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ダブリンの風(67) 「陰徳を積む」

高根 宏士:1月号

 「陰徳を積む」という言葉には含蓄がある。中国の前漢時代に言われたらしい。この言葉は「有陰徳必有陽報(陰徳あれば必ず陽報あり)」として知られ、人知れず良い行いをすれば、必ず良い報いがあるといわれている。例えば誰にも知られず、公衆トイレの掃除をするとか、誰もいないところで道に散らばっているゴミを拾うなどは陰徳である。また誰かが困っている時、それとなくその状態を解消してやることも陰徳の例である。
 このとき注意しなければならないことは陽報を期待して陰徳を積むということは本末転倒であり、それは陰徳にならない。陰徳は陽報を期待せず、自分が良いと思うこと、他人のためになると思うことを人知れず、または人が知ろうが知るまいが、自分の利害に反してでも素直に行なうことである。
 この陰徳に近い英語を最近教えてもらった。それは「イメージスコア」という言葉である。この言葉はオックスフォード大学のマーティン・A.・ノワクが言いだしたらしい。人間関係において、例えばAがBによいことをする。そのお返しにBがAによいことをする関係を「直接的相互依存」という。それに対して「AがBに、見返りを期待しないで、協力をしておくと、それを見ていたC(第三者)に、後ほど協力をしてもらえる」という関係を「間接的相互依存」というが、この間接的相互依存においてAがBに無償の協力をしているのを見て、Cの中にAに対する評価が上がる。この評価ポイントをイメージスコアといい、このイメージスコアが高くなるほどその人のイメージはよくなり、いわゆる人望ができ、他から協力してもらえるようになる。
 このイメージスコアは陰徳を積むことにより上がってくるのではないだろうか。自分の利益だけを考えている人は陰徳を積まないので、イメージスコアはマイナスになる。結果として周りの人が協力しなくなるので、反って自分の利益は少なくなる。
 この陰徳やイメージスコアを拡大解釈した例を紹介したい。あるプラント建設のプロジェクトがあった。ベンダーは4社(仮にA、B、C、Dとする)であった。4社の基本的な役割分担は決まっていたが、4者の間の具体的なインタフェースがなかなか決まらなかった。企業としてはAが最も力があった。そのAが事毎に自社が楽になること、コストがかからないことを目指して強引にインタフェースを決めようとした。それに対してBは4社間ができるだけ簡単でわかりやすくなることを意識してインタフェースを決めようとしていた。ある場合にはBにとって不利になるようなインタフェースも全体としてのわかり易さから提案してきたりした。このような関係で打ち合わせは延々と続いた。Aがメインベンダーのはずであったが、自社利益優先の態度が見え見えのため、CやDが段々とAの意見に従わなくなってきた。そしてBの全体的視点からの意見に積極的に賛同の意を表明するようになり、顧客もBの意見を支持するようになった。最後はほとんどBの提案通りのインタフェースになってしまった。Bの直接的自社利益よりも全体の成功を優先する態度がC、Dや顧客のBに対するイメージスコアを上げた。反対にAは彼らからマイナスのイメージスコアを付けられた。
 最近の世相を見るに、陰徳やプラスのイメージスコアを忘れて、直接的利益、それも短期的数字のみを評価の対象として、ガツガツしている経営者が多く見られる。現在の金融パニックも数字操作のみで、短期的に儲けようとしてヴァーチャルな世界で自分だけがぼろ儲けをしようともがいた結果が底なし沼に落ち込んだようなものである。現在の金融の世界は信用経済の崩壊とか言っているが、元々信用があったわけではなく、実体のないカラクリを偽装していただけなので、ひとつがほころびると全体ががたついてきたのではないだろうか。それが実体経済までもおかしくしてしまった。そして実体経済のトップ企業の経営者も業績が悪くなると、途端に自己保身のため、従業員(派遣社員が多いが)の首を切って逃げようとしている。従業員の首を切らないで何とか頑張ろうとしているところの話は寡聞にして聞かない。そして失業対策は全て政府や地方自治体に押し付けている。以前は先ずは従業員の生活を守ることを考える経営者の話をよく聴いた。だから従業員にも企業に対する忠誠心ができ、一丸となって難局に立ち向かうチームワークができた。現在は経営者にその姿勢が見られない。そのような企業に本当の意味で未来に繋がる粘りが出るはずもない。
 何の考えもなく、単に数字上のレートが有利だというだけで、中国等に丸投げ外注しているのも同じ次元の現象である。将来の日本の空洞化は明白である。
 現在「上に立つ人ほど陰徳を積むことを心掛ける」ことが必要であろう。

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