PMプロの知恵コーナー
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ダブリンの風(76) 「再び品質について」

高根 宏士:11月号

 9月号では「品質とグレード」を取り上げましたが、今月も品質について取り上げようと思います。品質の定義は9月号でも述べたが、再掲すると
 P2Mでは「品質とは、備わっている特性の集まりが、要求事項を満たす程度」、PMBOKでは「品質とは、一連の固有の特性が要求事項を満足している度合い」
と定義されている。これらの定義はISO9001の系統を引いた定義である。
 ISO9001では「品質とは、本来備わっている特性の集まりが要求事項を満たす程度」であり、ほとんど同じ意味である。
 これらの根底には品質は品質メトリクスを定め、それらを定量化すれば相当な確度で客観的に評価できるという自信がある。
 メトリクスとしては、ソフトウエアについてはベームの品質モデルが有名である。そこでは各特性が階層化されて整理されており、まずは移植性、使用性、保守性がある。使用性は信頼性、効率性、操作性に分けられている。また信頼性は正確性、完全性、堅固性、無矛盾性で構成されている。これらの特性について測定できるもの(例えば稼働率、MTBF、バグ率等)で数値化し、各特性の重み付けを考慮すればプロダクト(システム開発ならば開発されたシステム)の品質を評価できることになる。
 この考え方は品質がややもすると、単なる気分的なもの、重大事故が発生したときだけ騒がれるという事態から、定量化を通じて結果として品質(主として信頼性)を継続的に向上させてきた推進力になった。功績は大である。

 一方これと対照的なものに「品質は誰かにとっての価値である」というワインバーグの言葉がある。これは近代の品質管理で言われている「品質とはユーザーの満足度である」という考えに近い。「ユーザーの満足度」や「誰かにとっての価値」という言葉は、品質は、ある意味で主観的なものであるといっているようにも思える。確かに「ユーザー」も「誰か」もプロダクトやサービス、結果に対して関係する特定の具体的なステークホルダー(複数かもしれないが、現実の生きている個人)であり、彼らが価値を感じたり、満足するかどうかで良くも悪くもなる。したがって客観的に評価することは困難であるといっているようである。

 これら二つの考え方はどちらが正しいかではなく、どちらの見方も必要である。前者の考え方はプロダクト、サービス、結果を提供する側の品質の平均値を上げるために有効であり、後者の考え方はそれを受ける側の感覚を表わしている。

 この品質について最近感じた例がある。
 筆者はセミナー等で1年に50日ほどホテルに宿泊する。それらのホテルは主催者側で手配してくれる。その中でSとAという対照的な2つのホテルがある。宿泊料金は同レベルである。
 Sには年に20日ほど泊まる。フロントの応対は丁寧で、いつも笑顔で応対してくれる。フロントの人が変わってもすべて同じような応対である。通路等で会う従業員の態度も素晴らしい。きちんと挨拶をしてくれる。レストンでの朝食はバイキングであるが、これもシティホテルの2500円の朝食まではいかないが、通常のビジネスホテルよりはよい。品質メトリクスで評価したら最高点に近いかもしれない。
 Aには年に10日ほど泊まる。AはSとは異なり、フロントも時々ばたばたしているし、フロントマン(ウーマン)も個性的で、人により対応の雰囲気が異なる。レストランの朝食も平均的か少し下かというレベルである。あるとき風呂に入っていたら水漏れがあり、急遽部屋を変わったこともあった。品質メトリクスで評価したら平均であろう。
 SとAを比較したら、品質はSの方が圧倒的によい数値を出すだろうと思われる。ISO9001系列で評価したら間違いなくSである。
 ところがワインバーグの定義による「誰か」は筆者であり、筆者はAに行ったときの方が気分がよい。それはSが誰に対しても同じように丁寧な対応であり、そこには「誰か」という意識が希薄だからである。筆者が年に20日ほど宿泊しても、筆者を個人として認識していないらしい。フロントに立つといつも丁寧に、名前と住所と電話番号を書いてくださいといわれるし、朝食でレストランにいくと機械的に対応される(丁寧ではあるが)。Aのフロントは筆者がいくと「名前だけでよろしいです」とか「名前だけ書いてください」といわれる。またそこで会わなかった人たちに他の場所で会うと、「今日も宿泊していただきありがとうございます」と挨拶される。朝食のときにはウエイトレスが「今回は2日間宿泊ですね」とか「お元気ですか」とかいわれる。筆者が2年半前に心筋梗塞をやったのを覚えていて、時々「最近は体の調子はいかがですか」と尋ねてくれる。
 Aは筆者を一人の個人として認識している。やはり筆者も個人として認識してもらえると居心地がよくなる。サービスを提供される受け手は自分を認めていない提供側のサービスがとんなによくでも、それに感動することはない。平均的な品質レベルを達成した後にあるのは、「誰かにとっての価値」についてそれを「誰か」の立場で感じられる感性を養うことであろう。

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