PMプロの知恵コーナー
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「エンタテイメント論」(19)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :10月号

エンタテイメント論

第1部 エンタテイメント論の概要

今後のエンタテイメンント論の展開
●エンタテイメントは、何に役立つのか
 エンタテイメント論の連載を始めて、今回で19回目の約1年半を経過した。「光陰矢のごとし」である。その間、聞き慣れない「エンタテイメント論とは、一体何なのか?」 「エンタテイメントは、何に役立つのか?」 「それは、エンタテイメント・ビジネスにしか役立たないのではないか?」などの疑問を持った読者は、多いかもしれない。それともそれらの答えを見付けて本連載を熱心に読んでくれる読者が多いかもしれない。筆者が様々な分野の方々に尋ねると「その連載、興味深く読んでいますよ。参考になりますよ」と好意的な返事が返ってくる。本当だろうか?

 日本及び海外で、エンタテイメント・ビジネスの実態調査、エンタテイメント・エコノミックスの研究、エンタテイメント・ビジネスの成功や失敗の調査などが数多く存在する。しかしエンタテイメントは、総じて「娯楽」と単純に理解され、レクリエーションやホスピタリティーと同列または下位の「概念」として扱われている。


 筆者は、以前にも述べた通り、新日本製鉄(株)勤務時代、MCAユニバーサル・スタジオ・プロジェクトを開発し、潟Zガ勤務時代、ジョイポリス・プロジェクトを実現させ、岐阜県勤務時代や新潟県勤務時代、都市開発プロジェクトなど様々なプロジェクトを推進し、現在、教授職時代も、引き続き、各種プロジェクトに参画している。また所属組織への専業義務違反にならない範囲内で、私的プロジェクト・チームを編成し、興味あるプロジェクトを推進してきた。また現在も推進している。

 これらの様々のプロジェクトを推進し、成功し、失敗した経験の中から、「ある結論」が帰納された。それは、どの様な種類のプロジェクトに於いても「エンタテイメント」は、重要且つ必要であるということである。と同時にエンタテイメントは、「遊び(楽しみ)」、「遭遇(出会い)」、「双方向(共に)」の基本的特性を持ちながら、如何なるプロジェクトに於いても、それに係る「人間の本気と本音レベルの理性と感性」に深く関わっているということである。言い換えれば、エンタテイメントは、エンタテイメント・ビジネスだけでなく、あらゆる分野のコトガラ、あらゆる時代のコトガラ、そしてあらゆる階層のヒトに広く、関係しているということである。

 筆者は、様々な分野の人から、「あなたは、産・官・学の3分野の転職経験を持っておられるが、転職と成功の秘訣は何ですか?」とよく聞かれる。特に転職エージェントや転職コンサルタントの関係者からの質問は、熱心で詳細で具体的である。「転職しなかったからです」と答えると、質問者は「????」と怪訝な顔をする。しかし質問者を「からかっている」訳ではない。

 「転職」とは、所属組織を変え、仕事の内容も変わることであろう。しかし筆者は、所属組織が変る「転籍」は何度もした。しかし新しい転籍先でも以前と「同じ内容の仕事」を続けた。また今も続けている。だから「転職しなかった」と答えたのである。同じ内容の仕事であるため、以前からの人脈も、情報脈も、仕事脈も、金脈などをすべて活用できる。そのため仕事の実現性は自然に高まる。

 「同じ内容の仕事」とは、新しい事業プロジェクトを計画し、立ち上げ、建設し、運営し、実現させることである。プロジェクトの対象は、転籍先でその都度変る。しかし仕事の取り組み方、考え方、方法論など仕事の内容は変らないのである。そして「夢工学」と「エンタテイメント論」の本質、効果、そしてパワーなどを最大限に活用し、各種のプロジェクトに挑戦してきた。そして今も挑戦している。「エンタテイメントは役立つ」のである。

●今後のエンタテイメント論の展開
 さて今回から何回にわたって「音楽と音楽産業」を論じる予定である。しかしテーマパーク、映画、音楽という同種のエンタテイメントを続けて議論すると読者は飽きるだろう。また今後、このエンタテイメント論は、どの様な展開となるのかが分からないと、読者は読む気にならなくなるだろう。

 そのため「音楽と音楽産業」の次は、「スポーツとスポーツ産業」を論じる予定である。その後、筆者自身が参画した「ゲーム・ビジネス(大型室内型ジョイポリス)」を取り上げる。そして「放送事業(TV、CATV)」、「ウエブ・コンテンツ事業」、「モバイル・コンテンツ事業」、「演劇、オペラ」、「ギャンブル(殆どの先進国はカジノを公認)」などに対象を広げたい。

 また典型的なエンタテイメント・ビジネスだけでなく、それを活用した川下ビジネスの「物販産業」、「飲食産業」に於けるエンタテイメントの在り方も論じたい。何故なら、日本の多くの物販企業や飲食企業は、構造的な問題を抱え、生き残りを賭けた過激な過当競争下で喘ぎ、新しい物販形態や飲食形態を模索しているからである。

 余談であるが、ヒット曲「有楽町で逢いましょう」の舞台でるJR有楽町駅周辺が久々に再開発された。しかしそこに出現したモノは、ニュー・ファッションやニュース・タイルのファサードやデコレーションで飾られてはいるが、その実態は旧態然とした物販店、飲食店、パチンコ店、そして貸し事務所であった。

