P2M研究会
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アスタナプロジェクト

PMR 内田 淳二 [プロフィール] :8月号

筆者の所属会社は、日本政府のカザフスタン共和国向け有償ODA「アスタナ上下水整備計画」の実施プロジェクトを、フランス、トルコのパートナー会社とのコンソーシアムで受注し、2010年の引渡しを目指して業務を遂行中である。筆者は設計担当としてこのプロジェクトに参画し、これまであまりなじみの無かった国の国柄に接する事が出来た。今回は、P2M研究会のコラムを借りて、知られざるアジアの大国カザフスタン共和国と上記プロジェクトの紹介をさせていただきたいと思う。

カザフスタン共和国は、1991年のソビエト社会主義共和国連邦の解体に伴い独立したCISメンバー国で、人口約1500万人、国土面積は日本の7倍、そして鉱物資源大国として有名である。日本とは、政治経済のみならず文化交流の促進も国を挙げて行われており、これからが期待される友好国である。

プロジェクトの受け入れ先であるアスタナ市は、カザフスタン北部にあり、1997年に新生カザフスタンの首都となった。アクモラ(アスタナの旧名)という農村地帯が、シルクロードのオアシスと呼ばれ東西文明の交流の歴史を担ったアルマタ市からカザフスタン共和国の首都として、その未来を託された訳である。新首都アスタナの都市計画は、世界中の建築家とのコンペを勝ち抜いた故黒川紀章氏デザインによるものであり、「アスタナ上下水整備計画」への日本政府の援助とも少なからぬ縁があったものと思われる。

カザフスタンへの日本からの直行便は、まだ無い。アスタナ・エアで韓国インチョン空港経由と中国の北京空港経由で旧首都アルマタへのフライトが週2便程度あるのみである。聞くところによれば、近々アスタナ・エアの日本乗り入れも計画されているらしいが、まだまだ日本からの利用客は少ないと思われる。また、なんと言っても韓国インチョン空港も北京の新空港も世界に冠たるハブ空港の名を欲しいままにしており、現時点では成田や関空が熾烈な競争に勝てるかどうかも疑問である。

アルマタで一泊し、翌朝6時発のアスタナ・エア国内便でアスタナに向かう。アルマタは、東西文明の交流地点として栄えた街ということで時間があれば散策してみたい街であるが、残念ながら未だその機会には恵まれない。
アルマタ国際空港を飛び立った飛行機は、天山山脈を後にして二時間そこそこでアスタナ空港に到着する。両空港ともその規模はまだ小さいが、アスタナ空港では経済の発展に合わせての拡張工事が継続的に行われているようであった。新首都空港から都心のホテルに向かう車窓からは、至るところで住宅の建設に立ち働くタワークレーンの姿が目に付く。首都移転から10年、政治経済の中心として新しく生まれたこの街が、今なお大量の市民を受け入れる準備の真っ最中であることが伺い知れる光景である。

「アスタナ上下水整備計画」実施プロジェクトは、首都機能の強化再整備の目的をもっておりその意義は大きい。今、現場(以下サイト)は工事の最盛期である。サイトは上水場建設サイトと下水処理場サイトの二箇所に分かれている。サイトの一角に設営されたキャンプは、コンソーシアムパートナーであるトルコのゼネコンの手によるものであるが、二箇所のサイト共、立派に運営されていた。現場は久しぶりだったが、目の前で自分の設計したものがどんどん組みあがって行く場に立ち会うことは、いつになっても良い勉強になる。日本人現場事務所は、日本人4人とローカルスタッフ6名で切り盛りされている。日本人は、全員、新市街の大統領官邸に近いホテルや近隣のアパートを宿舎とする単身赴任である。永い者で足かけ4年の滞在である。筆者は、ホテルに短期滞在するのみであったのでカザフ人との深いコミュニケーションを取るには至らなかったが、現場スタッフ一同は、共用語であるロシア語が使えるようになり、ホテルスタッフや街での買い物で使う会話には困らなくなっていた。少ない人数でローカルスタッフとの信頼関係を築き緊張感を持ったサイト運営が行われているのが頼もしく思えた。

今、現場は、昨年の米国発金融危機の影響を受け、プロジェクト遂行の優先順位がめまぐるしく入れ替わる状況にあるが、スタッフは、これらの外乱によく耐え、一丸となってプロジェクトの成功を期し日夜奮闘している。日本のODAが、新しい使命を掲げ世界平和の維持構築事業として再生しつつある今日、われわれの仕事の成果も、その使命達成に貢献出来るよう精進を続けたいと思うものである。

以上
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