないことが起こる。結局、その度に唄い始めてから毎回調整せねばならなくなる。この様な状態であるから、本物のバンドで唄うとなると自分に合う調が分かっていない。バンドと何度も打ち合わせて「調」を変更する作業をせねばならなくなる。そんなことをしているとお店の雰囲気は一挙に白けてくる。

 以上の通り、皆で楽しく、肩を組み、一緒に唄いたくても唄えない、そして真のエンタテイメント空間を作れないという難しい状態に在る。この問題を解決するため、筆者は、共通に唄える曲を予め選び、男性も、女性も唄える音域のキーを決め、歌詞カードを皆に配り、皆で唄える様にした。しかし皆で唄う習慣が無くなってしまっているので歌詞カードを配ってもあまり効果がなかった。何とも寂しい限りである。現在の日本は、「ヨコの音楽」をエンタテイメントとして楽しめることが極めて難しいという一種の「危機」に直面している。

●カラオケ制作販売とカラオケ運営ビジネス
 上記の通り、「カラオケ」のことを度々議論した。エンタテメント論の一環として「カラオケ」とはそもそもいつごろ誕生したのかを解説する必要があろう。

 「カラオケ・ビジネス」は、1970年代に日本で某氏が始めたと言われている。また他の説もいろいろあってどの説が本当なのか正確には分からない様だ。

 さてカラオケ媒体(LPレコード、8トラック、カセット・テープ、CDなど)制作販売ビジネスとカラオケ運営ビジネス(お店でカラオケを唄わせる事業)とは別のモノである。前者の「カラオケ・ビジネス」は、日本人が発明したビジネス・モデルと思っている人が多いが、事実に反する。しかし後者の「カラオケ・ビジネス」は、日本人が創り出した新しいビジネス・モデルである。

 「カラオケ制作販売」は、米国で1950年代に既に存在した。余談であるが、TVゲームは日本人の発明と思っている人が多い。これも実は米国が発明したものである。筆者を含むジャズプレーヤーは、「Music Minus One Record(略称MMOレコード)」を知らない人はいない。もし知らない人は、プロ・ミュージシャンではないだろう。何故ならアマチャーのジャズ・マンでも知っているからである。
出典:MMO社のHP
出典:MMO社のHP

 筆者は、新日本製鉄潟jューヨーク駐在員としてニューヨークに勤務していた時(1976年〜1980年)、マンハッタンの楽器店でMMOレコードを買って、家でフルートやサキソフォンを吹いて楽しんだ。オーケストラやピアノ・トリオの演奏をバックに吹くのはご機嫌であった。しかし日本の歌謡曲やフォーク・ソングのMMOレコードがなかったので、ヤマハ・エレクトーンで自分で「MMOカセット」を作り、自宅に招待した友人達と一緒に唄った。

 MMOレコードのOne(ワン)とは、歌うこと、又はピアノ、バイオリン、ギター、ドラムなどの楽器を演奏することを夫々意味する。唄ったり、演奏することが「プラス・ワン」となって全体の演奏として100%となる。実に素晴らしいネーミングであり、素晴らしいアイデアの商品である。MMOレコードは、まさしくカラオケ・レコードである。

 当時は「カラオケ」という表現が存在しなかった時代にMMOレコード社はカラオケ・レコードを販売していたのである。しかも日本のカラオケ・レコード(CD)と異なり、MMOレコードはキー(ハ長調とか、イ短調とかいう調名)が明示されている。現在は、レコードがCDに変わっているが、その仕組みは全く同じである。

 また日本のカラオケが歌の伴奏だけであるのと異なり、MMOレコードは、ピアノ用、ギター用、弦楽器用など多様な媒体が販売されている。そしてCDと楽譜が一体で売られている。音楽ジャンルは、クラシック、カントリー、ジャズ、ポップスなど多種多様である。

●筆者の「カラオケ制作販売」の提案
 筆者は、1977年ごろ米国新日鉄ニューヨーク駐在員時代また日本に帰国した1980ごろの新日鉄本社勤務時代に何度も「MMOレコードは、日本で確実に売れる。制作してはどうか」と日本の大手や中規模のレコード会社の社長宛に文書で提案した。筆者は、何故、会社の忙しい仕事の合間で何故、そんな手間の掛かることをしたのか? 答えは簡単である。日本の歌謡曲やフォークなどのMMOカセットを自分でいちいち作るのが面倒だったからである。

 しかしどのレコード会社からも「川勝さんのご提案を社長から伺いました。レコード開発企画部としてご提案に感謝します。しかしMMOレコードは日本の市場で売れるともは思いません」と断ってきた。筆者は、さまざまなMMOレコードの提案だけでなく、新しい楽器に関するアイデアや制作コンセプトなども該当する楽器制作会社の社長に提案した。また現在も提案している。

 筆者の提案は、殆ど無視され、拒否された。しかし筆者の提案後、数年〜約10年経って、その提案と全く同じモノが、筆者との事前相談も事前了解もなく、突如発売された。その中でブレークしたモノもある。もしその内容を読者が知ったら驚くであろう。

 筆者のMMOレコード制作販売の提案に対応した会社が1社だけあった。そして「あなたのご提案の真意を理解し、カラオケ・レコードを作りました。どうかお受け取り下さい」という丁寧な感謝の手紙と新作のカラオケ・レコードが自宅に送られてきた。本当に嬉しかった。その後、8トラックのカラオケ・カセットが売れ出し、遂にカラオケ・レコードやカセット・テープが爆発的な売れゆきを示した。

