PMRクラブコーナー
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企業人のプロフェッショナリズム

PMR 蘆原 哲哉 [プロフィール] :6月号

 本コーナーの取り纏め役をやらせていただいて1年になります。「身近な話題をP2Mの視点で語る場」として装いを新たにして、昨年5月号での私自身の駄作を皮切りに、その後12名からの寄稿をいただきましたが、如何だったでしょうか。私自身は、執筆者の身近な話題の中に新たな共通観的な真理を見出せることを毎回楽しみにしています。今回は、「企業人のプロフェッショナリズム」と題して、私の思うところを書かせていただこうと思います。
企業人のプロフェッショナリズム
 プロフェッショナルと言えば、野球・サッカー・相撲・ゴルフ・囲碁・将棋等、テレビで見る人並み外れた世界を思い起こす。先日、稚内にある「松坂大輔記念館」で150km/時の投球を体感したが、その迫力には「これがプロのレベルか」と感嘆させられたものである。しかし、彼等だけがプロではない。我々企業人も個々に専門性を備えたプロフェッショナル(職業人)である。全国レベルの達人が集まる中で鍛え抜かれた一流選手ほどの特異能力を備えていないにしても、長年培った職業の中にそれ相当の専門性を備えている筈である。
<専門性を高めるためのプロ集団化>
 全国レベルの達人が集まっているプロ競技の世界とは違って、一企業組織の集積度は低い。しかし、先人達が築いたノウハウを引き継いで、個々の社員が経験を積む中でプロと言って然るべき専門能力を養っている。現実に、最先端技術を持つ中小企業も少なくないという。だからと言って、小さな組織の殻の中に閉じ篭っていては、プロとしての実力を高めることはできない。協業等によって組織外のノウハウとの相乗効果を求めるところに、新たな能力開発が期待されるものと思われる。
 新規性の高いプロジェクトマネジメントの世界では、組織内に留まらず広く業界内外での知見を得て、相互のレベル向上を図ることが特に重要といえる。私は、2002年からPFI事業(P2M第四部第二章「プロジェクトファイナンスマネジメント」でお馴染み)に取り組んできて、新たな専門性を獲得することができた。私共にとって幸運であったことは、「パートナーに恵まれた」ということである。共にPFI事業に取り組んできた構成員企業各社が、知見を持ち寄って議論を進める中で、相互に実力を高めあうことができたものと実感している。もしも、構成員各社がそれぞれ自社の利益に固執し、独自の価値観に閉じこもった議論に終始していたとすれば、経験をいくら積んでも能力向上には繋がらなかったことと思う。
<組織能力の伝承>
 その獲得した知見を次の世代に伝えることが重要であると認識しているが、なかなか容易なことではない。根本的な問題は、伝えようとする側と受け継ぐ側の間の価値観の隔たりである。伝えようとする側の価値観からは、自らの経験に基づくノウハウをとかく後進に押し付けようとしがちとなる。その典型的なものが「教え魔」というやつだ。ゴルフ隆盛の時代に、多少の経験から悟りを得たような気になって、ビギナーに講釈をして「うざがられて(最近の若者用語を借用)」いる輩をよく見かけたものである。私は、そうはなりたくないと常に自戒しているつもりである。受け継ぐ側の価値観からは、まず基本的に受け継ごうという意欲がないことが問題である。その理由として、@他者のノウハウを受け継いでも社内的な評価は上がらない、A多くはゼネラリスト志向(専門的なことは内外の専門家任せ)である、B仕事に流されて、人の話を聞いている余裕が無い、C自分の方が良く知っていると思っている、等々である。私の場合、この関係を一朝一夕に改善して、経験を後進に余すとこと無く伝えることは困難と考え、できる限り形で残そう(形式知化しよう)と考えた。そこで、昨年の9月頃から、業務の傍ら後進に伝えたいことを思い付くままに書き留めていった。そして、塵も積もればということで、半年で10万字超のものが出来上がった。文字通り集大成である。それを可能としたパソコンという文明の力に感謝したい。手書きの時代には到底不可能なことであった。しかし、P2Mもそうであるように、案件を目の前にして泥縄式にノウハウ集を紐解いても実践には間に合わない。今後、どれだけ後進に受け継いで貰えて、それをベースとして組織力の維持・向上に繋げられるか、長い目で期待している。
<専門家任せによる責任感の欠如を憂える>
 前述の「専門家任せ」の傾向については、特に憂いを覚えるところである。私は、今日の企業社会問題について、経営者自らの悪意ある経営行動の場合は何をかいわんやであるが、もう一つの大きな病巣が「専門家任せ」にあると考えている。エンロン問題、自治体が設立した金融機関の経営危機問題、サブプライムローン問題、耐震強度偽装問題、等々は、名だたる公認会計士事務所、民間企業で成功経験を持つ経営者、金融工学者、一級建築士と言われるような専門家に騙された結末の出来事と解釈できる。不正行為に限らず、間違いということもある。専門家といっても所詮人間であり、間違いは付き物との認識が必要である。エンロン問題に端を発して内部統制の必要性が騒がれているが、専門家に委ねる部分をブラックボックスに置いたままだと、内部統制は絵に描いた餅となってしまうものと危惧するところである。
 また、ネームバリューを過信するのも問題である。一流料亭の食べ残し料理転用問題の他にも例を挙げれば枚挙に暇なしである。サブプライムローンの問題については、日本にとっては「何時か来た道(90年代のバブル崩壊)」であった筈である。それでも日本の金融機関までが手を出したというのはいただけない。米国の大手金融機関における金融・経済の専門家が考えたモデルということで、その欠陥を誰も指摘しようとせずに鵜呑みにしたことによる失態であると言いたい。
<勝手読みによるリスク見落とし>
 「勝手読み」とは囲碁・将棋の世界で皮肉を込めて言われる言葉である。「こう行くと、ああ来る」と先を読んで、「これしかないだろう」と悦に入って打った手が、実は愚手だった。しかし、手合い馴れした対戦相手もその悪手を咎められずに、何も無かったかの如く事態は進行していく。素人同士の縁台での十年一日の長閑な光景である。この様に「勝手読み」でプロジェクトリスクを見落としているケースが無いとは言えない。関係者がその読み違いを咎めることができないまま事態が進行していくということになると、リスクマネジメント自体が「笊(囲碁用語)」となってしまう。例えば、「そのリスクは保険でカバーすることにしています。」というプロジェクト担当者の説明で皆が納得していたら、実際にはその様な保険商品は無かった、或いは免責条項によりてん補されていなかった、ということがあるかも知れない。これら担当者による勝手読みについて、組織として見抜く力が備えられていてほしい。管理者、特に経営者は、「洞察力」を働かせて担当者の業務上の過失(悪意を含む)を正さなければならない。「騙された。」では済まされない問題である。「洞察力」と言ったが、「常識力」と言っても良い。旨い話や通常と異なるアウトプットが出て来た時には、常識力を発揮して、誤りを正すことができなければならない。「それができるのが、管理者のプロである。」というのは酷であろうか。
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