PMP試験部会
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内部者はなぜ冷静に分析出来ないのか?

イデオ・アクト株式会社 代表取締役 葉山 博昭:9月号

 先日NHKで旧日本海軍の戦後における反省会という番組を視聴した、前々からなぜあのように勝ち目の無い戦争を始め、またなぜ原爆が投下されるような悲惨な状況になっても戦争を終結できなかったのか不思議でならなかったが、このテレビ番組を見てそこには現代に通ずる日本人の悪しき習慣、民族としての欠陥ともいうべきものを垣間見ることが出来たような気がした。戦後ドイツが厳しく反省と戦争責任を明確にし、現在でも旧ナチの戦争責任を厳しく問うているのに対し、日本では先の戦争に対する公式な反省、責任が語られることがないと言われてきた。筆者は戦後生まれではあるが、なぜ物資・食料もなく終戦が出来なかったのか気になり出来るだけ関係した文章を読んできたが、納得出来るものを目にしたことはなかった。先日の放送で特攻隊に関して、誰しもがあのような効果の無い作戦を行ってはならないと思っていたが、いつの間にか生き残る道の無い戦術としては禁じ手の人間魚雷、体当たり航空機を準備し、実施してしまった、そこには明文化された指揮はなく、国民の自発的意志により行われた国民の責任にし、戦争を指揮していた上層部は責任を放棄してしまっていた、いったいこれはどうしてなのか、放送のタイトル「特攻 やましき沈黙」では、だれもが無意味な作戦であったと個人的は思っていたが、無意味な作戦と公式に意志表示する人間はいなかった、必要なとき、責任ある立場の人間が意見を言わず、やましさを感じながら、その意思表示をしないという行為を放送では「やましき沈黙」と呼んでいた。
 日本ではこの「やましき沈黙」ということが現代でも続いているような気がしてならない、例えば、特養老の待機人員、保育園の待機人員が多いなどと言う問題は戦後から今日までズーット言われ続け、問題は解決出来ない、赤字国債を垂れ流し大変な問題と言われ続けいつまで立っても解決しない、猿しか歩かない高速道路を造ってもまだ作り続ける、この国では社会を指導する責任あるエリートに問題を解決出来ないという根本的な問題がある、それは戦前から戦後も変わっていないように感じる。自分の生活が豊かでなく何とかしないといけないという個人的認識が全国民で一致している時は民間企業でもその企業の根本的問題が解決されず停滞、衰退する企業は多い、現在の日本航空がそうであるように。国家、企業の指導者が明確な指針を提示しなくとも自然と、輸出に耐える品質の製品を作りだすことが出来、早く豊かになりたいという欲望が全ての国民にあれば、誰かの指揮がなくとも納期は自然と守られる国民性がある。前に進むだけで良い場合、障害が無い場合、決して国、集団の指揮者の能力に依存してなくても成功出来た、だが前に進めなく、大きな問題が発生し前に行く力を発揮できないような場合、問題を解決するにはその問題の大きさに相応しい責任のある人間の指揮能力が問題となるが、上層部に行けば行くほど問題解決に直接手を染めることを嫌がるようになり、部下、業者の責任に振ってしまうことが良くある。だれしも苦しい戦争はやがては終わると思っていても、止めることの出来る立場の人間が止めるという論議を尽くさなかったというまことに不思議な民族だった。
 なぜこのようなプロジェクト・マネジメントと無縁な話をするかというと、プロジェクト・マネジメントがブーム化しIT業界のシステム開発のトラブルが減ったという実感がないにも関わらず下火になってしまっている。米国でも一時期PMO設立ブームが起きたがその効果を冷静に分析、再評価し、現在ではPMOの設立の可否など議論する時代は過ぎ、PMOが必要な組織には然るべきPMOが設立され、PMOの成功率は60%から70%と言われている、彼我の差は一向に縮まらない、日本でもPMOを再評価し必要な効果がだせるようになるのだろうか、非常に不安を感じる。
