PMプロの知恵コーナー
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ダブリンの風(77) 「マスコミの自覚」

高根 宏士:12月号

 以前(2007.5)に「陳旧性心筋梗塞」という題名で筆者の病気とその時の医師団のことをこのコラム欄で書いたことがある。その時のカテーテル手術の経過チェックのために先日3日間ほど入院した。結果は頸動脈が30%ほど詰まっている以外は正常ということであった。しかし検査入院は予想とは違って、治療のための入院よりも体力が必要であった。3日間ゆっくり休めるだろうと期待していたのに、検査のスケジュールは密で、休める時間はあまりなかった。
 たしか入院初日だったと思うが、夕方5時になり、検査が終わったのでベッドで休んでいた。そしてテレビのスイッチを入れた。ちょうど5時だったので各チャンネルともニュースを放映していた。そこで民放5チャンネル(4,6,8,10,12)で最初に放映するニュースは何かを探ってみた。この日は鳩山首相が施政方針演説をした日であった。したがって各社ともこの施政方針演説がトップニュースになると思っていたが、これをトップニュースにしていたのは12チャンネルのみであった。他の4チャンネルは同じ日に結審した某女優の覚醒剤使用事件であった。この現象は現代を象徴しているように思える。一国の今後を占う首相の演説よりも覚醒剤使用事件のほうが重要と判断した民放が5社のうち4社であったということである。しかも覚醒剤問題が現代社会の最も大きな問題だという意識からではなく、単に有名女優が関係したということが最大の関心事なのである。この結果は各社が某女優の宣伝担当になっただけである。私もこのニュースのおかげで、その女優を初めて知った。
 現在の日本では政治家(政府、国会議員を含めて)がダメだとよく言われる。その通りである。自民党から民主党に代わってもその実態はほとんど変わらない。それは、国民が政治家の実態をほとんど知らないままムードで選んでいるからである。自民党が古くなったから、少し新しいところということで選んでいるにすぎない。そのような実態を、評論家やジャーナリストは論って、偉そうに憂国の情を吐露する。そして国民のレベルの低さを嗤う。しかし国民の情報のほとんどはマスコミから得ている。そしてマスコミは首相の方針演説よりも某女優の宣伝を行っている。したがってほとんどの人は方針演説の内容は知らず、某女優の写真と結審に集まった人が何百(千?)人ということは知ることになる。そして日常の話題はそちらに集中することになる。
 日本を本当によくしたいのならば、マスコミは国民のレベルの低さを嗤うのではなく、何が重要かをきちんと国民に伝える責任があるのではないだろうか。この責任を自覚しているジャーナリストがいないことはない。しかしマスコミ(スポーツ紙は別としても大手)全体をとれば、当初に挙げた5時のニュースの例のように、将来のために何が重要かではなく、低劣な興味本位か、視聴率の数字だけを判断の根拠にして放映している。この放映により多分覚醒剤や麻薬使用者は多くなるであろう。
 マスコミは「社会の木鐸」と言われているが、その木鐸がこの状態では日本はいつまでたってもレベルが上らない。「ペンは剣よりも強し」ともいわれる。しかしこのペンを執る人間のレベルが低い場合、その社会は悲惨である。
 ところでこの事象は社会全体としてはマスコミの問題であるが、組織体内、企業内ならば、その組織体の長、スタッフの問題になる。現実にさまざまなプロジェクトを担当しているライン部門がレベルアップするかどうかはこの長、スタッフの意識である。彼らの意識がライン部門の現象的問題の追及に躍起となっているならば、ライン部門はその応対に必死になる。そして本当に重要なことは何かを考えなくなる。言い訳のための過去データの分析に終始することなる。これでは将来に向けての意識、意欲は芽生えてこないであろう。
 最近は短期的成果のみ(マスコミではそれは視聴率)を彼らが取り上げるため、組織には余裕と粘りがなくなってきていると思っているのは筆者だけだろうか。

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