蘆原 哲哉
2002年 PMP取得
2002年 PMS取得
2005年 PMR取得
プロジェクトマネジメント学会会員
国際プロジェクト・プログラムマネジメント学会会員
先号
次号
<政策とプログラム>
PMR:蘆原 哲哉
[プロフィール]
:10月号
プログラムというと、大多数の人が音楽会や運動会のプログラムを想起するものと思う。IT系の人にとっては、コンピュータープログラムが真っ先に思い浮かべられることであろう。いずれにしても、P2Mが提唱しているような、組織戦略をプロジェクトに落とし込んでいくための計画として認識して利用していたという人は殆どいないと思う。
しかし、民間人には馴染みが薄いだけで、政治の世界ではこれまでもプログラムの考え方が当たり前に使われていた。P2Mで例示している米国のアポロ事業は、数多くの政策プログラムの一つだったのである。米国に限らず、政治の世界では、殆どの政策がプログラムとして実践されてきた。ODAプログラム、貧困対策プログラムといった言葉は従来からよく耳にするところである。
公共事業は、場当たり的に開発しているのではない(筈である)。今は民営化していて純粋な公共事業とは言えなくなったが、国民の足であるJRの鉄道網整備を例にとると分りやすい。私が就職して上京してきた時には、横須賀線も無く、総武線快速も東京駅に乗り入れていなかった。京葉線も埼京線も湘南新宿線も勿論のこと無かった。京浜東北線も快速運転をしていなかった。そのような状況下では高度成長を支えきれず、通勤地獄言われるほどの社会問題となった。そこで、周到な「首都圏鉄道網整備プログラム(推定仮称)」というようなものが実行されてきたものと推察する。それぞれの路線開発計画がその中のプロジェクトを構成していたということになる。新幹線についても、東北新幹線の東京駅乗り入れ、品川新駅設置といった一連のプロジェクトが実施されてきた。これから先、どのようなプログラムが計画されているのかと興味が沸く。素人考えでは、新幹線で東海道から東北へ乗り換え無しで行けるようにならないものかとも思うが、恐らく費用対効果が低いということになっているのであろう。
公共事業といえば、新政権のマニフェストでダム建設の中止問題が話題となっている。「首都圏の水がめ整備プログラム(推定仮称)」の中の核となるプロジェクトでった当該ダム建設の中止を政策決定するというのは、プログラムそのものを否定することにならないかと懸念する。話しの内容からして、これまでのプログラムに中止オプションが想定されていなかったとすると、新たなプログラムが立ち上げられることになるものと推察するが、これまでのプログラムとの間に連続性が失われることは否めない。国政としてそれ相当の損失を確定することになる。
経済対策に目を移してみよう。経済対策ほど難しいものは無いと思う。公共事業のように、開発すればするほど、暮らしが楽になるというものとは違って、「経済は生き物」というように、効率性の追求だけでは片付かないものだからである。景気刺激策と言えば、財政政策(公共投資拡大)と金融政策(政策金利・量的緩和策)が挙げられるが、現実的にどれもこれもなかなか実効性が伴わなくなってきている。低成長化で財政政策としての公共投資拡大を続けてきたことによって、財政上の債務負担増が大きな問題となっている。そこで、サプライサイドの刺激で駄目ならディマンドサイドを刺激しようということで、前政権の給付金に始まって、新政権もばら撒き政策に走っているが、そのような戦術レベルの発想で功を奏するほど経済は単純ではないように思う。ばら撒き政策は、福祉的な意味合いを含む点で一定の価値が認められるが、富裕受給者にとっては余剰金となるもので、経済効果は薄いように思われる。また、そもそも富の再配分をしているだけで、国民全体としてはゼロサム(税収と財政債務を一定に保つとすれば、民間消費が減少した分だけ、財政支出が減少する)となり、GDP押し上げ効果は疑問(国民が貯蓄の増加で反応すると逆効果)である。
政権が変わると、とかく前政権を否定するところから事が始まるのは残念である。特に経済対策のような難しい問題を、そのような偏見に満ちた考え方で対応されては困る。官僚政治が諸悪の根源であるというのも行き過ぎた発想だと感じる。これまでの両者の関係は、政治家=経営者、官僚=プログラムマネージャー兼プロジェクトマネージャーであった。それを、政治家=経営者兼プログラムマネージャー、官僚=プロジェクトマネージャーとしたいということと解釈する。それを実現するために、国家戦略室という組織を内閣に設置した。官僚はプログラムの発想を持っているものと察するが、政治家は想いをビジョンとして表現した上で、自ら合理的なプログラム計画を策定できるものであろうか。官僚の横暴も困るが、政治家による思いつき政策で国政が右往左往するようなことにならないか懸念されるところである。特に、「マニフェストに書いたことは選挙で信任を得たのだから粛々と実施に移す。」という態度では、プログラムは機能しなくなるのではないかと危惧する。そのような視点で今後の政局を見ていきたい。