なぜなら、前述の戦争に対する反省・責任の行われない体質が民族の特性としてあるなら。再評価を自己の企業、団体の内部の人員のみでは行えないように思う、米国のように外部コンサルによる協力を得ることのほうが時間・内容的にもベターであろう、PMIのシンポジウムでもここ2年位の間種々のコンサルテーション会社と事業会社が協力してPMOの再評価を行った例が多く、PMOの成功パターンは決まってきていた。日本ではコンサルテーション会社を使うより、内部人員のみによる再評価が多いが、内部評価では原因を人的資質に帰してしまうことがよくあり、組織の冷静な分析は難しい。なぜ内部の人員では冷静な分析は出来ないのか、日本人独特なのか分からないが、会議でだれか一人が思いつきで最もらしいことを大声で言った場合、なにかおかしいと全員が思っても口ださず、その意見がまかり通ってしまう、「何かおかしい」と議論することが無しに、又議論しないまま流れに引きずられてしまうことがよくある。
事態に対峙し真剣に意見を戦わすということを嫌う文化があるような気がする、だれもが発言しないさましさを感じていても沈黙するという、「やましき沈黙」症候群が日本人の中に潜在的にあったら、「PMOで全てが解決するのだろうか?」と誰しもが疑いを持っている場合、「いや全てが解決するのではないが、こういう点は前よりよくなる」とはなかなか言いにくい、「PMOで全てが解決するのか?」と社内で時流にのった人間が発言した場合、その地位とは関係なく反論し議論することは日本の企業・団体ではでは少ない。このような点は米国人、中国人と会議を行っていて最も違う点のように感ずる。このように日本では冷静に過去行ってきたことを反省することは内部者だけでは難しいので、過去の分析は利害関係の無いコンサルタントに依頼したほうが良い結果を産むと思われる、もちろんコンサルタントを100%信じる訳にはいかない、なぜなら依頼して来た担当者は顧客(金銭の支払い者)という地位があるので依頼担当者の意図を無視出来ないという側面はある、だが100%顧客の言いなりになるというコンサルタントもいない。特にPMPはその資格の忠実義務が課されているので、意識して誤ったことを言う訳にはいかない、コンサルタントは依頼主の期待を裏切ることになっても真実を語る責任がある。PMOの再評価ではその責任上影響度が高いので第三者のコンサルタントに再評価を依頼するのが早く・確実な道である。
 バブル期には、もう米国に学ぶ事は無いなどと不遜な発言をした指導的立場の人間がいたが、勝敗は世の常であり、物質的欲望、金銭的欲望を満足しても幸福感を得られないことを一度味わった日本は、世界に先駆け新しい形の幸福感を得られる社会を造るにはどうしたら良いのか、過去の歴史に学び、外国の優れた点は貪欲に吸収するという謙虚を持って実現がしなければならない。プロジェクト・マネジメントは一次のブームで終わるものではなく、人間という集団が何かを期限をもって実現するには当たり前の知識で不可欠なものである。またPMOは組織のなかでプロジェクトを成功させるには、その必要性を議論している時期ではなく、効果のあるものにすることが現在望まれていることである。
 PMBOKにあるコンフロンテーションは、もともと日本人には不得意であり、日本ではまだまだ根付いておらず、ドキュメント、会話等のコミュニケーションを増やし、問題と対峙し、問題解決を部下、業者に振るのが責任者のすることではなく、問題の程度によっては解決出来る立場の人間自らが問題解決の決断を下さなければ問題は解決しないという、コミュニケーション方法の変革が必要である。日本ではPMBOKの普及もまだまだであり、PMOがその普及にかなりの時間を割かなければならず、PMOの必要性を論議している場合ではない、PMOが先頭になってプロジェクト・マネジメントの普及活動を再度行うPMO第二期にはやく移行することが期待されている。
以上
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