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「エンタテイメント論」(16)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :7月号

エンタテイメント論

第1部 エンタテイメント論の概要

14 映画産業の実態

●頑張っている日本映画
 日本の大手映画会社は、もはや本物の映画会社ではなくなったという筆者の意見に某大手映画会社の元キーパーソンは、「川勝さん、おっしゃる通りですよ」と本気と本音で寂しそうに同意したと前号で述べた。これに対して「日本映画は、凋落どころか、発展している」、「日本クール、日本ブーム、日本アニメ隆盛などをどう説明するつもりか」、「日本映画への再評価の高まり、日本映画への世界の注目などを無視すべきでない」などの反論、異論はあろう。

 筆者は、勿論、その事を無視して本論を展開している訳ではない。日本アニメ映画、日本劇映画の存在は、世界で十分、認識されていることを承知している。しかし筆者は、ビジネスの観点から日本映画事業を議論している。勿論、芸術性の観点からも日本のアニメや劇映画を議論するべきであることも承知している。

 しかし日本のアニメや劇(実写)映画に従事している人達の日常生活の実態を知っている人達は何人いるだろうか。恵まれた人達は、ほんのわずか。殆どの人達は、劣悪な職場環境と恵まれない生活環境の中で生きている。日本のアニメの業界は酷いものである。ビジネスとしてキチンと成り立っておれば、この様な事態は避けられたはず。

 世間にその名を知られていないが、真のアニメ・クリエーター、真の映画脚本家、真の映画監督、真のアニメ制作職人達が正当に評価される時代が来ない限り、そしてこの様な酷い状態が無くならない限り、筆者は、日本アニメ称賛、日本映画賛美、日本クール説、日本アニメ隆盛などを本稿で述べる気にならない。

●国立アニメ芸術総合センター
 アニメ、マンガ、ゲーム、デジタル・アートなどを展示する4〜6階建で延べ床面積1万坪の建物を建設し、運営する初期設備額117億円の予算が成立した(本年6月14日朝日新聞) 古いマンガの原画の劣化を防ぎ、後世に日本のマンガ文化を残すべし(漫画家・里中満智子氏の弁)という必要性から作られる。

 しかし民主党からも、自民党の一部からも「こんなハコモノは不要」と予算凍結要求が噴き出ている。また日本アニメーター演出協会代表・芦田豊雄氏は、「国がアニメに目を向けるなら、低予算で疲弊している日本アニメ関係者の待遇改善、環境整備に予算を使って欲しい」と訴えている。

 筆者は、アニメ、マンガ、ゲームなどを保存し、展示するなら優れた日本映画、日本TV番組、それらに関係する音楽ソフトなども対象にすべきであろう。

 日本の国として文化価値のあるモノは何か、その価値あるものを生み出す最も大切な人材は誰か、その様な人材は如何に育てられるべきか、育てられた人材は、如何に正当に評価されるべきかを「ハコモノの建設と運営」を実行する前に、国家として明らかにすべきであろう。

●真の映画事業
(1)ハリウッドの映画ハンター

ハリウッドの映画コンセプト・ハンター達は、日本のアニメ業界の優れたアニメ映画、アニメ・コンセプト、アニメ・キャラクター、また劇場映画を虎視眈々と狙っている。彼らは、ハリウッドと組んで新しい映画の事業計画を練る。それらのコンセプトに合致するアニメまたは優れた日本の映画をゲンナマ(現金)で安く買い叩く(川上制覇)。そして本国に持ち帰り、ハリウッド映画に仕立て上げ(川中制覇)、世界の映画配給ネットワークに乗せる一方、二次、三次の映像・音楽流通ネットワークに流し(川下制覇)、膨大な利益を獲得している。
 
 筆者は、日本のアニメの優秀さ、日本劇場映画の素晴らしさを否定するものではない。またささやかな日本の映画市場で楚々と日本映画を作り、幸せな一時を観客に与える映画を作る姿勢も否定する積りもない。しかし日本映画ビジネスを産業の「体」を成すものに仕上げなければ、本当に凄いアニメも、本当に凄い芸術性を発揮する映画も生まれないのではないか。いつまでも個人としての映画人の「汗と涙と血」を流すことに頼っていてよいのだろうか。

(2)真の映画ビジネスの創造とは
 真の映画ビジネスの創造とは、適時、適切な企画〜建設〜運営を実行することをいう。何のことは無い「夢工学」が口酸っぱく主張していることを映画の世界で実行するだけのことである。

