的を射る能力と安定した土台
PMR 山脇 義史:12月号
小生は現在東京を離れ韓国ソウルにて駐在員生活をエンジョイしています。
サブプライムローン問題の影響で世界的規模の金融機関が破綻し、世界経済に失速の兆しが鮮明に滲み出しています。この国の主力産業である造船業はこの4−5年機敏且つ大胆な設備投資を行いましたが、折からの爆発的な世界規模の需要増を満帆に受け、一気に日本を引き離し世界一の地位をゆるぎないものにしました。いや少なくとも誰しもがそう思いました。しかし、本当に韓国造船業はこのまま安泰なのであろうか、造船業が失速すれば韓国経済は一体どうなるのだろうか。一宿一飯の恩義ある国を憂いつつ、一方でソウル市内の一流ホテルがウォン急落を機敏に捉えた日本人観光客、とりわけ活力に溢れたおばさま族の買い物ツアーで溢れかえる光景を見ていると、長年に亘り造船王国・日本を支え続けた瀬戸内の造船所のある風景も頭に浮かびます。
源平絵巻の中に於ける屋島の戦いは、一ノ谷の戦いで大勝利を収め主人公に躍り出た義経の絶頂期の合戦であり、「扇の的を射よ」と平氏軍が挑発する下りは平家物語の最大の名場面と云われています。
源氏軍が意外に少数と知った平氏軍は、船を屋島・庵治半島の岸に寄せて激しい矢戦を仕掛けてきたわけですが、夕刻になり休戦状態となると、平氏軍から美女の乗った小舟が現れ、竿の先の扇の的を射よと挑発してきました。外せば源氏の名折れになると、義経は手だれの武士を探し畠山重忠に命じますが、重忠は辞退し代りに下野国の住人那須十郎を推薦します。十郎も傷が癒えずと辞退しますが、弟の那須与一を推薦したので与一はやむなくこれを引き受けることになります。
与一は海に馬を乗り入れると弓を構え、風向き・風速・気温などを確認し、弦に触れ湿度の具合も認識しますが、極度の緊張感に襲われます。物心がついてから長年に亘り武道の鍛錬をしてきたが、風の流れや弦の湿り具合を読み違えて幾度マトを外したことか。与一の頭脳は忙しく外部環境データを収集しているはずなのに、ある部分では情緒的な回路が強く働きます。
平氏軍から漕ぎ出た小船の美女がゆれて見えます。そのとき、与一の愛馬が張り詰めた雰囲気に耐え切れなくなったのか、小さく嘶き軽く後ずさりました。「どお!」腹のそこから湧き出るような掛け声を発し与一は愛馬の胴を軽く締め付けます。愛馬は頭をぐっと引き下げ元のポジションに戻り、ふたたび四肢を海中に突き刺しどっしりと構えます。
愛馬との一瞬の遣り取りで落ち着きを取り戻した与一は眼を瞑り大きく深呼吸をします。弓から放たれた鏑矢が大きな音とともに一直線に小船めがけて飛んでいき、ものの見事に小船の美女が掲げる扇を射落とします。その光景を与一が頭の中でイメージできるまでさほど時間を必要とはしませんでした。
カッと眼を見開いた与一は「南無八幡大菩薩」と神仏の加護を唱え、もしも射損じれば、腹をかき切って自害せんと覚悟し、鏑矢を放ちました。矢は見事に扇の柄を射抜き、扇は空を舞い、海に落ちます。平家物語の名場面、「扇の的」です。
さて、射手に選定された那須与一が『扇の的を一矢で射落とす』というミッションを達成するために必要であった主たる要素を列挙してみると次のとおりです。
1. 強靭な肉体
2. 強い精神力(イメージトレーニング)
3. 強固な土台(愛馬)
4. 確実な武器(弓矢)
5. 外部環境の測定と評価
6. 実射
また、これらのマネジメント対象を2種類に大別すると次のとおりになります。
A. 普段から準備して対処すべきもの 1. 2. 3.
B. その場で対処すべきもの 4. 5. 6.
本原稿を書いている2008年11月下旬における韓国通貨ウォンの対ドルレートは1ドル当たり1,500Wを超え、年度初めのレートが900〜1000Wであったことを考慮すると、5〜6割のウォン安が進行したことになります。このような急激な変化に見舞われている環境下でも種々のプロジェクトが目の前を通過していきます。東京より出張してくる若手社員、ソウルで対応する韓国人スタッフ、何れもが熱心にプロジェクトを実現させようとしています。しかし現下の環境では、延期や中止になるもの、実行に移されても規模縮小になるもの、等々の残念なケースも散見されます。
那須与一ケースの1.〜6.を現代のプロジェクトに当てはめると次のとおりになります。
1. 対応する部隊の組織力
2. 経験(蓄積されたラーンドレッスンなど)
3. パートナー(JV相手、外注先など)
4. 競争優位性
5. 外部環境の測定と評価
6. プロジェクトマネジャー
延期や中止になったプロジェクト担当のスタッフたちと焼肉屋で一杯やるとき、那須与一ケースを雑談することがあります。1.〜6.のうち1.〜3.は『A 普段から準備して対処すべきもの』に分類され、実プロジェクトが中止・中断されても、内部に必ずや何か有益なものが蓄積され次プロジェクトで役に立つ、と言いながら若いスタッフにビール注ぐ機会も多くなってしまいました。
最後になりますが、那須与一も「南無八幡大菩薩」と神仏の加護を唱えたように、ソウルより現下の大混乱の一日も早い収束をお祈りして愚稿を締めくくりたいと思います。
注:フリー百科事典「ウィキペディア」2008.10.26日版参照
以上
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