 飲食と買い物が終われば、パチンコしか「遊ぶ場」がない空間が作られた。ならば映画を見ようと近くの映画館に行くとどこも「予約制」である。食事も買い物も終わってから「入場券&座席券」を買った人は、次の上映までの「長い待ち時間をどうしようか?」と迷う。待つのを嫌う人は、その映画を見ない。この様なエンタテイメント欠乏症の街は、他の街と同様、直ぐに飽きられてしまう。そしてここの来た多くの人達は、仕方なく、新宿、渋谷、池袋などに行く。最もそれらの街も多くの深刻な問題を抱えている。

 さてエンタテイメントは、川上ビジネスに活用される時、特にその輝きを増す。新事業コンセプトや新事業形態を創造する際、エンタテイメントを活用しない手はない。またエンタテイメントは、ビジネスの世界だけでなく、科学や工学の世界に従事する人々にとっても極めて大きい役割を果たす。

 科学の世界でも、工学の世界でも、「もしかして、とんでもないモノ(知恵又は技術)を創り出せるかもしれない」という仮説を描くことが出来るか否かが、研究者にとっての第1歩であり、研究の成否を決めるモノであるとまで言われている。

 「理性」を徹底的に駆使する例えば「理論物理学」の多くの学者達は、「理性の働きだけでは不十分である。連想、空想、アナロジー、遊びなどの感性の働きが極めて重要である」と異口同音に主張している。「仮説設定」の世界は、「エンタテイメント」の世界と近似した「精神活動」が求められる。

 ついては、上記の展開を行って「第1部・エンタテイメント論の概要」を終わらせたい。そして「第2部・エンタテイメント論の本論(仮称)」と題して、エンタテイメント論の本質、活用効果、活用方法、活用範囲などを総括し、「夢工学」の考え方と方法論を適用した「夢工学式エンタテイメント論(仮称)」の全貌を紹介して、本連載を終わらせる予定である。

 その間、読者を飽きさせない様に、また読者の参考になるものを少しでも多く提示できる様に努力したい。読者の忌憚のない意見を期待する。なお本論の「まえがき」で述べた通り、本連載の記述を簡潔且つ明確にするため、「敬称」、「敬語」を省略している。改めてここで許しを乞いたい。

14 音楽と音楽産業の実態
●映画から音楽へ
 さて本号からは、エンタテイメントの重要な役割を担う「音楽」と「音楽産業」を論じたい。また筆者自身、本職の傍ら、ささやかな音楽活動をしている。その活動の体験も加味しながら本論を展開したい。その活動とは、筆者が10数年前から都内の幾つかのジャズ・ライブハウスで「ピアノ(筆者担当)、ベース、ドラム+歌手」の編成で出演し、現在も「箱出演★」を継続していることである。

筆者の東京倶楽部での出演風景 ★箱出演の「箱」とは、「店」を意味する。箱出演とは、「業界用語」で、出演させる店と出演する者が双方で予め出演条件(出演日、出演料、出演者など)を定め、口頭又は文書で出演契約を行うことをいう。
箱出演は、中長期に及ぶことが多く、安い出演料だが安定した収入源になる。箱出演は、プロとしての証にもなり、実績になる。

筆者の東京倶楽部での出演風景

●コンテンツとエンタテイメント
 音楽や映画などを議論する時、多くの人々は、「コンテンツ(Content)」も併せて論じる。コンテンツとは、本来は、容器の中身や内容物を意味した。その後、書物や文書の趣旨、要旨、内容を示す様になった。

 しかし時代と共にその意味が拡大し、映画、音楽などのメディア媒体に於ける文字、形、色、音、映像、その情報を指す様になった。言い換えれば「遊び」、「教育」、「教養」などに係る知的生産物は、このコンテンツの代表例になった。

 コンテンツとエンタテイメントとは、どの様な関係にあるのか? 結論から先に言えば、コンテンツは、エンタテイメントを具現化する手段となるモノの一つである。しかしエンタテイメントそのモノではない。これがよく誤解される。

 例えば、コンテンツの代表例の「音楽」や「映画」を自宅で一人で観るのは「楽しみ」であり、コンテンツ本来の役割というか、機能を果たす。しかし「一人で楽しむ限り」、エンタテイメント本来の役割というか、機能を果たしたことにはならない。誰かと「楽しむ」ことが必要なのである。

 エンタテイメントの本質は、エンカウンター(encounter = 出会い)の語源説が意味する様に「人と人の出会い」、「人と人とも交流」が実現されることである。勿論「人と疑似人(★)」の交流もあり得る。しかし根本は「生身の人間同士の接触」である。★「疑似人」とは、人の役割を担ったマシン、ロボット、画像内の人間など「バーチャル人間」をいう。

 暗い映画館の中で初めてのデート相手や恋人同士が手を握り合いながら観る「恋愛映画」は、格別の感動を引き起こす。また「怖いもの見たさ」で親の手を握りながら、時々目をつぶったり、思い切って目を開けて観る「お化け映画」は、格段の恐怖を引き起こす。またクラシック・コンサートやロック・コンサートに恋人や友人などと鑑賞するのも大きい感動を生む。

 恋愛映画、お化け映画、音楽などのコンテンツは、人との交流、親子の触れ合いなどの場で欠かせない重要な構成要素の一つであり、手段である。しかし「人肌」、「人息」、「人声」を感じることが出来る「場」の裏付けがあって初めてそれらのコンテンツが生き生きと活性化し、臨場化し、現実化する。言い換えれば、「遊び」を核としたエンタテイメントが実現されるのである。コンテンツとエンタテメントは、同じではない。
つづく

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