 日本の多くの映画関係者は、俳優、女優ならまだしも、何故か文化人気どり屋、芸術家気どり屋が多い。映画をビジネスとする試みは、文化性や芸術性の追求と根本から否定し、矛盾すると思い込んでいるのかもしれない。

 「汗と涙と血」を流しながら頑張る貧乏天才芸術家が極貧の中で亡くなり、死後、世界で評価されても本人は全く浮かばれない。生きている内に、天才芸術家を発掘し、厚遇し、映画産業にも貢献して貰う様な努力をハリウッドは日頃から行っている事実を日本の映画関係者は、肝に銘じるべしである。

夢工学式・映画ビジネス論(考え方と方法論)
 筆者は、「エンタテイメント論」を、この「オンライン・ジャーナル」で連載する以前の数年間、長期にわたって「夢工学」を連載してきた。是非、映画関係者は、その「バックナンバー」を見て欲しい。夢工学は、夢を実現させ、成功させるための「パトス論(感性)」と「ロゴス論(理性)」を説く。

 良い映画を作って我々を楽しませて貰うために、一般の読者には悪いが、日本の多くの映画関係者向けの「夢工学」を簡単に説明したい。彼らは、パトス論を意識的又は無意識に実践していると思われるので、ロゴス論の「計画〜建設〜運営」の観点から「夢工学式・映画ビジネス論」を紙面の許す範囲で説明したい。

(1)映画制作の「計画」とは
 これは、映画制作のための計画を適時、適正に実行することである。具体的には、シナリオ最優先主義の採用、映画ストーリボードの作成、最適・可視化(ビジュアル)予算編成と管理、脚本家の徹底した厚遇、斬新な企画重視主義、真の映画プロデューサーやディレクターの選抜、真の俳優、女優の選抜、映画シナリオと撮影に於けるF機能とR機能の同時追求(★別途説明)、映画音楽作曲家と演奏者の徹底した厚遇、映画制作ポートフォリオ戦略の策定と実行(★別途説明)、映画制作の予算管理システムの整備と実行、映画制作ファイナンスの徹底、法的問題の事前解決などをいう。

 優れた映画、楽しい映画、良い映画、親しまれる映画そしてヒット映画は、脚本とストリー・ボードの出来不出来で決まると言って過言ではない。監督の選択も、主演俳優の選択も、主演女優の選択も、この映画の脚本とストーリーボードが決める要素に過ぎない。そしてそれらの全てを決めるのが、映画プロデューサーである。もっとも日本ではこのプロデューサーの権限と責任が曖昧である。そして脚本とストリーボードは、夢工学の計画書(Vision & Planning)そのものである。
著者:ニール・D・ヒックス,
浜口幸一
ハリウッド脚本術

以上のことは、分野こそ違うが、成功している日本の製造メーカーが日頃実行していることである。
それらを映画制作メーカーも実行することである。映画を成功させるためには、適時、適切な企画が如何に重要かを日本の映画人は徹底して認識すべきである。

Josh Sheppardのストーリー・ボードの書き方
出典:Josh Sheppardのストーリー・ボードの書き方

(2)映画制作の場の「建設」とは、
これは、適時、適切な映画の制作プラットフォームを建設することをいう。

具体的には、映画制作体制(映画制作機会、器具、備品、制作コンピューター・システム、制作人材整備など)の確立、映画制作現場の構築、親分子分の制作人材体制から契約プロ集団体制への移行、制作現場従業員の厚遇などの他に、ポスト・プロダクション体制の整備、制作編集工房の充実などである。

また映画館の適時、適切な建設(★別途説明)、二次利用や三次利用システムの構築、世界規模の配給システムの構築など例示すると切りがないのでこれくらいで説明をやめる。
出典:東宝映画HP
映画スタジオ
東宝映画HP映画スタジオ

(3)映画作品の配給、流通などの「運営」
 これは、制作された映画を適時、適切に上映し、二次利用、三次利用して適時、適切な収益を獲得し、映画を成功させることをいう。

 具体的には、映画館での適時、適切な上映方法の確立、二次利用や三次利用での合理的運営方法の採用、世界規模の適時、適切な配給ネットワークの構築などである。これも例示すると切りがないが、気になる点を以下に指摘するにとどめる。
最近,廃館になった映画館
今後、都内の大型映画館はますます廃館される傾向。
もっと儲かる貸し店舗?
新宿プラザ劇場