 なお私事になるが、上記の1社の誠実な対応に感謝し、その名前を明かにさせて欲しい。同社とは日本ビクター社であった。筆者は、都内のジャズ・ライブハウスで自作の曲“Lfe can be beautiful”を女性歌手に唄わせていた。それを聞いた某社のプロデューサーは、彼の関連会社の社長に筆者を紹介した。その結果、筆者は関連会社との作曲家契約と著作権協会登録を一度に獲得した。某社とは日本ビクター社で、関連会社とはビクター・ミュージック・パブリシング(株)(ビクター社の音楽出版部門)であった。筆者は、同社に不思議な縁を感じている。

●カラオケ・ビジネスの提案
 筆者は、ニューヨークから帰国後、昔、よく通ったバーの経営者のママにお土産代わりに自作のMMOカセットを渡した。ママは大喜びした。何故ならそのカセットを再生し、店のスピーカーで流してママが唄い、時に唄える客に唄わせたのである。その結果、お店が繁盛し始めたからである。筆者は、「これは、いける!」と思って、レコード会社にカラオケ制作販売の提案した同時期に、大手レコード会社だけでなく、大手の飲食店の経営者に以下の提案をした。

 それは、日本の歌のMMOレコードを制作し、飲食店やバーに設置させ、客に唄わせれば、客は必ず来る。一方レコード会社は、そのレコードの供給を自社グループの飲食店や提携した飲食店に限定してMMOレコードを独占供給するという「カラオケ運営ビジネス」は成功すると提案したことである。しかし大手レコード会社も、大手飲食店も、その提案に反応しなかった。

 日本の経営者や企画開発者は、「自ら新商品を開発し、自ら市場を創り、自らブレークさせる」という気概が不足しているのであろうか。役人を「前例主義者」と批判するが、企業人も「実績」に拘り、他社や他国の「前例」に拘っている様だ。彼らの保守性、非創造性、未知への恐怖心などをこのカラオケ・ビジネスに提案過程で嫌というほど実感した。現在も他の新しい事業の提案で同じ様なコトを実感している。困ったものである。

 カラオケという言葉すら存在しなかった時代、新日鉄社員としての毎日の仕事が忙しく、MMOレコード制作ビジネスやMMOレコード運営ビジネスにそれ以上関わる余裕がなかった。そのため更なる具体的な提言や実行計画の提案をすべて止めてしまった。

 その後、長距離トランク運転手は、8トラックのカラオケを買い、唄いながら夜間の長い道のりを退屈せず運転する様になった。その結果、カラオケが売れ出した。一方廃棄コンテナーの中でカラオケを唄わせる所謂「カラオケ店」が出現し始めた。そして遂にカラオケ制作・販売ビジネスとカラオケ運営ビジネスが一挙にブレークしたのである。

 日本のレコード会社は、「歌のためのカラオケ」の制作・販売ビジネスは実現させたが、「楽器用のカラオケ」の制作・販売ビジネスは実現させなかった。ましてカラオケ運営ビジネスには進出しなかった。この機会損失は膨大であった。筆者は、「楽器用カラオケ」を日本の大手レコード会社が手掛けないため、現在、わざわざ米国からMMOのCDを買っている。

 さて日本の「歌のためのカラオケ」には「歌詞」が付いているが、楽譜は付いていない。しかも演奏された曲のキー(ハ長調、イ短調などの意味)も書かれていない。カラオケにキーの情報がインプットされていないためカラオケ店でカラオケを再生始め、曲を唄い出して初めて唄う人が自分に合ったキーでないかどうかが分かる。合わない時、曲の再生を止め、イチイチ、カラオケ再生装置のキー調整バブルで調整せねばならない。全くナンセンスである。自分に合致するキーを知っていたらカラオケ画面が出る前に音の調整が出来る。カラオケ・レコード会社は、「一般人は音楽が分からない素人集団でキーに関心が無い」と決めつけている様だ。

 日本のカラオケ制作・販売ビジネスとカラオケ運営ビジネスは共に大成功した。そして全世界に広まった。世界の多くの先進国や発展途上国でKARAOKEを知らない人達は少数派であろう。しかし日本では最近、カラオケ店は、客が減り、大苦戦中である。またカラオケ装備のバーや飲み屋もカラオケを嫌う客が増加してきている。一方食事だけする従来型の飲食店は、客の奪い合いで過当競争をしており苦戦中である。

 この苦戦状態は、今回の不況で更に拍車を掛けられているが、基本的な原因は、エンタテイメント性に問題があり、構造的な問題に直面していることである。この事を多くのカラオケ経営者や飲食店経営者が気付いていない様だ。また気付いていてもどうすれば良いか分からない様だ。

 筆者は、公表は出来ないが、ある「アイデア」を思い付き、企画書にして幾つかの企業のトップに提案中である。しかし各社から前回の提案時と同じ様に、その提案は無視されたり、拒否されている。今回の不況は、エンタテイメント事業会社を縮み上がらせ、日々の稼ぎしか関心のない経営像を浮かび上がらせている。「貧すれば、鈍する」の譬え通りである。今後、カラオケ店舗は衰退の一途をたどるであろう。そして筆者の提案は、いつの日か筆者の事前相談も事前了解も得ず、突如、実現されるかもしれない。
続く
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