PMプロの知恵コーナー
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ダブリンの風(66) 「問いと答え」

高根 宏士:12月号

 コミュニケーションは、プロジェクトに限らず人間社会においてはどんな場合でも重要である。コミュニケーションが成立したかどうかは「現状に対する認識の一致と目的に対する思いの一致」ができたかどうかで判断できるだと考えられる。すなわち現状はどうなっているか、そこで課題は何かについての関係者の認識を一致させ、目的を達成しようとする思いを一致させることである。
 コミュニケーションをするとき、紙を使うか、メールを使うか、電話をするか、面と向って会話をするかに関わらず、その多くは「問い」と「答え」の連鎖で構成される。その流れの中で「認識の一致と思いの一致」が醸成されていく。ところで人間は何か問題や課題があるとそれに対する答え、対応策を求めたがる。したがってチームや関係者で話し合い(紙やメールを含む)をしていてもせっかちに結論を出し、それが指示の形になる。これは「答え」を共有させようとする行動である。ところが「答え」を共有させようとするとその組織は専制的な雰囲気になり、自由な発想や発言がなくなる。それを続けていくと「答え」を与えないと動けない組織になってくる。しかも不満が潜在してくる。また答えをつくるリーダーの器以上に組織は成長しなくなる。誰も考えなくなるから、共有化された「答え」はすぐに陳腐化してくる。組織はクローズになり、外部に対しての対応が非常に弱くなってくる。
 それに対して明確な「問い」を発し、「問い」を共有化するようにすると、組織はオープンになり、談論風発してくる。共有化された問いに対して関係者が必死に考えるから創造力も鍛えられてくる。
 問いを共有化し、それに対して自由な答えを関係者が遠慮なく発言し、その中から まとまった方向性が出、そして皆が納得した結論や決定がなされると「認識の一致と思いの一致」が達成されるようになる。
 昔ある学会の編集委員会があった。その委員長は小さなソフトハウスの人間だった。副委員長は有名な一流企業の役員であった。また委員も有名大学の教授や産業界のしかるべき人物ばかりだった。初めての委員会で主題に対して委員長は自分の考えを話した。しかし彼の存在は委員たちから無視され、相手にもされなかった。反対意見ばかりが出、会はまとまらなかった。2回目も同じようなものであった。3回目も同様であった。彼は胃が痛くなった。委員会を欠席しようかと思った。しかしこんなことで欠席したら、委員長の責務をまっとうできないと思い、対策を考えた。そこで取った行動は、会のはじめに今回の議題について何が問題で、何を考えてほしいかだけをきちんと説明し、後は一言も発言せず成行に任せた。さいわい委員は名のある人ばかりだったので発言が途切れることはなく、大いに盛り上がった。そこではどこでもあるように大学関係者と産業界では意見が異なることがしばしばであった。会議は2時間が予定されていた。彼は1時間半ほど経ったところで「議論も出尽くしたようですね。それでは結論を言います。異論のある方は云って下さい」といいながら、その結論は自分の思っていることを述べた。それに対して異論は出なかった。3回目までは自分の意見など無視されたのに、4回目以降は自分の思い通りに議事を進められた。これは委員たちが自分の考えを充分に主張し、最後にまとめてほしいという心境になったからである。委員長はそこまで忍耐したから、自分の主張を委員たちに浸透させることができたのであろう。彼はそれから委員会が楽しくなった。数年経ってから、委員長はその頃一流企業の社員から大学教授に移られた方から「委員長の会議が一番面白かった」といわれたそうである。
 この委員長は「問い」を共有化させ、忍耐を持って、自然の流れの中で「答え」を納得させ、共有にまで持っていったのである。
 最後にプロジェクトにおいて「問い」の共有について注意すべきことが一つある。それはプロジェクトリーダの「答え(指示)」の方向にプロジェクトメンバーは動くのではなく、「問い」の方向に流されていくということである。過去の質問ばかりすれば、メンバーは過去に生きるようになる。またリスク回避の質問ばかりすれば、失敗を恐れるだけになる。
 「問い」はできるだけ未来に対して、いかに見通すか、いかに行動するかという視点からにすべきであろう。

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