(3・1)映画館の全席予約制運営の拙さ
 最近の東京の映画館も、地方の映画館も、上映の予約制度を導入している。全くナンセンスである。これではわざわざ映画館で見ようと訪れた観客を排除している様なもの。ライブ・エンタテイメントの上演が日に2回程度のミュージカルや芝居ならいざ知らず、マシン・エンタテイメントの映画である。何回でも、どの様にでも上演できるのである。途中からでも見たい人は、見させる様にすべきであろう。自由に見られる良さをわざわざ制限している映画関係者の考えが理解できない。

 恐らく一部の客の要望で予約制にしたのだろう。しかし「頭から見たい。予約もしたい」という客には、昔からある「ロイヤル・シート制」を設定すればよい。予約制のチケット売り場の女性は、汗だくになって、一生懸命に「この席は見やすい。ここは見にくい」と何分も掛けて予約シート表をお客に見せながら説明をしている。その結果、チケット売り場に長い列が出来ている。筆者も予約席を買って入場したら、説明とは違った角度と距離のところで映画を頭から見させられた。1時間以上も外で時間待ちをし、やっと見た映画館の席は見難く、おまけに見た映画がつまらなく、頭にきて途中で映画館を出た。全くの時間の浪費であった。それ以来、予約制の映画館には2度と行かなくなった。この様な経験を持った読者は沢山いるであろう。

(3・2)日本の偽の集合映画館
 日本で「集合映画館事業(マルチ・シネマ)」の導入を最初に本格的に検討したのは恐らく新日本製鉄鰍フ筆者のグループであったと思う。その理由は、以下のエピソードで分かるだろう。

 筆者は、USJ新日鉄プロジェクトを推進していた時、東宝関係者やその他の映画関係者に「集合映画館をユニバーサル・スタジオ・ツアーのテーマパークに隣接させ、その事業を進めたい。日本で成功すると思うか」と尋ねた。マルチシネマを知らない人物は別として、知っていた人物は、異口同音、「日本人には合わない。無理だ」と返事した。しかし10数年後、筆者の予測は的中した。ワーナー・マイカル、ユナイテッド・シネマなどが日本に数多くの集合映画館が作られ、成功した。

 筆者が「郊外の集合映画館は別として、東京都内や中心市街地の集合映画館は、殆どは偽モノである」と言うと多くの人は驚くであろう。「映画館の建物の中で幾つかのタイトルの映画が同時に上映されている映画館を集合映画館と思っている人達が多いからだ。それは間違いである。

 「本物の集合映画館」は、約20ぐらいのスクリーン投影空間(オードトリアム=映画館の中の映画館)を持ち、映写室に特別の仕掛けがあるものをいう。特別な仕掛けとは、同じタイトルの映画を複数のスクリーン投影空間で上演する。これは、1本の映画フイルムをターンテーブルに装着し、そこからフイルムを吐き出し、A映写機〜B映写機〜C映写機〜N映写機の中を通し、別のターンテーブルに巻き取らせる仕組みである。これによって1つのタイトルのヒット映画に殺到するお客をABCD、そしてNのそれぞれのスクリーン投影空間に配分する。その数を増やしたり、減らしたりする上映弾力性によってお客満足と収益確保が可能にする。またチケット売り場の効率化も図れる。

 (株)プリンス・ホテルは、以前、品川プリンス・ホテルと周辺商業施設の大改造を計画した。映画館、劇場、水族館などを計画した。筆者は、その計画内容について意見を聞かれたので、米国式の本物の集合映画館のコンセプトと方法論を採用する様に具体的に提言した。しかし筆者の提言は採用されず、従来形の映画館が作られた。品川という絶好の場所で土地も広いのに採用しなかった。その理由は、ターンテーブル2個とフイルム搬パイプを付けるだけの僅かな設備投資をケチッたのか、集合映画館の本質とメリットを理解できなかったのか、筆者の提言など聞きたくないという企画者のプライドがあったためだろう。その結果、ヒット映画をより多くの客に見せる機会利益を失った。

 しかも愚かにも現在、予約制を採用している。二人でいるだけで幸な「アツアツ・カップル」なら幾らでも待てるだろう。しかしそれほど暇ではない人は、品川プリンス周辺商業施設でウインドーショッピングをしても1時間はもたない。結局、喫茶店で時間をつぶすことになる。やっとの思いで見た映画がつまらなかった時は、最悪だ。筆者と同じ様に、2度と予約制の映画館に入らない様になる。

 日本は、サービス業の生産性が先進諸国で最低と言われている。特に日本の映画界の生産性も低い。同業界関係者が、夢工学が説く「パトス論」と「ロゴス論」を、同時・同質に実践して、その生産性の向上に努めて欲しいものである。
つづく

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