PMプロの知恵コーナー
先号   次号

「エンタテイメント論」(10)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :1月号

エンタテイメント論

第1部 エンタテイメント論の概要
9 昔と今の東京・繁華街の一端

●昔とは
>ここで「昔」とは、太平洋戦争の爪痕が消え、日本が経済高度成長への兆しが生まれてきた昭和30年ごろから40年頃を想定している。東京オリンピックの前後である。それより「昔」だと筆者の原体験の記憶が曖昧になるからである。
>先月号は、「昔と今の岐阜・柳ヶ瀬」の実態を説明した。その時に問題提起したことにまだ答えていない。いずれ答えたい。
>今月号は「昔と今の東京・繁華街の一端」を説明したい。「一端」としたのは、東京の場合、繁華街が多く、とても全てを論じることは無理だからだ。またすべてを論じると複雑になるばかりか、論点までぼやけるからだ。

●昔の下町の人々
>さて東京の下町の名前を先ず挙げてみよう。
>日本橋・人形町、築地、月島、佃島、深川、門前仲町、両国、蔵前、浅草、向島、谷中、根津、千駄木、、、、、、まだまだある。上野、本郷、湯島、神田、御茶ノ水、錦糸町、柴又、巣鴨、神楽坂、、、、、など。やはり挙げたらキリがない。「一端論」で議論すべきことが分かる。
>昔の下町は、どこも「個性」があった。訪れて楽しかった。共通する「あるモノ」があった。筆者は、「懐古趣味」の人間ではない。そんな筆者にも、これらの下町のことを思い出すと「懐かしさ」を感じる。
>当時の下町の人々は、現在の東京人の様な身綺麗な服装をしていなかった。貧しい服装の人々が多かった。しかし人なつっこく、明るい表情が多かったと記憶している。そして「あるモノ」とは、人と人との気軽な「交流」であった。
>また当時の多くの大学生は、ツメ入りの「制服」を着て、「角帽」をかぶって通学していた。街に遊びに出てもその服装であった。そのためか、所属大学の恥になる様な行動を自ずと慎む姿勢が生まれ、礼節を守っている学生が多かった様だ。「自分はこの大学生に属している」と天下に公言しているのだから下手なことは出来ない。
>一方町の人々は、大学生にある種の敬意を表し、ちゃんと対応をしていた様に記憶している。言い替えれば、どの大学生も町で大事にして貰っていたのである。今の大学生は、可哀相である。

●劇場・歌舞伎座の消滅
>最近、昔の面影を持った東京の名所的建物が次々と姿を消している。その例を挙げてみる。
>歌舞伎座は、昭和20年5月東京大空襲により焼失した。戦後、歌舞伎座復興に際し新たに「(株)歌舞伎座」が設立された。同社は、敷地を所有者の「松竹(株)」より借り受け、劇場は演劇の興行を行う「松竹(株)」に、劇場内の食堂売店等は、「(株)歌舞伎座」と「歌舞伎座事業(株)」にそれぞれ賃貸している。

東京銀座の歌舞伎座の建物
東京銀座の歌舞伎座の建物

東京銀座の歌舞伎座の建物 >歌舞伎座の建物の消滅と書いた。これは、新聞情報なので正確性は疑問だが、立て替えたビルの中に歌舞伎座が作られるとのことである。威風堂々の現在の劇場・歌舞伎座は、2度と再建されないだろう。恐らく、建て替えた陳腐な商業施設ビルの中に歌舞伎座のファサードを作って対応することになるだろう。

●新宿コマ劇場の消滅
新宿コマ劇場の消滅

>阪急阪神東宝グループは、東京都新宿区の「新宿コマ劇場」を2008年内で閉鎖すると発表した。近年、客足が遠のいていた。半世紀余りの歴史に幕を閉じる。そして11月に閉鎖された。
>新宿コマ劇場は、美空ひばり、北島三郎、五木ひろし、小林幸子などの大物歌手の座長公演で知られ、「演歌の殿堂」の異名をとった。また「ピーターパン」、「アニーよ、銃をとれ」などミュージカルの上演も行われた。
>コマのように回りながらせり上がる3段の円形舞台が劇場名の由来になった。ギリシャの古代劇場を模した円状のスタジアム型の客席も特色で、2088席と首都圏最大級を誇った。 70年代に全盛期を築いたが、近年、演歌の人気が下火になり、新ジャンルのミュージカルなどの企画公演も不振だった。築50年が過ぎて建物の老朽化も目立っていた。
>閉鎖後は東宝が主体となり、隣接する新宿東宝会館と一体として再開発する予定。新施設に劇場ができるかは検討段階だという。また05年には大阪市北区の「梅田コマ劇場」を閉鎖するなどし、経営の立て直しが行われている。
>筆者は、当該関係者から「商業施設のビルが建築され、その中に劇場が作られるかもしれません。映画館は作られないかも。しかしまだはっきりしていません」との情報を得ている。
新宿コマ劇場の消滅

