PMプロの知恵コーナー
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「エンタテイメント論」(14)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :5月号

エンタテイメント論

第1部 エンタテイメント論の概要

>過去1年間、さまざま観点から「エンタテイメント論の概要」を、実例を基に述べてきた。バック・ナンバーがPMAJホームページで整備されているので是非、それも読んで欲しい。
>さて今月号から「第2部 エンタテイメント論(本論)」を本格的、専門的、実務的に掘り下げてみようと考えた。そのための本連載用の原稿も用意した
>しかし筆者が構築し、命名した「エンタテイメント論」は、その名前も、内容も、本連載で初めて世に中で明らかにされたものである。その様な状況で急に理論的、専門的、実務的な論述を展開すると、読者に理解されるかどうか、また興味を持って読んで貰えるかどうか疑問ではないかと思った。
>悩んだ末、当分の間、従来通り「エンタテイメント論の概要」として広く、多方面に亘った話題を織り込み、議論を展開することにした。
>なお本連載の初号で述べた通り、今後も論文調や堅苦しい表現でなく、絵や写真を入れて読みやすい形で説明してゆきたい。
>本論に「絵」や「写真」を掲載する場合、その「出典」を明らかにしている。しかしそれでも「肖像権」、「著作権」などの問題があるかもしれない。もし本掲載に問題がある場合でも、「特定非営利活動法人・日本プロジェクト・マネジメント協会(PMAJ)」の設立と運営の目的に照らして貰い且つ筆者が「エンタテイメント論」を世の中の人達の参考にして欲しいと願って、その内容をすべて一般開示している目的も考慮して貰い、格段の許可を願いたい。

13 破綻した「テーマパーク」に復活はあるか?
●破綻したテーマパークの新聞報道と某学者の見解
>「破綻したテーマパークに復活はあるか」の表題は、某新聞が岡山・倉敷市の「倉敷チボリ公園」、北海道・夕張市の「石炭・歴史村」、宮崎市の「シーガイヤ」など相次いで破綻したテーマパークを記事にした時に使われた表現である。そしてそれらのテーマパークも、その他の破綻した多くの第3セクターの施設も、共に「無策」が招いた結果であると報じた。
倉敷チボリ公園  倉敷チボリ公園  倉敷チボリ公園
倉敷チボリ公園 出典:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」

>同新聞は、上記の他に「志摩・パルケエスパーニア」や食のテーマパーク「道頓堀極楽商店街」などの経営難と問題点を報じた。そして某大学教授の「それらのテーマパークに追加投資がなかったこと、魅力作りを怠ったことが破綻原因だ」とのコメントも掲載した。
>この報道も、このコメントも、最近のものである。日本のメディアも、学者先生もいまだに「テーマパーク」に誤った認識を持っていることが分かる。
>しかし筆者は、某新聞や某教授を批判する気はない。言いたいことは、この「エンタテイメント論」を熟読し、本物のテーマパークとは何か正しく認識し、日本全国で進められている「町つくり」に役立てて欲しいことである。

●テーマパークへの誤認識
>米国MCA社の専門家から筆者が得た直伝内容と筆者のテーマパーク事業の実経験から、「本物のテーマパークとは何か」を前号で縷々説明した。このことが分かれば「倉敷チボリ公園」、北海道・夕張市の「石炭・歴史村」、宮崎市の「シーガイヤ」など相次いで破綻した施設は、ディズニーランド、ユニバーサル・スタジオ、セガ・ジョイポリスなどと全く異質の施設であって、名実共にテーマパークではないということが分かるだろう。
>このことが分かれば、上記のそれらの施設に「無策」とか、「魅力作りを怠った」という指摘がおかしいことが分かるはず。それらは、本質的には、公園、博物館、歴史館、スポーツ施設などの特質を備えていて、それに幾らテーマ性を付加しても「本物のテーマパーク」になり得ない施設だったのであるそれらは公共性が強く、収益性を最初から追及しても成り立ちえない特質を備えた施設でもあった。それに対して「無策だ」とか、「魅力不足」と評価するのは見当違いである。分かり易く、やや誇張して言えば、「図書館」を作って入場者数を競い、儲けを競い、赤字はけしからんという様なことである。

●誤認識が招いた悲惨な結果
>もし以上の基本認識を建設当時の自治体、都市開発専門家、市民が持っておれば、「倉敷チボリ公園」も、「石炭・歴史村」などの施設も、その基本コンセプトでは「本物のテーマパーク」を作れないことに気付いたであろう。その結果、最初から「公設・公営」で作るか否か議論したであろう。例えば「倉敷チボリ公園」を議論の末に、現在と似たモノを作ったとしても、それは自治体の公共施設の公園であるから「無策」にならず、追加投資をする名目もあるのできちんと投資され、整備されて今日も生きていたはずである。
>「チボリ公園経営問題有識者委員会」は、倉敷チボリ公園の事業を「公益性と収益性の両立を目指す事業自体に矛盾があった」と結論付けた。その協議結果は、岡山県石井知事に報告された。そして同知事は、財界の反対を押し切る形で同公園を閉園した。
>筆者は、彼らを批判する気は毛頭ないが、言いたいことは、同委員会メンバーや同知事が倉敷チボリ公園は企画〜建設〜開園の当初からその実態はテーマパークではなく、公園であったことを改めてここで認識して欲しいということである。
>テーマパークではない施設をテーマパークと認識し、それに「収益性」を追求し、一方実態が公園の性格を持つため「公益性」を同時に要求した。この誤認識が悲惨な結果を引き起こした。
>岡山県の知事、自治体関係者、企業、県民の方々が、倉敷チボリ公園を含む「地方活性化」に関して更なる過ちを犯さないことを強く願っている。そして「誤った新都市開発」、「矛盾だらけのまちつくり」、「金儲け主義の都市再開発」を正々堂々と「本物」と主張する似非都市開発専門家、偽企画者、御用学者、素人テーマパーク論者などに振り回されない様、注意して欲しい。

●その他のテーマパーク
>三重県志摩市の「志摩パルケエスパーニア」は、経営が厳しいと言われているが、「スペイン色に固執せず、小さい子供が楽しめる施設」を目指している様である。この施設は、スペインをコンセプトにしているが、実態はやはりテーマパークではない。
>近畿日本鉄道グループの関係者は、その実態を正しく認識しているだろうか。しかしテーマ性に拘らず収益性を追求して生き残る戦略を取ると聞いているので、そのこと自体は正しいと思う。
>もし同グループの関係者がその施設をテーマパークと認識しているとやっかいである。同関係者が本論を読むことを、これを参考にすることを、そして過ちを犯さないことを切に願っている。
志摩パルケエスパーニア
出典:志摩パルケエスパーニアのHP
●道頓堀極楽商店街
>食のテーマパークと名乗った「道頓堀極楽商店街」は、今年、閉鎖される予定と聞く。これも上記のパークと同様、実態はやはりテーマパークではない。テーマ性があるパークは、すべてテーマパークと考えることが誤りの元である。
>このパークでは大正末期から昭和初期にかけての大阪の街が再現された。入場料を取るので、お客に提供する「モノ」や「コトガラ」が必要である。入場料は、その街を見て楽しんだ代金とのことである様だが、それでは大阪人は納得しないだろう。エンタテイメント論の観点から見ると、このパークは、入場料に見合う魅力ある大正時代のライブ・エンタテイメントを常設館として毎日用意しなかったこと(不定期のイベントではなく)がリピーター確保に繋がらず、結局、潰れる原因になったのではないか。
つづく

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