>新宿コマ劇場に隣接する東宝系の「新宿プラザ」の映画館も閉鎖された。筆者の知る限り、新宿で最も大きい大スクリーンを持つ本格的な映画館が永久に姿を消すことになった。

●現在の銀座、新宿、渋谷、池袋、六本木などの繁華街の実態
>東京の主な繁華街の一端を精査するだけで様々なことが分かる。以下の通りである。
(1)エンタテイメント常設館の激減
 かつて存在した大型で同一内容のエンターテイメントを提供する常設音楽館であるクラシック・ハウス、ジャズ・ライブ・ハウス、シャンソン・ハウス、本格的な食事付きショー・シアター、生演奏付き飲食付きダンスホールやダンス・クラブ、寄席劇場などは次々と姿を消した。
(2)映画館の激減
 映画館は、日本では一時の隆盛力は持たない。しかも米国の様な本格的で本物の集合映画館(一つのフイルムを幾つかの映画室で共通に使う方式)は都内で一館も存在しない。何故、米国式のマルチシアターの長所を導入しなかったか不思議である。とにかくその数が減っただけでなく、上記の「新宿プラザ」の様な大型映画館は都心から次々と姿を消し、飲食・物販・オフィス・コンドミニアムの一般的な商業施設にすべてとって代わられた。
(3)一般商業ビル、オフィス・ビル、マンションの激増
 上記の常設館と映画館の激減に反比例して一般商業ビル、オフィス・ビル、マンションは激増した。しかもその様な施設を作ることが「都市開発」であると思いこんでいる都市開発専門家と称する学者、評論家、官僚、そして商業施設の経営者が何と多いことか。
 現在、東京で開発済みの「新都市」や「再開発都市」の一部は、既に失敗している。しかも集客が全く伸びない。にも拘わらず、相も変わらず同じ様なコンセプトで都市開発を行っている。都市開発で儲けているのは都市開発の本質を知らない「建築家」と「企画会社」であり、作り逃げしている「建設・土木会社」である。
(4)自己推進型のエンターテイメント施設の増加
 友達とのお喋り、ホステス相手の会話、ゲーム、カラオケ、パチンコなどは、どれも自分が何かに積極的に働きかけて楽しむ「自己推進型」の楽しみである。カラオケは自己推進型エンターテイメントの典型で、自分が歌って楽しむ。カラオケ・ルームで友人が歌っていても誰も本気で聞かない。そして順番待ちで全員が休みなく歌い続ける。上手も下手も関係ない。大声と大音響の密室空間にただただ浸り、時間を見ながら事実上、順番が来た自分が密かに楽しむのである。
(5)マシン・エンターテイメント施設の増加
 友人・知人とのお喋りとホステスとの会話を除き、ゲーム、カラオケ、パチンコなどは、どれも何らかの機械装置を相手とした所謂「マシン・エンターテイメント(筆者の造語)」である。そして客自身が自己推進型で楽しむ。しかしゲーム機械を操作して同席または遠隔地の対戦相手とゲームをするものも存在するが、今一である。
(6)既存のエンタテイメント施設の陳腐化
 筆者は(株)セガで「セガ屋内式エンタテイメント・テーマパーク」を最初に企画し、「ジョイポリス」を社長の了解を得て名付け、第1号店を横浜にオープンさせた。そして全国に多店舗展開をスタートさせた。筆者がセガを去った後、極めて残念なことであるが、セガ社は、筆者がセガ時代にジョイポリスの候補地として決めた場所以外のところでジョイポリスを作っていない。更に新しい店舗が作られないまま、既存ジョイポリスは年々激減した。
 筆者は、ジョイポリスの生みの親の一人として、この現状を憂いて、「第2ジョイポリス」のアイデアと具体的な提案をセガ社に行った。しかし採択されず、その動きもない。日本中、世界中に知れた「ジョイポリス」のブランドを活用せず、このままで放置してよいのだろうか。
 なお現在、ドバイでジョイポリス第1号店が建設され、近々オープンする予定とセガ社から聞き及んでいる。日本のジョイポリスの陳腐化だけではない。セガの通常の「アーケード・ゲームセンター」の陳腐化は目を覆うばかりである。更に「カラオケ館」も陳腐化しており、カラオケ経営者は、新しいタイプのカラオケ施設を求めて苦悩していると聞く。

●同繁華街の精査結果
>以上の精査結果から分かることは、以下の通りである。
(1)町の施設に於ける「人と人との交流」は、友人・知人という既に構築された交流関係を町の中で展開しているだけで、未知の交流は殆ど産み出されていない。
(2)最も人間性が発揮される「ライブ・エンタテイメント」が提供される場が激減しているだけでなく、最も迫力のある「マシン・エンタテイメント」の映画が提供され場までもが激減している。この結果、多くの人々は、ますます「ライブ・エンタテイメント」を求めなくなり、しかも映画をあまり観なくなった。友人や知人と食事をしておしゃべりする自己推進型エンタテイメントで満足し、レストランでの生演奏など余計なモノと考える様になっている。そして自宅では世界最低の低俗民放TV番組が最高のお茶の間エンタテイメントと考える様になってしまった。
(3)友人・知人の交流は、飲食物販の場で実施されているが、「おしゃべり」が中心である。未知の人々との交流など全く不要で、周りをはばからず、大声と高笑いで楽しむ。大声と高笑いは問題であるが、友人、知人の交流が問題だと言っているのではない。昔の下町にあった様な「未知との遭遇」という様な交流の機会が現在の東京で極めて少なくなっていることが問題と言っているのである。
 昔の新宿には「歌声喫茶」が数多くあった。アコーデオンを演奏し、配られた歌詞手帳をみんなが歌い、肩を組みながら未知の人々が歌と会話を交わした。カチューシャの歌に代表されえるロシア民謡、演歌、童謡など老若男女が共通に歌える歌が存在した。
現代版歌声喫茶「ともしび」
現代版歌声喫茶「ともしび」

 現代版の歌声喫茶も存在する。カラオケに馴れた人々がみんなで歌うことに馴れていない。もし人々がみんなで歌い喜びを感じる様になれば、新しいエンタテイメント・ビジネスが生まれることになる。しかも人と人とが直に交流する真のエンタテイメント空間が生まれることになる。
(4)未知の人との交流がなくても、エンタテイナーとの交流は容易に構築できるはず。しかしその様な「場」が激減しているため、現実にはライブ・エンタテイメントを楽しめない。ならばマシン・エンタテイメントはどうか。これも最近、陳腐化している。現在のカラオケでは数万の曲が用意されている。しかし歌える曲は限られている。カラオケ・マニアに占拠とされたお店は凋落の一途を辿っている。結局、パチンコ屋だけが盛況ということか? そうではない。最近、パチンコも飽きられてきている。そのため同業界のある企業は、「冬のソナタ」をパチンコ台に挿入して一時ヒットさせた。しかしその後いろいろ工夫しているが、あまり成果が出ない。

●未知との遭遇
>筆者は、「未知との遭遇」という表現を前述した。映画「未知との遭遇」に引っかけて使った。この邦題は、スティーヴン・スピルバーグ監督の意図を無視した誤訳である。原題は「Close Encounters of the Third Kind」で、「UFO第3種類の密着遭遇」が正しい邦題である。第1種遭遇がUFOの写真撮影を、第2種遭遇がUFOの物的証拠確保を、第3種遭遇がUFO宇宙人との接触をそれぞれ意味する。
>1977年に公開されたアメリカ映画。世界各地で発生するUFO遭遇事件と最後に果たされる人類と宇宙人のコンタクトを描いた。製作費2,000万ドル。コロムビア映画提供。アカデミー賞を撮影賞、特別業績賞(音響効果編集)の2部門で受賞。
>この遭遇を意味するEncounterは、Entertainmentの語原という説がある。筆者は、語原説が正しいか否かを云々する気はない。しかしエンタテイメントの本質は、「遭遇」を機会とする「相互交流」、言い替えれば、お互いの気持ちを「内側に保持」し、「思いを通わせる」と考えているため、以下の語原説も支持している。

未知との遭遇 ●エンタテイメントの語原説
>エンターテイメント(entertainment)の語源(etymology)に関する他の説を紹介する。
>エンターテイメントとは、中世のラテン言語 “intertenere”に起源を持つと言われている。Intetenereの「inter」といはinside:中に、「tenere」とは、to hold:保持することをそれぞれ意味する。従って「to hold inside  (中に保持する)」となる。
>15世紀ごろ、この言葉はフランス語経由で英語となる。この時点で意味が少し変わって「to maintain to keep up」となる。元気であるために(落ち込まないように)維持するって意味も加わった。
>シェークスピアはその作品「ウィンザーの陽気な女房たち (The Merry Wives of Windsor)」の中で、エンターテイメントをこのように使っている。「I think the best way were, to entertain him with hope=最もいい方法は、彼を希望で“引きつけること”だと思う。
>また1626年、フランシス・ベーコンが、現代のように『楽しませる(to amuse)』という意味合いで使った。この意味が、世界に広まったと言われている。
(つづく)

ページトップに戻る